第6巻 第7話 足りている証明
領主会議の机には、七つの倉庫が一列に並んでいた。
本物の倉庫ではない。倉庫ごとの在庫を表す木札だった。麦には黄色、薬には白、種籾には緑の小片が載っている。北境領主代行のベルトは、それを合計欄へ移しながら説明した。
「冬期必要量に対し、穀物は一割二分、薬は二割一分、種籾は八分の余剰があります。よって北境全体に在庫不足はありません」
会議に集まった三領の代行と王都の書記が、合計欄を見た。白樺谷で熱冷ましが切れたことは、まだ誰も口にしていない。
ノアは、机の端に置かれた小さな砂時計を見た。説明時間は一人半刻。辺境の不足を認定するかどうかは、その短い報告で決まる。認定されれば緊急融資を得られるが、次の春は王都管理倉へ種籾を預けなければならない。
「臨時便の遅れがあると聞いた」
西領の代行が言った。
「道路事情です」
ベルトは答えた。
「在庫不足ではありません」
「では、北境から薬を借りたい」
別の代行が白い小片を指した。
「こちらの南村で風邪が広がっている。余剰の半分を、春に返す条件で」
ベルトの手が止まった。
不足がないと証明すれば、余った分を貸せと求められる。貸せないと言えば、足りているという報告と食い違う。
「領内配分を確認してから回答します」
「余剰は確認済みなのだろう」
「総量は」
ベルトは、言い終える前にノアを見た。昨日、レントたちへ言われた三つの欄を思い出したのだろう。今日出せる量。期限内に届く量。届いたあと使える量。
王都書記が筆を置いた。
「北境の報告は、余剰ありで記録する。道路遅延は輸送欄へ。備蓄査定には影響させない」
ノアは手を上げた。
臨時書記官だったころなら、正式な会議で口を挟む前に、誰の許可が要るかを探しただろう。今は自分が配分規則の共同決定者として招かれている。黙れば中立なのではなく、合計欄だけを正しいと認める側になる。
「質問があります。白い小片一つを、薬何包として数えていますか」
「百包だ」
ベルトが答えた。
「使用期限は」
「冬の終わりまで」
「倉庫の場所は」
王都書記が顔を上げた。
「場所は備蓄機密に当たる」
「では、余剰を借りる西領は、どこへ荷車を向けるのですか」
「許可後に通知する」
「許可に何日、通知に何日、積出しに何日かかりますか」
答えはなかった。
ノアは木札のうち、一番遠い倉庫を表すものを取った。帳簿には番号だけがあり、地名が伏せられている。北境の守備上、大倉の位置を公にしない規則だという。
「この倉庫から白樺谷まで、昨日の報告では三日です。ですが北橋は閉鎖、最短の荷車は通れない。今、使える到着日はありません」
「倉庫の位置を言うな」
ベルトが低く言った。
「地名は言っていません。ただ、白樺谷へ届かない距離にあることは、住民の薬を考えるうえで機密にできません」
会議室の扉の外で、何人かが声を上げた。白樺谷から来たホルム・ダナと、ほかの村の代表が、傍聴を求めて待っている。守備兵が止めているため中へは入れない。
「住民へ倉庫の数を知らせれば、奪取を招く」
王都書記は言った。
「知らせなくても、薬が来なければ探します」
ノアは返した。
「必要なのは扉の場所ではありません。自分たちの薬が、今どこまで来ていて、次に何が決まるかです」
西領代行が白い小片を指で弾いた。
「それは輸送担当が答えるべきだ。ここは在庫会議だ」
「輸送担当の名前を、昨日から探しています」
「北境には運送組合がある」
「組合は荷車を持っています。領主倉の出庫を決めない。橋を閉じる権限も、宿駅の馬を移す権限もない。全部に関わる人はいますが、全部が届くところまで持つ人はいません」
