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28話『憫笑する要塞』


《ガーネット》



数少ない情報を頼りに、夜の路地裏を走り続けること数分。雪乃は慣れない運動に身を投じた事によって、目的のものを見つける事が出来た。海音と裕仁だ。


しかしその二人の姿を目撃した頃には、既に彼らは敵と対峙してしまっていた。どうやら少し遅かったようだ。しかし、雪乃は直ぐに飛び出す前に、その男の容貌を確認した。見た目からだけでも、奴の情報を出来る限りで得ておきたいからだ。二人の目の前にいる男は、気持ち悪い程に筋肉が隆起している。全身を包み込むようにコーティングしている。所謂、鎧のようだ。もう少し簡単に表現するならば、彼はボディビルダーのような風貌をしている。見るものをゾッとさせるような、悍ましい筋肉量だ。彼が着込んでいるタンクトップが更にそれを引き立てている。見た目だけで判断するのもどうかと思うが、恐らく彼は腕力に物を言わすタイプだろう。


そのような奇妙な男は、髪も奇妙。前へ突き出すように整えられているが、リーゼントと言うわけでもない。どのようにセットしているのかが気になるような髪型だ。しかしそれでも、不思議と違和感のないように仕上がっていた。


そんな男の奥にある建物の壁が、見るも無残に破壊されている。まだ砂埃が舞っている事から、つい先程に開けられたとこが分かる。彼がやったのだろうか。いや、彼がやったに違いない。裕仁の持つ宝石も、海音の持つ宝石もそのような破壊力は無い。これが彼の『宝石の力』なのだろうか。


それらを踏まえて、あの男がただの変人では無い事は明らかとなった。



「……今、どういう状況?」



雪乃は裕仁の元へ駆け寄り、そっと耳打ちをした。


すると裕仁は、じっと目の前の男に警戒を向けたまま、海音を雪乃の方へそっと渡した。雪乃は彼の心中を大まかに察する事が出来た。雪乃が海音の肩に手を添えた事を確認すると、裕仁は覚悟したような声音で言った。



「海音を任せる。こいつから遠くへ逃がしてくれ。」



裕仁は雪乃に背を向けたまま、男へ睨みを利かしている。雪乃も、裕仁を引き止めることはしなかった。覚悟を決めた者に「逃げろ」などと言うのは無礼千万な事だ。屈辱にも似た感情を与えてしまう事になる。雪乃はそれを知っている。だから止めはしない。


しかし、海音も雪乃と同じくそうという訳にはいかない。彼女は一緒に逃げよう、と裕仁へ必死に呼びかけている。確かに、海音の言うことは雪乃も賛成したい。しかしそれが叶うならばの話だ。当然、逃げたところで彼は追ってくるに違いない。それも建物を打ち抜き、人目も気にせず豪快に追跡するような男だ。何をしでかすか分かったものでは無い。それが分かってるからこそ、裕仁も雪乃も戦う事を選んだ。だが海音がその言葉を裕仁にかけ続ける限り、埒が明かない。



「……分かったわ。それで、貴方はどうするの?」



雪乃は、裕仁が答えるであろう回答を知っていながらも聞いた。その問いは海音の為とも言えるが、やはり本人の口から意図を聞いて、それから納得するのがセオリーというものだ。



「…当然、時間を稼ぐ。」



裕仁は一拍置いて答えた。


勿論、雪乃が想定していた通りの返答だった。そんな裕仁の背は、何とも男らしく頼もしいように感じた。雪乃は笑みを浮かべて、その背を一度叩いた。


挿絵(By みてみん)


「あら、カッコいいじゃない。それじゃあ遠慮なく、レディーファーストって事で逃げさせて貰うわね。」



「任せろ。俺を誰だと思ってる。」



雪乃と裕仁は互いに不敵な笑みを浮かべて向き合う。そんな漫画のような格好のつくシチュエーションを打ち毀すように、手を一度打って「あ、」と雪乃は思い出したように呟いた。



