表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺に魔法は使えない。でも、なぜ王国の結界が落ちたのかは説明できる  作者: pj.masta


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
57/400

第2巻 第十七話 三枚の地図

ノアは地図を机に並べる前に、窓を閉めた。


 古い紙は風で傷む。王都から届いた現行台帳は厚い羊皮紙、門番台帳は何度も継ぎ足された布紙、戦時荷札の控えは油紙だった。三つを重ねれば、端がずれて、どの線がどの道なのか分からなくなる。


 だから彼は、まず床に白布を敷いた。


 王都台帳を置く。ラグナ東門前、北の巡礼門跡、旧門は廃番。七号の欄は空白ではなく、別用途へ転用済みと記されている。


 次に門番台帳。ここでは七号は、北補助門。現役の旅客門が閉まったときにだけ使う、と小さく書き加えられていた。押印の日付は二十年以上前で止まっている。


 最後に戦時荷札。


 六瘤の青縄と同じ輪印の横に、七号。送り先は地名ではなく、「ミレア回り荷溜め」とある。


 ノアは紙の角を錘で押さえ、穴を開けた透明板を上へ載せた。番号の位置だけを揃えるための板だ。七の穴へ、三枚の文字が見える。


 王都台帳では、転用済み。


 門番台帳では、北補助門。


 戦時荷札では、ミレア回り荷溜め。


「同じ番号に、三つの地名がある」


 口に出すと、書記見習いが息を飲んだ。


「地名、というより用途です」


 ノアは言い直した。


「だから余計に危ない。王都は番号を空けたつもりでいる。門番は非常用に残したつもり。荷役は戦時の回り道として使っている」


 紙の上では、誰も嘘を書いていないように見えた。それぞれの紙が、別の時期の別の仕事だけを守っている。


 ノアはさらに、台帳の背を調べた。第九話で見つけた綴じ穴の不足。抜かれた一枚の前後には、北部の地名が並んでいる。次の頁は「ミレア回り」の記載があった年の、改訂目録だった。


「一枚がないから、何が変わったか追えない」


 門役長が言った。


「追える部分があります」


 ノアは門番台帳の余白を指した。古い門番が、地名を二重線で消し、別の名を書き足している。だが七号の横だけは、消した名が擦れずに残っていた。文字は読めない。次の頁に、同じ筆跡で「七号は旧名を復唱せず」とある。


 テオが机の端で固まった。


「師匠は、逆に、旧名を小さく言えって」


「いつからですか」


「分からない。最初から」


 ノアは彼を責めなかった。手順は人から人へ渡る。書かれなかった余白の命令ほど、後で消しにくい。


 彼は三枚の地図の上へ、青縄の切れ端を置いた。輪印が戦時荷札の印と重なる。だが、ミレアという名が村なのか、荷溜めなのか、いまも人がいる場所なのかは、紙だけでは分からない。


 窓の外で、荷車の発つ音がした。地図上では細い道でも、現場では人が今日の飯を運んでいる。


 ノアは三つの七を、別々の紙へ書き写した。


 ノアは透明板を外さず、三枚の地図の端へ細い糸を張った。糸を動かせば、番号の位置は揃う。けれど道の長さは揃わない。王都の地図では、七号は線から外されている。門番台帳では、非常時だけ太くなる枝として残る。戦時荷札では、荷溜めから先が書かれていない。


「三枚とも、続きがない」


 書記見習いが言う。


「続きの責任を、次の紙へ渡している」


 ノアは答えた。


 王都の紙は荷場まで。門番の紙は門枠まで。戦時荷札は荷役まで。それぞれの終わりで、次が見ているはずだとされた。その隙間に、ミレアという名が落ちた。


 ノアは地図を綴じ直さなかった。三枚を別々の筒へ戻せば、また一致しないことだけが消える。今夜は白布ごと机へ残し、番人を一人置くことにした。


 夜番の兵が来ると、ノアは地図の周りに低い縄を張った。誰かが紙を踏まないようにするためだ。見張りは地図を読めない。だから彼は「触らない紙がある」とだけ伝え、内容を預けなかった。


 書記見習いは油紙の端を見つめた。


「ミレア回りという言葉を、王都の人は知っていたんでしょうか」


「知っていた人もいるでしょう」


 ノアは答える。


「でも、知っていたことと、いま使える形で残したことは違います」


 戦時の紙は急ぎの荷を通すためのものだった。門番台帳は、目の前の客を迷わせないためのものだった。王都台帳は、予算を配るためのものだった。目的が違えば、同じ七号でも欠けるものが違う。ノアは三枚を責めるのでなく、次の照合で何を確かめるかを欄外へ書いた。現地の門枠。村の名。住民の数。署名原本。


 ノアは翌朝、門役長へ三枚の写しを一枚ずつ渡した。全部を同じ帳面へ写せば、後でどこから来た情報か分からなくなる。王都台帳は王都台帳の紙色のまま、門番台帳は余白の癖のまま、戦時荷札は油の匂いのまま残す。