木札は、担当ごとにきれいに分かれていた。倉庫の札、輸送の札、道路の札、治療の札。同じ机へ置かれたことさえない。
王都書記は砂時計を返した。
「結論を変えるだけの証拠はない。北境に在庫不足なし。臨時便の遅延は、次回までに解消計画を出すこと」
「いつまでに」
「十日後」
扉の外で、ホルムの声がした。
「十日後には、薬じゃなくて葬式の数を持ってくることになる!」
守備兵が静めようとする。ノアは立ち上がり、扉を開けた。
ホルムは五十四歳。粉挽きの太い腕を持ち、雪の付いた帽子を胸へ抱えている。隣には、先行包を迎えに出た者の家族がいた。
「白樺谷の残りを、ここで話してください」
ノアが言うと、王都書記が制した。
「傍聴者の発言は認めていない」
「在庫数ではなく、使える量の確認です。会議が足りていると証明するなら、使う側の棚を抜けません」
ホルムは室内へ一歩だけ入り、空箱の内蓋を机へ置いた。《次便の者、道、着く日を記せ》という炭字が、木札の合計より大きく見えた。
「先行の薬は、まだ村へ着いていない。迎えが中継小屋へ向かってる。熱の子は五人。昨夜二人だったのが増えた。麦は薄くして七日。種籾はあるが、食えば春がない」
王都書記は、ようやく新しい紙を出した。
「在庫不足ではなく、局地的な輸送障害として記録する」
言葉は変わらなかった。だが、初めて白樺谷の棚と熱の人数が、合計欄と同じ会議録へ入った。
会議が終わる直前、ベルトは七つの倉庫札を回収した。ノアが写そうとすると、一つずつ裏返す。
「倉庫の所在地は出さない」
「少なくとも、到着までの日数を」
「それも場所を推定できる」
ベルトは、最後の白い小片を箱へ入れ、蓋を閉じた。
会議の休憩中、ノアは廊下の突き当たりで、ベルトと領内財務官が話す声を聞いた。盗み聞きをするつもりはなかった。だが《種籾》という言葉に足が止まった。
「薬倉を一つ開ければ、白樺谷だけでは済みません」
財務官が言っている。
「西領への貸与も断れなくなる。余剰の報告を取り下げれば、春の融資利率は倍です」
「分かっている」
「病床の領主は、昨冬の前倒しで管理権を止められた。代行殿まで同じことをすれば、王都は領主家に倉を預けない」
「分かっていると言った」
ベルトの声には、会議室で見せなかった疲れがあった。
「では、局地的輸送障害で押し通してください。在庫は足りている。運べないのは橋と組合の責任です」
「橋守に責任を負わせれば、亀裂を隠して通すようになる」
「なら運送組合へ」
「冬輪車は塩を運んでいる。取り上げれば、肉を塩蔵できない村が出る」
ベルトは、どこへ責任を移しても別の冬が壊れることを知っている。だから、誰の責任でもない総量へ逃げ込んでいる。
ノアは廊下を離れ、傍聴席のホルムへ会議録の写しを渡した。正式結論は《不足なし》だ。その下に、《白樺谷・熱患者五名》《先行包・移送中》《期限内到達量・未算定》とある。
「未算定じゃ、何も来ないのと同じだ」
ホルムは言った。
「今日中に算定します」
「誰が」
ノアは答えようとして止まった。倉庫番、橋守、運送組合、宿駅、薬師。誰も単独では出せない。
「関係する人を、同じ卓へ呼びます。倉庫の場所は番号にする。日数と使える道は隠さない」
「ベルトは来るのか」
「来なくても始めます。印が必要なところで、来ないこと自体を空欄へ残す」
ホルムは会議録を折らなかった。炭で、正式結論の横へ《村の棚・零》と書いた。
北境全体の不足なし。その同じ紙に、村の棚は零。
どちらかを消して一つの答えにすれば、また別の場所で冬が見えなくなる。
足りている証明は通った。
どの倉庫から出すかだけが、証明の外へ隠された。