「一つ言っておくわ。この先『宝石の力』で恐ろしくなることよ。」



雪乃は再び、裕仁の耳元で小声で話しかけた。目の前にいる敵に聞かれると面倒だからだ。裕仁もそれを察して静聴の姿勢をとる。



「それはね、『能力の過大解釈』よ。」



そう、過大解釈。このゲームが開始された当初、雪乃は最も恐ろしい事が「逃げられる事」だと裕仁に説明した。確かにそれはその通りだ。このゲームで逃げられる事は劣勢の谷底に突き落とされると言っても過言ではない。しかし、その次に恐ろしいのは『過大解釈』なのだ。



「出来ると思えば、範囲内であればどのような事でも実現できる。『宝石』は自身の期待値を再現してくれるの。つまり『発想を制すものは宝石を制す』。これだけは覚えておいて。」



宝石の力は触媒である我々によって限界が決まる。逆に言えば、我々の思考や発想に転換が効く限り、応用的な成長は留まることを知らない。宝石所持者の起点によって、宝石の力は何処までも強力になる。恐ろしいことだが、こちら側が慣れてしまえばそれは最大の武器となる。


その事を聞いた裕仁は、真剣な面持ちで小さく頷いた。



「……おう。」



言いたい事を言い終えた雪乃は「それじゃあ頑張って」と彼に言い残し、海音を連れてその場を後にした。








《ペリドット》




不思議だった。


それはこの状況に対してではない。

目の前の男に対して抱いた感情だった。


海音を固執して追っていた割には、追いかけようという意志をまるで感じない。目の前に裕仁が現れたからか、其れとも別の理由があるのか。どちらにせよ、目の前に佇む男には既に海音に対する興味は消失していた。ただ不気味な笑みを浮かべてその場に立っている。



「……追わないんだな。」



裕仁は鋭い双眸を男へ向けた。それは敵視だ。裕仁は、目の前の男を敵だと判断したが故の視線を送った。しかしそんな裕仁の目にも、男は嘲笑で返した。



「どうせ通してくれないんだろう? 時間なら嫌という程ある。一度の機会を逃したくらいでそう焦ることでもないさ。」



それに、と男は一切の間を置くことなく言葉を連ねた。



「逃した機会が引き寄せるように、新たな機会が目の前に現れた。ならば逃げた物など後回しにして、君から片付けるのが道理だと思うが?」



……違いない。


そうは思ったが、裕仁は声には出さなかった。敢えて寡黙を貫いた。まさかこんな奴の口から正論が飛び出すとは思ってもいなかった。そしてそれを認めるのは言いようのない悔しさを感じた。



「……まぁ、いいさ。」



男は肩を竦めた。それから手をふらふらと揺らし、軽い準備体操を始めた。



「俺は少々子供っぽいんでな。欲しいものを得るためには何も厭わないんだ。周りのものだって壊すし、他人が怪我をしても知らん振りだ。大人しく石ころを渡さねぇってんなら、命の保証はしないぞ?」



そんな男の挑発にも似た言動に、裕仁は少しだけ息を吐いて男に向き直った。




「………仕方ねぇな。石はくれてやる。」



裕仁はそう言った。雪乃がこの場にいたならば張り手でも食らったかもしれない。怒鳴り散らされたかもしれない。でも、間違いはない。それでも確かに、裕仁はくれてやると言ったのだ。



「ただし、条件がある。お前の目的は見たところ宝石だけだろう? だから、俺とさっき逃げ出した二人を見逃せ。それが宝石を渡す条件だ。」



どう見ても相手は格上だ。裕仁がどう頑張ろうが、あの壁を砕く突きを食らった時点で命はないだろう。仮に生きていたとしても、肋骨が砕けるには充分な衝撃だ。死ぬくらいなら当然、宝石を明け渡して許しを請う方が幾分もマシだ。


裕仁のスローガンは『ガンガンいこうぜ』ではない。『いのちだいじに』だ。それは誰であろうとも共通の思想だ。ゲームのように怪我を薬草で回復できない上に、死んだとしても教会で復活はできない。それに相手は常に一撃死の攻撃を放ってくる。そんな相手に闘いを挑む方が無謀と言うものだ。


