表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
26/61

第二十六話 新品の冷却核

旧接合具の交換が終わったのは、夕鐘の一刻前だった。


 北塔は低出力で再始動した。


 入口圧、正常。


 出口の仮設測定石、正常。


 水輪音、平常。


 警報灯、青。


「一段上げます」


 ミナが五割から六割へ上げる。


 全員で待つ。


 異音なし。


 六割から七割。


 接続部に水滴はない。


 出口温度は上がるが、暫定上限には届かない。


「七割運転、維持できます」


 ミナが言った。


 歓迎紋は最低出力なら試せる。町の代替運用も始まっている。


 完全ではない。


 それでも、明日の本稼働までに選べる状態へ近づいていた。代官庁から呼び出しが来たのは、その直後だった。


 蓮人とミナが執務室へ入ると、バルガスは王都から届いた二通の書状を机へ並べていた。一通は使節団の到着確認。もう一通には、北塔事故により歓迎紋を中止した場合の査定項目が記されている。


「辺境設備管理、不適」


 ノアが読み上げた。


「王都認証品の導入遅延。祭礼受入れ能力不足。次年度の迎賓費および設備更新費を再審査する」


 再審査という言葉の横に、赤い印があった。


「六年前にも同じ印を受けた」


 バルガスが言った。窓の外では、市場の共同厨房へ薪を運ぶ列が見える。


「あの年、私は北塔の障害を九件、ありのまま報告した。王都の答えは、故障の多い町へ新しい設備を与えても無駄だ、だった」


 保守予算は二割削られた。冬の蓄魔石交換は延期され、工房から二人分の賃金が消えた。


「だから件数を減らしたんですか」


「減らしたのは紙の上だけだ。現場が回せば、町は格下げされないと思った」


 バルガスは言い訳を求めるようには話さなかった。自分が選んだ順序を確認する声だった。


 机の端には、散水試験の報告書もある。晴天試験の成功だけに印が付き、失敗の頁は裏へ伏せられていた。


「新型冷却核は、まだ北塔で使えません」


 ミナが言った。


「旧水輪は七割で安定しています。歓迎紋を最低出力にすれば、今夜は維持できます」


「最低出力の歓迎紋を、王都は能力不足と記録する」


「八割で新型を接続すれば、町の流路が耐えるか確認できていません」


「認証品だ」


「王都で安全でも、ラグナで安全とは限りません」


 バルガスは窓辺へ行った。市場の先に、北塔の青い光が見える。


「古い水輪で止まれば、ラグナの保守不足だ。新型が止まれば、王都規格の問題になる」


 蓮人は、その言葉の意味を理解した。


「責任を王都へ返せる設備を選ぶんですね」


「町が来年も予算を得るためだ」


「今夜の住民が危険を負います」


「古い設備を使い続ける危険もある」


「あります。だから、観測できた範囲で比べる必要がある」


「比べている間に査定が決まる」


 バルガスは命令書を引き寄せた。主任が用意した文面へ署名する。


『歓迎紋の安定運転には王都認証済み冷却核を使用する。夕鐘までに交換』


 宝石のついた指が、封蝋を強く押した。


「これは私の命令だ」


 散水試験の失敗を知らなかったとは、もう言えない。


「ノア。失敗頁も命令書へ添付してください」


 蓮人が言った。


「命令へ従わない気か」


「選んだ情報ごと、記録へ残します」


 ノアは伏せられた頁を表へ返した。バルガスは止めなかった。命令書を持った伝令が、北塔へ走った。


 執務室を出る前、蓮人は窓の下を見た。


 共同厨房から迎賓館へ、保温箱を積んだ荷車が向かっている。料理長と市場の料理人が同じ箱の左右を押していた。旧水輪を七割で使う前提で作った代替運用だった。


 別の道では、氷屋が治癒院へ板氷を運ぶ。守備隊は歓迎行列ではなく、北壁の交代兵へ食事を届けている。町はすでに、華やかさを減らして安全を守る方を選び始めていた。


 バルガスの命令だけが、その選択を王都へ見せない形へ戻そうとしている。


「閣下」


 ノアが失敗頁を命令書の写しへ封じた。


「この記録は三部にします」


「好きにしろ」


 バルガスは答えた。


 その声には、命令を撤回する余地を自分で閉じた者の硬さがあった。北塔の外で、馬車の車輪が鳴った。王都製冷却核を載せていた荷車だ。


 洗浄のため旧副塔に置いたはずの銀の輪が、再び積まれている。結界庁の術師たちが六人、荷車を囲んでいた。


「何をする気だ」


 ガルドが外へ出る。


「代官命令だ」


 主任が命令書を掲げた。


「歓迎紋の安定運転には、新型冷却核を使用する。旧設備による事故を防ぐため、夕鐘までに交換」


「散水試験で不具合が出た」


「排水を吸っただけだ。北塔では排水路を閉じた」


「洗浄は」


「完了した」


 リクが銀の輪へ近づき、測定石の隙間を指でなぞる。


 指先に黒い泥が付いた。


「これで?」


「運転すれば流れる」


「流していい場所がわからねえから止めたんだ!」


 主任はミナを見る。


「停止判断者。北塔は現在正常か」


「七割運転で安定しています」


「旧水輪には摩耗がある。新型は王都の認証済みだ。交換を拒む根拠は」


「この町の流路での試験が未完了です」


「旧副塔で試験した」


「散水条件で失敗しました」


「北塔の排水は閉じた」


「補助吸水以外の影響を確認していません」


「つまり、具体的な故障は見つかっていない」


 論点がずれる。


