20話『屈辱』
《アメジスト》
また失敗した。
今回の失態は、前回の失敗よりも遥かに重い。誰の目からも明らかな敗残だった。
それも、まだ妨害されただけならマシだった。阻碍されたとしても、最終的に宝石さえ奪えれば何ら問題はなかった。何ら考慮に値しない。
ーーだが、今回はどうだ。
迂闊に道路へ飛び出し、トラックに撥ねられ、獲物である『アクアマリン』をみすみす取り逃がしてしまった。
結果はこれ以上ない最悪な不首尾だ。ただ無様に醜態を晒しただけだ。自尊心は襤褸雑巾のように寸寸にされてしまった。
絢成は未だ道路のど真ん中で突っ立っていた。歯を食いしばり、怒りから握りこぶしを作る。自身への苛立ちで、周りの騒めきに、まるで気づいていなかった。
「……何? 交通事故?」
「救急車は……?」
「いや、待て。あいつ確か轢かれなかったか?」
「嘘……? だったら何で直ぐに立ち上がれるの?」
「相手はトラックだろ? 有り得ねぇ。」
周りの喧騒の声が騒がしい。
驚愕の声と裂帛の悲鳴。まるで自分を化け物を見るように蔑む目線と畏怖を抱く目線。
いちいち癪に触るラジオのノイズのようだ。
何の力も有さない愚民共が、燃える絢成の憤怒に油を注いでいく。
…喧しい。
……俺を見るな。
絢成は心配そうに駆け寄ってくる運転手の手すら払いのけ、流れる血もそのままにその場をのし歩くように立ち去った。
翌日だ。明日必ず、あの女を仕留める。
こんな所で蹴躓いている暇はないのだ。もう容赦も情けもない。ただ只管冷酷に、冷徹に血祭りの祭壇に祀る。そうでなければ、この屈辱、劣等感、敗北感。様々な負の感情を払拭することが出来ない。
絢成は誰にも悟られることなく、無慈悲な殺意を込めて呟いた。
「……必ず殺す。」
《ムーンストーン》
巳空は、あの女性に何をされたのかまるで分からなかった。考え込むように、巳空は路地の隅っこに体を折り畳んで座り込んでいた。
ーー力が発動できなかった。
これは異例の事態だった。
『ムーンストーン』は対象の人物が何かを思考している限り発動する。もし、『ムーンストーン』が通用しない人が居たとするならば、それは既に思考が止まった廃人か、死体のみだ。つまり、異能が発動できないという事は本来無いに等しかった。
だが、この異常事態はきっとあの女の持つ宝石ーー『アクアマリン』の力によるものだと断定できた。
絢成が交通事故に遭った際の彼女の呟きから推測するに、『アクアマリン』の異能の正体は『常識を欠落させる』というものらしい。使い道はかなりと言っていいほど期待できない。
しかし、あの女は賢かった。
特にあの“すれ違いざま”。
彼女は恐らく、こう異能を使用したのだ。
……『宝石の力』という『常識』を欠落させる。
当初は信じられなかったこの『宝石の力』も、今となっては巳空の『常識』の範疇だ。それを消し去るのは容易かったに違い無い。
だが、その常識は既に自身の中に戻っている。宝石の事も認知している。
その事から、あの『アクアマリン』には時間制限がある。若しくは、その制約から抜け出す何らかの方法を無意識に取っていた事になる。
それさえ分かってしまえば、後の対処は塵を払いのけるように楽な作業だ。手に入れたとしても有効活用は望めないが、後々必要になる。早めの内に奪取してしまいたいところだが……。
さて、これを絢成にどうして伝えるべきか。
……いや、伝えなくてもいいだろう。
絢成ならこれ位の推察は既に済んでいてもおかしくない。いや、済ませていると断言しよう。でなければ、巳空が尊敬するに値しない愚王だ。仮にもし思考がそこまで辿り着かないような阿呆だった場合、巳空の絢成に対する評価は滝から落ちるように下がる。ただ、それだけだ。
情報の分析もとい作戦の立案。『宝石の力』の把握、そして行使。臨機応変な判断。それらが全て絢成は出来るからこそ、巳空は彼に付き従っている。
こんな腐った世の中に生きる活力の見出せないこの自分自身を、絢成は価値のあるものにしてくれる。死ぬ事すら面倒くさいこの自分自身を救い出してくれる。
そう信じて、巳空はふらりと立ち上がった。