裕仁はポケットから何かを取り出した。

この流れで、取り出すものは一つしかない。


目の前の男も察したように、にこかな笑みを浮かべてこちらへ歩みを進めてくる。



「分かればいいんだ。」



男は裕仁の目の前に立ち、手を前に差し出した。掌の上に置けという事らしい。


仕方なく裕仁はそっと男の手の上に石を置いた。それも態とらしく手の甲を男の方へ向け、丁度手の平が死角になるように置いた。






しかし、裕仁は男に宝石を渡すつもりは微塵もなかった。



「手土産だ。喜べ。」



裕仁が手をそっと話すと、男の掌に乗せた石は高速で発射された。当然だが、裕仁が置いた石はお求めの『宝石』ではない。来る途中に拾った大きめの砂利石だ。狙うべき標的は男だ。そして距離はほぼゼロ。このような近距離で外すわけもなく、石飛礫は男の左肩を穿つような勢いで命中した。


男は勢いに流されるように後方へ浮き上がった。体感した事はないが、恐らく銃弾に似た速度だろう。それが『ペリドット』の武器であり、最大火力だ。倒しきれないとしても、そこそこのダメージはあるに違いない。



裕仁はそう、錯覚していた。


思わず、眼前に広がる光景に囚われてしまった。





男は倒れなかった。




それどころか、出血も痣も何もない。男の顔から張り付いた笑みも剥がれる事はなかった。砕けたのは男の骨ではなく、『ペリドット』の力で発射された小石の方だった。彼は哄笑しながら声をあげた。



「面白い力じゃあねぇか。ますます欲しくなった。」



裕仁も動揺している暇はない。男が仰け反ってる隙に、裕仁は既に懐へと潜り込んでいた。


前回のペストマスク戦は、雪乃と海音が居たから勝てた。だが、今回は一人だ。躊躇いは一瞬にして死を招く。何度か戦いに身を置き、裕仁の脳内から逡巡は失せていた。裕仁は迷う事なく男へ向けて拳を振り抜いた。男は裕仁の動きに追いついていない。ここが絶好の機会だ。不意打ちが卑怯などと今更言ってはいられない。裕仁は全力で、男の顔面に拳を叩き込んだ。







だが、悲鳴をあげたのは裕仁の拳だった。



「………がっ…あ」



手を抑えるも、指の隙間から血は滴り落ちる。痛みからか、それとも感覚がないのか、裕仁の手は痙攣するように震えている。



「あーあー、可哀想に。」



男はご機嫌そうに笑い声を上げた。


確かに命中はした。だが、直で殴ったことによって分かった事があった。拳で感じた感触は、まるで鋼鉄を殴り付けたかのように硬かった。筋肉程度では裕仁の拳がこんな様にはならない。彼は人間を超越した硬度を誇っている。


“硬くなる”。それが彼の持つ『宝石の力』なのだろう。それも銃弾ですら弾き返す程の硬度を再現できるとなると、最早“人間要塞”だ。大地を揺るがす怒涛の攻撃にも転じ、一寸の矢を通すこともない絶対的な守備にも転ずる。そんな恐ろしい異能があってもいいものなのだろうか。喧嘩を売った以上、逃げるわけにもいかない。裕仁はこれ以上ない危機を感じていた。


そんな裕仁を見下ろしながら、男は未だ笑みを絶やさない。



「そうだ、残念ついでに一ついい事を教えてやるよ。」



裕仁は睨みつけながらも、男の発する言葉に耳を傾けていた。こう言う場合の“いい事”と言うのは、大概“いい事”ではない。直接的に言うのならば“悪い事”だ。妙な胸騒ぎを感じながらも、裕仁は男から目を逸らさなかった。


そんな強がりも意に介する事なく、男は淡々と事実を告げた。




「そもそもよぉ、お前のその行動は時間稼ぎに“なってない”んだよ。」






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