 危険が証明できないなら動かす。ミナは、動かして安全と確認できるまで待つ。


「交換を認めません」


 ミナが言った。


「停止判断者に、設備選定の権限はない」


 主任は術師たちへ命じた。


「旧水輪を停止。交換作業を開始」


 セラが前へ出る。


「作業を強行するなら、守備隊権限で塔を封鎖する」


「代官命令に逆らうか」


「町の防衛設備へ未試験の変更を行う。警備上の危険だ」


 双方が動かなくなる。


 夕鐘まで、あと半刻。


 蓮人は命令書を見た。


「ノアさん。発行時刻は」


「先ほどです」


「作成者は」


「結界庁主任。代官閣下が承認」


「添付資料は?」


「王都製冷却核の認証書。旧副塔試験の完了報告」


 完了報告。


「散水試験の失敗は」


「書かれていません」


「晴天試験だけを完了として出した?」


 主任は答えなかった。


 事実の一部だけを使い、交換命令を取った。


「代官閣下に、失敗記録を見せます」


 ノアが走ろうとする。


「間に合わん」


 主任が言う。


「夕鐘から歓迎紋の試験が始まる。古い水輪のまま失敗すれば、誰が責任を取る」


「新型で失敗した場合は?」


 蓮人が問う。


「王都認証品だ」


 答えになっていない。


 どちらを選んでも、危険はある。


 古い水輪には摩耗がある。


 新型冷却核には未知の挙動がある。現状維持にもリスクがある以上、新しいものを拒否するだけでは判断にならない。


「ミナさん。停止基準ではなく、変更判断です」


 蓮人は言った。


「いま持っている情報で、どちらを選びますか」


 ミナは旧水輪と銀の輪を見た。


「旧水輪は、七割で安定を確認しました。接合具も交換済み。新型は高性能ですが、散水条件で外部水を吸い、完全な洗浄と再試験ができていません」


「結論は」


「今夜は旧水輪を使います。歓迎紋は最低出力。新型は明日以降、王都の技師立会いで再試験」


「代官命令だと言っている!」


 主任が叫んだ。


 命令書の裏には、バルガス自身の追記があった。


『現場判断による延期を認めない。停止判断者は稼働後の中止に限る。接続そのものを妨げた者は職務命令違反として拘束する』


 ミナが得た停止権限を、接続後だけに狭める文面だった。


「ノアさん。この追記の時刻は」


「執務室で署名したあとです。主任が塔へ戻る途中、伝令で追加されています」


 バルガスは迷った末に命令したのではない。ミナが拒むことを知り、拒めない形へ直していた。


 セラが入口へ兵を並べる。


「未試験設備の接続は町の防衛を変える。拘束するなら、私からだ」


 主任側の術師も認証杖を構えた。その間に、荷車の陰で二人の術師が変換接続具を運び込んでいた。議論の決着を待たず、命令を既成事実へ変えるために。


 ハンスが最初に気づく。


「接続具がない」


 荷台の固定箱が空だった。


「炉室だ!」


 リクが走る。


 その背後で、別の術師が始動紋へ触れた。


 命令を待っていたのか。


 それとも、先に準備を進めていたのか。


 北塔の旧水輪が停止した。


「誰が操作した!」


 ミナが振り向く。


 同時に、術師たちが銀の輪へ魔力を流した。交換作業は、すでに半分終わっていた。


 旧水輪の出口には、まだ温かい水が残っていた。そこへ銀輪側の高圧が入る。接合具が一度、外側へ膨らんだ。


「全員、黄線の外へ!」


 ガルドが叫ぶ。


 リクは工具を取りに戻ろうとした。ハンスが襟をつかんで引く。直後、接合具の隙間から青白い水が刃のように噴き、作業台の脚を切った。


 誰も負傷しなかった。


 リクの工具箱だけが水を受け、床を滑って炉室の隅へぶつかった。


「戻っていたら腕が飛んだ」


 ハンスが手を離す。


 リクは返事をせず、濡れた工具を見た。急いで止めることと、危険な場所へ飛び込むことは同じではなかった。変換接続具が旧流路へ組まれている。


「止めろ!」


 ガルドが叫ぶ。


 銀の冷却核が青白く輝いた。


 低出力ではない。


 歓迎紋試験に必要な八割で、いきなり始動した。


「入口圧、九十!」


 ミナが確認石を読む。


「北塔上限を超えています! 緊急停止!」


 停止紋へ手を置く。


 だが銀の輪は止まらない。


「王都認証が優先されてる」


 ガルドが変換具へ走る。


「北塔の停止命令を受けてねえ!」


 新型冷却核は正常に動いている。北塔から見れば、命令を聞かない。


 流路圧、九十二。


 壁の中で、何かが破裂する音がした。


 北塔の青い光が強くなる。


 その光が流路を逆走し、地面の下を南へ走った。


「南塔出力、上昇!」


 確認石を持つエドが叫ぶ。


 北塔へ入れたはずの新品が、町全体へ負荷を押し出している。外から、複数の鐘が半端な間隔で鳴った。


 警報鐘ではない。市場、治癒院、南塔が、それぞれ自分の異常を知らせる手鐘だった。一つの設備変更が、離れた生活現場で別々の音になって返ってくる。


 銀の輪は静かに、完璧な速さで回り続けていた。命令書を運んだ伝令が炉室の入口で立ち尽くしている。手には、失敗頁を添付した写し。


 紙の上には、新型を選んだ理由も、反対した者の名も、バルガスの署名時刻も残っていた。


 記録は事故を止めなかった。


 少なくとも、誰も選ばなかった事故にはさせなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