62話『意味の消失』
《ペリドット》
「………その後は、私も全く覚えてない。気が付けば今のように、病院のベッドの上だった。まぁ、異常なしで当日退院だったんだけど。」
雪乃は一通り話し終えたようで、体を寝かせて頭部を枕に委ねる。彼女は少し、疲労の色を見せていた。それは単に喋り疲れただけではないだろう。想像以上に残酷で、悲惨な話だ。これ程までに惨憺な事実を、雪乃は誰にも語らずに一人で背負い続けていたのだ。裕仁には到底理解できない苦しみだろう。
「友絵の死に、そんな裏があったとは………。」
当時の裕仁は、宝石争奪戦には全く無関係だった。だから友絵の死に関して、裕仁は“捏造された事実”で納得していた。
あの日、担任がまるで別人のように低い声で話してくれた「友絵の交通事故による死亡」という知らせ。裕仁は突然突きつけられたその訃報に、暫く思考を失ってしまった。それは裕仁に限った話ではない。中には大泣きする女子や、それを慰める男子。人気者であった彼女の死に、誰もが受け入れられずに困惑した。教室内は、一気に涙交じりの哀惜の雰囲気に包まれた。
その光景を一体、雪乃はどのような気持ちで見ていたのだろうか。
話を聞けば、雪乃は自分の所為で友絵が死んだのだと責任を感じている。どう償おうとも消えてくれない罪悪感を、今でさえまだ背負い続けている。
しかし友絵の死の事実は、誰も知らない。「お前の所為だ」と非難されることもなければ、憤慨の念を向けられることもない。ただただ、周りからは同情されるばかりだっただろう。事実、裕仁だって今の今まで知りはしなかった。ただ一人だけ真実を知り、ただ一人だけ友絵の死に立ち会った雪乃にとって、それはとても、心苦しいことだっただろう。
雪乃は遠い目で、ぽつりぽつりと呟いた。
「………だから私は、あの男に復讐を誓ったの。優勝者と準優勝者は次のゲームに強制参加。だから、必ず自分の手で友絵と同じ目に合わせてやろうと………そう、思ったの。」
それを聞けば、雪乃の行動にいくつか納得がいくことがあった。
「だから、お前は俺の宝石を奪いにきたんだな?」
ゲームが開始された翌日。その日から全てが始まった。雪乃に放課後呼び出されたかと思うと、突然「宝石をちょうだい」と言って襲撃された。その時は必死で特に何も感じなかったのだが、今思えば彼女は焦っていたのかもしれない。雪乃らしからぬ突発的な行動だったのだろう。
「………そうね。まさか、こんな近くに宝石を持っている人がいるとは思わなかったから………真っ先に奪おうとした。もちろん、殺す気がなかったというのは本当よ。」
「あぁ、俺もそんな直ぐに盛大に歓迎されるとは思ってなかったよ。」
裕仁は少し皮肉を交えて言った。それに続けて、もう一つ疑問を投げかけた。
「お前、俺にわざと負けなかった?」
これだけは本当に疑問だった。三ヶ月ほど彼女と共に行動し、その戦闘を見てきたから分かる。雪乃が絶対に裕仁に負けるはずがない。裕仁が勝ったのはほぼ奇跡に等しいと言っても過言ではない。そうなると、矢張り手を抜かれていたという理由がしっくりとくる。
雪乃は少しだけ表情を緩めると、
「正直、貴方が相手だったもので凄く油断してたわ。楽勝だと思ってた。」
なんとなく分かっていたが、面と向かって言われると少し心にくるものがある。そんな裕仁を見兼ねてか、雪乃は「ただ」と言葉をつなげた。
「その戦闘で、裕仁の新たな一面が見えて良かったわ。」
「何だよ、“新たな一面”って。」
裕仁は、雪乃にそう言われるような心当たりは全くない。ただ狼狽えて、逃げ、そして捕まる。そして訳の分からぬまま“宝石の力”に振り回され、気がつけば雪乃が気絶していた。最高にカッコ悪い場面だ。
しかし雪乃は、優しい瞳で裕仁を見た。彼女もこのような表情が出来た事に驚きを感じた。
「以外と、頼りになるところよ。」
これまた予想外の発言だ。何時ものように皮肉や揶揄が飛んでくるのかと思いきや、割と嬉しい褒め言葉だった。暗い話をした所為だろうか。雪乃の様子がいつもと違っており、何だか不思議な気分だった。裕仁は微笑むと、冗談交じりに答えた。
「……俺はいつだって、頼りになる男だったろ?」
すると雪乃は即答した。
「嘘は良くないわ。」
あぁ、なんだ。 いつもの雪乃だ。
少々残念なのか、それともちょっぴり嬉しいのか。複雑に撹拌された感情が裕仁の中で顔を出す。
「俺が平気で嘘つくような人間に見えるか?」
裕仁は肩を竦めて言った。自分で言うのもなんだが、よくもそう次々と返答が分かりきっている言葉が思いつくものだ。その言葉を聞いた雪乃は当然、こう言うだろう。
「見えるわ。貴方は嘘を愛しているから。」
「……やっぱり、言うと思ったよ。」
