3、私と盛りそば、そして美男子
なぜ、盛りそばとその人が呼ばれていたか。これは容易に思い出せる。名が大森二八であり、怪人から常に「二八そばの盛りそば君」と呼ばれていたからだ。姓が大森であるのに気はとても小盛りな人だった。私よりいくらか年は上であったが、その気の小ささゆえか周りに対してどこまでも低姿勢を貫いてしまう所があり、私はまるで同年代の級友であるかのように接していた。
ニ八などと奇妙な名をしているので、いつだったか由来について尋ねたことがある。その際に盛りそば氏は少し困ったような顔をしてから言った。
「ボクは二月の八日生まれなんだ」
なるほど語呂合わせか。ぞんざいな親もいたものである。それでいて喫茶店でバイトなどしていたものだから、大盛りの注文をとるのは恥ずかしいと常に言っていた。彼は私の隣の部屋であるニ号室の住人だった。イロハニのニだ。ああ、まったくもって紛らわしい。
彼について思い出す事も数多くあるが、いっとう記憶に残っているのはいつかの冬の出来事だ。
それは盛りそば氏に彼女ができた時のことだ。生来の低姿勢さが功を奏して、気の利くいいオトコと評された結果、彼はバイト先の喫茶店に通い詰めていたとある女性といい仲になった。
そして彼女を華瑞荘に呼んで、ささやかながらお披露目の会でも開こうかと話し合っていた。大家の婆さまも喜んでいたものだ。盛りそば氏が真面目である事実は、荘の誰もが知っていたからだ。
一階の階段脇にあった黒電話で時折、にこやかに彼女と話をする盛りそば氏の幸せを誰もが願っていた。誰も電話を占領することに異議など唱えたことはなかった。
事件が起きたのは披露目の会の当日である。
住所を頼りに華瑞荘へやってくるはずの彼女が、いつまで経っても盛りそば氏の部屋に訪れない。我々も、当人から紹介されるまでは接触を避けるべしと各々が部屋に籠っていた。
しかしこれがいけなかった。彼女はロ号室の扉を開けてしまったのだ。イロハのロ。部屋番号が振られていない華瑞荘において、ニ号室と言われたら普通は二番目の部屋だと思うだろう。私も入居の時にはイロハ順などとは思いもしなかった。
奥から二番目のホ号室ならば問題はなかった。そこはずっと空き室であったのだから。しかしいけない。ロ号室だけはいけなかった。
ロ号室には佐々川という青年が住んでおり、俗にいうところの美男子だったのだ。夜な夜な遊びまわっていたために、佐々川はその女性の事をどこかの夜で逢瀬を重ねた相手だと勘違いをした。女性もまた、佐々川に一目惚れした。
もちろん、佐々川とて盛りそば氏の幸せを願っていた。誰よりも親身に「女性とはなんたるか」を盛りそば氏に説いていたのも、また彼である。
だがして運命は非情である。佐々川が気付いた時にはすでに遅し。
慌ててニ号室に彼女を案内したものの、「アタシ、やっぱり格好が良い人がいいワ」と佐々川にしな垂れかかる女性を見て、盛りそば氏はその場に頽れた。
誰もが不幸になった事件だった。のちにこの出来事から成る一連の事件は"かずい荘の冷戦"と呼ばれることとなる。
冷戦よろしく、盛りそば氏と佐々川はしばらく口をきかなかった。季節が冬であったことも相まって、華瑞荘の気温はそれまで私が体感したことのないような過去最低気温を更新した。
これを看過できぬと腰をあげたのが怪人である。へ号室の怪人は例の間延びした声で言った。
「喧嘩でもしたまえよ、貴君ら」
こうして、勝った所で何も得ることのない二人の喧嘩が始まった。二人とも黙々と日々を過ごしていた事で妙に相手への不満を溜め込んでいたらしい。
「あなたが女遊びばかりしているからこんなことになったんだ」
「なにおう、女の事についてやたら聞いてきたくせに」
「虚偽だ、虚言だ! 嬉々として入れ知恵してきたでしょう」
「なんだともやし蕎麦のくせに。だいたい感謝くらいしたらどうだ!
あんな尻軽な女、手放して正解だったろうが」
「確かにそうだ。それは分かる。
でも、分かってしまう訳にいかないこの身が辛い!」
互いの心中を吐露しながら、二人は下宿の庭で殴り合っていた。私たちは二階の各々の部屋でそれを眺めながら「いいぞ、やれ」「そこだ、気障野郎をのしちまえ」とはやし立てた。大家の婆さまはやれやれと一階の居間で茶を啜っていた。
思えばこの事件以降、佐々川の女遊びは減り、盛りそば氏の事を二八と名前で呼ぶようになっていたように思う。氏もまた、佐々川のことを君付けで呼ぶようになった。そういえば佐々川の名はなんといったか。どうにも思い出せない。
思い出せないが、それはそれでいい。思い出せないということは、思い出す必要がないということだ。
○ ○ ○
華瑞荘の冷戦は終結の目を見たが、米ソの東西冷戦はいつになれば終わるのだろうか。ドンパチやれとは言わぬが、平和的な解決をしてほしいものだ。
盛りそば氏を思い出せば、連なるように佐々川を思い出す。
そして佐々川を思い出せば、彼と犬猿の仲であった人物をも同じく連なって思い出されるのだ。
華瑞荘、イ号室の住人。怪人と最も親交を深めていたであろうその人物はがらの悪い作家であった。いや、作家志望と言った方が正しいだろうか。
彼は武士崎と呼ばれていた。彼のペンネームであるそれは皆知っていたが、本名は知らない。怪人も彼のことをいつも「やあ、武士崎」などと呼んでいたものだから、そのガラの悪いサムライ崩れの名前は誰も知らないのだ。
ちなみに、"かずい荘の冷戦"において声援とも野次ともとれぬ言葉を浴びせかけていたのはこの人物である。決して私ではない。