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俺に魔法は使えない。でも、なぜ王国の結界が落ちたのかは説明できる  作者: pj.masta


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第2巻 第三十三話 三つの門

開始の鐘が鳴る前、蓮人は三つの持ち場を順に歩いた。


 薬便班の前では、リオが薬箱の縄を指二本分だけ持ち上げ、車輪が石畳へ均等に乗っているかを確かめていた。左の車輪が門の縁へ先に乗れば、箱が傾き、瓶が割れる。ガルドは接合金具の温度を手袋越しに見て、若い職人へ木の棒を渡した。


「白が消えても、熱が残る。手で確かめるな。棒を当てて、鳴りを聞け」


 棒の先が金具へ触れる。高く澄んだ音なら冷えている。鈍い音なら、内側に流れが残る。職人は二度鳴らし、ガルドが頷くまで荷車を動かさなかった。


 徒歩班の前では、セラが兵の腰縄を自分の手で引いた。橋が崩れていること、谷へ下りること、門が開いても全員を待たずに引き返すことを、一人ずつ言わせる。急ぐために出る班が、急ぐあまり増水した川へ入らないためだ。


「けが人を見つけたら」


「二人で支え、伝声石を鳴らす」


「門が開いたら」


「向こうの順番を受け入れる。こちらから呼ばない」


 最後に救出門班へ来ると、テオは札を伏せて立っていた。文字を見すぎないためだという。蓮人は札の裏を返し、現行番号、片方向、仮設台の三つだけを声にして確認した。旧名がないことを、二人で確かめる。


「赤の確認灯が点いても、すぐ綱は引かない」


 ミナが言った。


「赤は遠隔信号を受けた印です。救出門の安全ではありません。青の冷却灯と、ガルドさんの接合確認と、向こうの伝声石、この三つがそろうまで待つ」


 テオは頷き、綱から半歩離れた。


 蓮人は三班の足元を見た。薬便班は、届けばすぐ解散ではない。到着側が封印を確かめるまで荷車を動かした者が待つ。徒歩班は、帰路の目印を一つずつ木へ結ぶ。救出門班は、仮設台に湯と毛布を並べている。誰かを通す前に、受け取る場所を作っている。


 第一の砂時計が落ちた。


 セラが腕を上げると、徒歩班の靴がいっせいに石畳を蹴った。渡河縄、折り畳んだ担架、乾いた薪、湯を入れた革袋。その重さで隊列は走れない。先頭だけが急げば後ろの救命具を置いていくため、門前を出るまでは十歩ごとに後列の返事を聞いた。


「担架」


「二床」


「伝声石」


「前後に一つずつ」


 最後尾の兵が角を曲がるまで、セラは速度を上げなかった。北の街道へ出ると、鉄を打つ音を一度返す。それが徒歩班の開始を町へ残す合図になった。


 第二の砂時計は、まだ半分残っている。薬便班は動けない。リオの手は荷車の横木にかかったまま、指だけが何度も握り直されていた。妹へ向かう足音が遠ざかるのを聞きながら、自分は薬箱を押す場所に立っている。


「班を替わるなら、今だぞ」


 荷役親方が低く言った。


「替わらない」


 リオは横木へ肩を当て直した。


「これを着かせてから、迎える」


 救出門班では、ミナが仮設台の毛布を一枚めくった。下には到着札が四枚ずつ、名前の欄を空けて並んでいる。向こうの名簿をこちらの都合で写す前に、通ってきた本人から聞くためだ。テオは石輪へ背を向け、札の三行を胸の内で繰り返していた。声にはしない。


  薬箱を積んだ荷車が石輪の前へ入ると、空気の匂いが変わった。


 蓮人には、湿った石と薬草の匂いの奥に、焦げた金属のような苦さが混じった。ガルドはそれを嗅いで、荷車の車輪を止める。


「待て。右の接合が熱い」


「白の残留灯は消えています」


 若い職人が言う。


「灯だけで触るな」


 ガルドは手袋の甲を石へ近づけ、触れずに引いた。


「冷却流が戻りきってねえ。青の冷却灯を見ろ」


 灯は点いていた。しかし弱い。規定範囲にあることを示す青ではなく、細い火のように明滅している。ミナが計測板をのぞく。


「下限ぎりぎりです。薬便を一台だけ通すなら持ちます」


「二台目は」


「止めます」


 ディーンは反対しなかった。薬箱の後ろには、羊乳と冬種の荷が並ぶ。どちらも急ぐ。けれど今日は、先頭の薬箱だけが白布で囲われている。


「荷役班、薬箱一台。ほかは線の外」


 彼が言うと、荷役たちが黙って縄を外した。リオは薬箱の車輪へ肩を当てた。背中に力を入れたとき、白布の中で瓶が小さく鳴る。


「開けます」


 門役長が告げた。


 赤の確認灯が点く。遠隔の運転信号を受けた印だ。それだけでは足りない。ミナが青の冷却灯、ガルドが接合、門役長が石輪の文字列をそれぞれ見ている。蓮人は皆の視線の先に、淡い線が三つ伸びるのを見た。薬箱から王都荷役門へ。石輪の底から北の廃門へ。もう一本は、地図の外へ細く逃げる。