「照合欄だけを別に作る」


 彼は言った。


 門役長は、七号の横へ「現場未確認」と書いた。かつて非常用だと教えられたことを消さない。戦時荷札の写しには、リオが六瘤と輪印を描き足す。ノアは王都の転用済みという文字の下に、削除ではなく確認待ちの印を置いた。


 同じ番号を一つの正しい名へ直すには、まだ早い。けれど、三つの違いを一人の記憶へ押し戻さないことは、今日からできる。


 書記見習いが、透明板の穴へ指を入れそうになり、慌てて引っ込めた。ノアは笑わず、指の代わりに小さな木札を渡す。七号の穴へ置く札だ。次に紙を重ねる人が、どの番号を見ていたか分かるように。


 ノアは戦時荷札の油紙を、火の近くへ置かなかった。冷えた机の上で重しを替え、裏側の擦れを斜めの灯りで読む。荷札の端には、受け取った荷役の指印が三つ残っていた。名ではない。だが指印の横の月印は、六瘤の返し縄が使われた月と同じだった。


 門番台帳には、同じ月に北補助門の綱を替えた記録がある。王都台帳には、その月だけ七号の欄が空白になる。三枚の紙は互いを説明しない。それでも同じ季節の仕事を、別々の角から残していた。


 ノアはそれを一本の線にせず、紙の端へ同じ月印を写した。つなげる前に、重なった事実だけを残す。書記見習いは、油紙へ触れないよう息を止めていた。


「紙が違えば、同じ月でも違う仕事です」


「だから、同じ意味にしない」


 ノアは答えた。三台帳を一枚へまとめるのではない。次に門枠を見た人が、どの紙のどの違いを確かめるか分かるようにする。


 ノアは王都台帳の綴じ糸を、ほどかなかった。頁を外せば、今度は自分が原本の順番を変えることになる。代わりに細い骨べらを差し込み、欠けた一枚の前後の紙の厚さを測った。抜けた頁だけ、周りより日に焼けていない。後から抜いたのではない。綴じる前に、そこだけ抜かれたのかもしれない。


 門番台帳には、七号の欄へ別の筆跡で何度も追記がある。綱を替えた日、鐘の金具を直した日、雪で石段を閉じた日。王都の紙に存在しない門を、現場では手入れしていた。戦時荷札には、運び手が道を避けた理由だけがある。三枚を重ねると、誰かが一度に全部を消したわけではないと分かる。違う持ち場が、それぞれの終わりで手を離した。


 ノアは書記見習いへ、紙の角を押さえる役を頼んだ。少年は地名を読み上げず、番号だけを復唱する。声に出すと、テオのことを思い出させるかもしれない。それでも読み違いを防ぐため、二人で指を置く位置を替えながら確認した。


「王都は転用済み。門番は北補助門。荷札はミレア回り」


 ノアは三つの語を別々の紙片へ書き、透明板の下へ置いた。どれかを正しい名として上に重ねない。現場確認をする者が、三つとも持って北へ行けるようにする。


 夜、ノアは地図をしまわず、見張りの机へ移した。紙の端には、翌朝の照合順が書かれている。まず七号の現物札。次に北の門枠。次に荷役場の六瘤。最後に、村から戻る荷の家印。順番を決めても、答えを決めたことにはならない。


 書記見習いは、三枚の地図を見比べて言った。


「一つの地図にしたら、楽なのに」


「楽にして、違いを消すことがあります」


 ノアは透明板を布で包んだ。


「次の人が困るのは、三枚あることじゃない。どれを見て何を確かめるかが書いていないことです」


 彼は地図の横へ、小さな鉛筆を三本置いた。一本の筆跡で直せば、誰が何を変えたか分からなくなる。王都の紙はノア、門番の紙は門役長、荷札はリオが、各々の余白へ確認を書き足すことにした。


 ノアは門番台帳の背表紙へ、細い紙片を挟んだ。そこには「七号・旧名を復唱せず」とある頁の位置だけを書いた。内容を消さず、次に読む者が見落とさないようにするためだ。


 門役長はその紙片を見て、テオの師匠がなぜ逆の癖を教えたのかを考え込んだ。紙の命令が守られなかったのか、いつか別の事情で変えられたのか。ノアは答えを急がなかった。いま分かるのは、文字の手順と口で渡った手順が食い違っていることだけだ。


 彼は三枚の地図の下へ、北へ持ち出すための布袋を置いた。地図そのものは運ばない。写しと照合欄だけを、徒歩班へ渡す。現地で新しい名を聞いたとき、古い紙を正しさの証拠にして村人へ押しつけないためだった。


 ノアは最後に、透明板の穴へ七の木札を戻した。札の表には何も書かない。裏には、王都・門番・戦時の三つの小さな印を付ける。次に誰かが板を重ねるとき、どの穴を合わせ、どの紙を持っていないかが一目で分かるように。


 見張りの兵は地図を読めない。それでも、布袋の封が破れていないかは見られる。ノアはその役目を頼み、兵は黙って頷いた。三台帳の違いは書記だけの秘密にせず、現物を守る手も別に置いた。


 同じ番号に、三つの名前があった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