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29話『闘る時は潔く、そして華やかに』

《ガーネット》



場の流れに任せて逃走はしたものの、雪乃は何かがおかしいと薄々感じていた。あの男は、雪乃はともかく、海音に対しても追ってくる様子はなかった。まるで最初から眼中に無かったかのように。


固執して追跡していた海音をみすみすと逃したとなれば、そこには何か理由があるはずだ。何度も言うが、この宝石争奪戦で恐ろしいことは『逃げられること』だ。情報の持ち逃げは、即刻の敗北を意味する。彼はそんな劣勢すらも跳ね除ける程の異能の持ち主なのだろうか。それとも『逃げられること』が最も警戒すべき事だと気づいていないのか。いつでも雪乃程度なら刈り取れるだろうという思考の元だろうか。どれにせよ、気にくわない。


あの男の不愉快な笑顔の裏には、どのようなどす黒い感情が渦巻いているのか。到底、思考があの男の闇に及ぶとは思えない。それ程までに底気味の悪いような感触が雪乃の心を揺るがす。


絶対に、考え無しに雪乃達を逃した訳ではないだろう。それは嫌という程感受する。


ならば、あの男は何を考えているのだろうか。それが分からないから、怖いのだ。


そもそも、あの男は逃がしてくれたのだろうか。何か見えざる陥穽が仕掛けられているのかもしれない。自らの手を下さなくとも、雪乃達を捕らえる事が可能な計謀が為されているのかもしれない。まるで、この逃げた先に何かが待ち受けているかのような………。


しかし、雪乃の思考は別の視点へと移った。



そういえば、“大通りを駆けているというのに、人が一人も見当たらない”のは不思議だ。



そう感じた瞬間、雪乃は一つの回答に辿り着き、踵を返して来た道を引き返し始めた。



「…どうしたの?」



海音は不思議そうに雪乃を見つめた。

しかし、雪乃は直ぐには答えなかった。別に無視をしているわけではない。勿論海音の声は聞こえた。だが、答える暇がなかったのだ。今逃げなければ、奴らの策略に裸足で踏み込んでしまう。気付くのが遅すぎたのだ。雪乃は悔しげに歯を食いしばった。兎に角今は逃げる事が最優先だ。必死に足を動かし、息を切らせ、何も通らない大通りを滑走する。


だが、それでも逃げきる事が出来なかった。




「どうしたのー? そんなに慌ててさぁ。」



何処かから女性の声が耳に入ったかと思うと、突如として雪乃の進行方向に大きな壁が出現した。絡繰仕掛けのように、元からその場にあったかの様にアスファルトから壁が迫り上がってきた。そうは言っても、その場には何も無かった。タネも仕掛けもない障壁だ。


それは『宝石の力』によるもので間違いない。それも、先ほど見たあの男の持つ異能ではない。雪乃達の道筋を塞いだのは、確実に“別人”だ。雪乃は、忸怩たる声を絞り出した。



「……これは罠だったのよ。」



「そう、ご明察。これは“追い込み漁”よ。」



雪乃が辺りを見回すと、雪乃の近くに停車している大型トラックの上に、とある女性が座り込んでいた。まさに現代の若者といったような風貌で、エネルギッシュなファッションをしている。黒とピンクのキャップを被り、最近流行しているサルエルパンツを着用している。彼女が着用している半袖シャツはへそ辺りで結ばれ、腹部を堂々と晒している。その装いはヒップホップダンサーの衣装を思わせる。


彼女は大きく手を振りながら、戯けて言った。



「そんなに怖い顔しないでよ。」



雪乃はその場に佇みながら、なお彼女を睨み続けた。



「随分と高い場所から声をかけるのね。貴方は煙なのか馬鹿なのか、どっちなのかしら?」



雪乃はそう言い放った。


淡紅色のメッシュの入った女性の髪が、微かに夜風に揺れる。



「面白い事を言うのね。そう言う貴方は法螺吹きなのか、それとも鼠かしら?」



彼女の発言の直後、

無人の大通りの信号は赤へ変わった。


それでも彼女の口は止まらない。



「……私はね、ちょっと用事があってここにいるのよ。それも、とても面倒な用事よ。」



雪乃などを御構い無しに、女性は一方的に話を続ける。飲溜を下げるように、鬱憤を晴らすように募った文句を吐き出し続けた。



「ここを走ってくる人を見つけて捕まえろー、だってさ。嫌になっちゃうわよねぇ。私ってば暴力は嫌いなのにさ?」



「……何が言いたいのよ。人違いですって言えば逃がしてくれるの?」



雪乃は嫌な予感を感じ、直ぐに動き出せるように体の筋肉を緩めた。所謂、臨戦態勢だ。どういう訳か、この先に起こる出来事が手に取るように分かる。女性はよっこいせ、とだらしのない声をあげてトラックの上に立ち上がった。そして睨みを効かせるように、雪乃達を見下ろした。雪乃の感じる不穏な予感は、きっと……いや、必ず的中する。きっと彼女の次のセリフはこうだろう。






「つまりさ……その標的って、“お前達”かい?」




ほら見ろ、と雪乃は心の中で思った。


やはりこういう展開に発展する。面倒な事この上ない。雪乃は黙り込んだ。そうは問いながらも、彼女は既に分かっているだろう。どう答えてもこの結果は変わることはない。気が付けば既に視界の遠く、雪乃達を取り囲むように周りは大きな壁に覆われていた。雪乃達は最早、四方を網に囲まれた遊泳魚だ。逃げ道は既にない。



「その沈黙は、“正解”って事でいいんだね?」



だから雪乃は、顔に笑みを閃かせた。






「……バレました?」




挿絵(By みてみん)



寡黙な信号が青に転変した瞬間、雪乃の足元から無数の段差が生じた。段は天高く突き上がり、地に深く潜り込みんだ。その変化に、雪乃と海音は思わず吃驚した。四方を囲まれたフィールドは、凹凸の激しいアスレチックな闘技場と化した。


女性は呵呵と笑いながら、両手を広げてトラックの荷台から飛び降りた。




「さぁ、楽しい鼠狩りの始まりよ!」

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