「北の線が」


 口にしかけて、やめた。線は警告ではない。ガルドが金具を押さえ、ミナが首を振る。


「待って。青の警報灯がついた」


 石輪の脇に青い光が灯った。停止基準には達していない、という監視の灯だ。


「通すか」


 門役長が聞く。


「一台だけ」


 ミナが答えた。


 石輪の内側が白く透ける。荷車が押し込まれ、車輪が縁を越えた。リオの手から縄が滑る。向こうで同じ縄を誰かが受け取るまで、彼は離さなかった。


 薬箱が消え、石輪は閉じた。


 赤の確認灯が消える。青の冷却灯は、すぐには戻らない。


「到着確認」


 伝声石へノアが呼ぶ。


 返事はない。


 ひと呼吸、ふた呼吸。誰も次の荷へ手を出さない。


『王都荷役門、薬箱一台を受領。封印、無傷』


 石から門役の声が響いた。


 リオの肩が落ちる。ディーンは荷札を一枚、裏返した。薬便の欄に黒い印をつける。


「薬便班、終了。接合は外したままにしろ」


 ガルドが命じた。


 その瞬間、北側の空が白く光った。


 救出門ではない。誰も触れていない王都地下門の方角だ。


「予定外の起動!」


 見張りの声が飛ぶ。


 蓮人は走った。門前の石畳を曲がると、地下門の枠が半分だけ開いている。赤の確認灯がつき、青の冷却灯は消えていた。門役が二人、綱を引いて閉じようとしているが、石輪は動かない。


 背後で、救出門の綱が金具へ触れる音がした。テオが開始位置へ立ったのだ。薬箱の到着確認は取れている。掲示した順なら、次は救出門だった。


「救出門班、手を止めろ!」


 蓮人が叫ぶより早く、ミナの停止鐘が二度鳴った。テオは綱を引かなかった。門を開く役が、自分の持ち場から予定外の地下門を見られるわけではない。それでも二度の鐘だけで半歩下がり、綱を床へ置く。


「徒歩班は」


 門役長が問う。


「続行です」


 ミナは答えた。


「門の操作だけを中止。徒歩班まで戻せば、門が使えない場合の救出手段を失います」


 開始した三班を、同じ理由で全部止めるのではない。薬箱はすでに受け渡しを終えた。徒歩班は門と別の道を進む。新たに開こうとしていた救出門だけが、地下門の行き先と重なる危険を持っている。蓮人は掲示板の救出時刻が過ぎていくのを思ったが、綱へ急げとは言えなかった。


「王都からの命令か」


「分かりません! 伝声石がつながらない」


 ノアが端末の石を掲げた。声は雑音に埋もれている。


 門の向こうには、薄暗い階段が見えた。地下荷役門の石積み。人影はない。けれど床へ、青い縄を巻いた荷が一つ転がっている。


「入るな」


 セラがいない代わりに、守備隊の班長が剣を抜いた。


 蓮人の視界で、開いた門から三方向へ線が走る。荷へ。北の廃門へ。そして、ミレアへ。


「閉じるだけでは足りません」


 彼は言った。


「あの荷が、青麦回りの起点かもしれない」


「誰が確認する」


「ノアさん。原本と照合を」


 ノアは一瞬、開いた門を見た。書記官が現場へ入ることを怖がる顔だった。それでも、荷札の写しを受け取るために近づく。


「私は門を越えません。札だけ、長鉤で引きます」


 リオが荷役の長鉤を差し出した。


「縄には触るな。札だけ引っかけろ」


 ノアは頷き、石輪の外から鉤を伸ばした。青縄へ触れず、木札の穴へ先を通す。手首が震えていたが、鉤は外れなかった。


 札がこちらへ滑ってくる。


 同時に、地下門の向こうで、何かが石を叩いた。


 一度。


 二度。


 三度。


  門は、内側から開けられようとしていた。


 班長は兵を二人、石輪の左右へ置いた。剣を抜くためではない。向こうから荷が転がり出た場合、縁へ触れずに受け止めるためだった。リオは青縄とは別の麻縄を渡し、兵たちは腰へ結ぶ。経路を呼ぶ縄と、重さを支える縄を、同じ色にしない。


 ノアは長鉤を握り直した。札の下に落ちた削り粉を、紙片へ集める。受け入れ先を消した跡は、いまの門だけの異常ではない。誰かが行き先を読めないものにした。その結果を、今度は現場で止める。


 班長が石輪の外から、救助の合図を三回鳴らした。向こうから、遅れて三回返る。人がいる。しかし返事の言葉は聞こえない。


「入れば助けられるかもしれない」


 若い兵が言う。


「入れば、次にどこを探すことになるか分からない」


 蓮人は答えた。門の向こうは王都地下の階段に見える。だが青麦回りの枝が残っているなら、階段を下りた先が王都とは限らない。救助に入った人が、別の行き先を失う。


「徒歩班は出ています。ここは切る」


 班長が決めた。


「地下門を閉じる。救出門の中止は継続。再開は、青麦回りの起点を原本と現物で照合してから」


 ミナが復唱し、門役長が時刻を板へ刻んだ。掲示した開始時刻を守れなかったことも消さない。ノアは伝声石を取り、徒歩班へ短く送る。


「予定外の門が開いた。門による救出は遅れる。徒歩班はそのまま進み、二刻を待たず次の位置を知らせてください」


 雑音の奥で、セラの返事が一度だけ鳴った。歩みを止めていない息の音がした。


 向こうからの叩く音は、最後に一度だけした。石輪が閉じると、青縄の荷は見えなくなった。残った削り粉をノアは封筒へ入れ、時刻と場所を書いた。見つけたことと、救えなかったことを、どちらも残さなければならない。

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