裕仁は少し伸びをすると、カットした林檎が入っていた皿が、いつの間にか空になっている事に気付いた。窓の外を見ると、もう夕日は沈み終えて月が気怠そうに浮かんでいる。心なしか、月明かりが弱いように感じる。それは裕仁の感情がそうさせているのか、それとも単に薄い雲が遮っているのか。
「……その後、積極的に宝石を集めようとしていたのもやっぱり、復讐の為か?」
裕仁は皿を片付けながら、雪乃に聞いた。
「……えぇ。そうよ。」
雪乃は俯きつつ、小さな声で答えた。
「私は最初っから優勝なんて興味なかった。ただ、出来るだけたくさん宝石を集めて、次こそ負けないように………って思ってた。」
裕仁は少し、彼女に違和感を覚えた。
雪乃の声は、どんどん小さくなっていく。話せば話すほど、彼女の声は消えそうになっていく。
「……でも、知らない間に私の仇は死んでいた。あの巳空という男に殺されていた。」
もう二度と、友絵の無念を晴らすことはできない。あの男は勝手に友絵を殺し、勝手に見ず知らずの男に殺されていた。
雪乃は悔しそうに言葉を紡いでいく。確かに、何とも酷い話だ。裕仁ですら、沈痛な思いが胸を締め付ける。それが当事者ともなると、その心中は計り知れない。雪乃も既に限界を迎えていたのだろう。だから、裕仁に全てを打ち明けてくれたのかもしれない。ただ、それだけで解決するほど簡単な問題ではなかった。
雪乃は「………ねぇ、」と縋るような声を発した。言いたい事は、何となく分かっていた。
「私はこれから………どうしたらいいのかな?」
雪乃は思い昂じたのか、泣きそうな声で裕仁に問いかけた。そして彼女は薄い掛け布団を顔に覆い、強く端を握りしめる。先程までは平気そうな顔をしていたのに、突然思い出したかのように彼女は萎れた。
仇を取ることだけを目的として、彼女は今まで必死に戦ってきたのだろう。にも拘らず、その仇は既にこの世にいないと知ってしまった。つまり、雪乃は戦う理由を失ったのだ。
それだけを目的として過酷な闘争に身を投じてきたというのに、現実はこれだ。雪乃を支えてきた脆く細い芯は、たった今無残にも砕かれたのだ。もう、雪乃を支えるものは何もない。
現実はやはり、物語のように上手くは出来ていない。ストーリーはいつだって理不尽で、理解不能だ。何をやったって上手くいかない時もあれば、とんとん拍子で全て解決する時もある。今回は前者だ。今更嘆いたところで、友絵はおろか仇すらもこの世に戻っては来ない。仇を殺した奴も、決して雪乃の意図を汲み取って善意で殺害したわけではない。詳しい経緯は知らないが、恐らくはただ宝石が欲しかったからだろう。
もしこれが物語だったならば、一番不幸な役回りを演じているのは間違いなく雪乃だろう。勝手にバトルロワイアルに参加させられたかと思えば心の拠り所を失い、挙げ句の果てには戦う目的までも失った。
さすがの裕仁も、何も言えずに黙り込んだ。
安っぽい同情の言葉など役に立たない。気の利いた慰めの言葉も思いつかない。下手な言の葉は、かえって傷を深くするようなものだ。遺憾ではあるが、裕仁にはどうしようもできなかった。
それよりも何時も冷静で怜悧な彼女が、ここまで高ぶった様子で涙を浮かべていることに裕仁は少なからず衝撃を受けていた。
夜特有の悲哀の雰囲気に流され、情が激してしまったのだろうか。はたまた、漸く誰かに話すことができて肩の荷が下りたのだろうか。
どちらにせよ、彼女は人前では涙どころか、弱みすら見せないような人間だ。少なくとも、裕仁が彼女のこういった姿を見るのは初めてだった。だからこそ、どういった対応をすれば良いのかが分からなかった。
そのまま、何も言葉を交わすことなく時計の針は回っていく。静かになった病室で、聞こえてくるのは雪乃の欷歔の音だけだった。それでも身を震わせて慟哭しないあたり、やはり彼女は強い人間なのだろう。
雪乃だって、色々背負って戦ってきたんだ。
声を殺して泣く女を前に、黙っているのは男じゃない。
「……なぁ、雪乃。」
雪乃はここまで裕仁と海音の二人を導いてきてくれた。なんだかんだ言いながらも、裕仁は彼女を心から尊敬していた。ただ、雪乃にずっと頼ってきたのが間違いだったのかもしれない。感覚が麻痺していたが、雪乃だって裕仁と同じ高校生だ。それも、華奢な体型をしたただの女子だ。
これ以上、経験者だろうが賢かろうが、彼女に依存してはいられない。
……これまで、お疲れ様。
ここからは、俺の出番だ。
俺がお前を、この理不尽なゲームから解放してやる。
裕仁は決意したように力強い声で、雪乃にとある“お願い”をした。
「……俺にお前の“ガーネット”と“ルビー”を、預けてくれないか?」




