第十九話 祭りまで二日
上書き管を外した日の夕方、王都から早馬が到着した。
監察官の予定変更。
収穫祭の前日ではなく、当日の朝に入城する。それだけなら、調査時間は増えるはずだった。使者が持ってきた二通目の命令書が、残り時間を奪った。
「王都使節団、明日の夜に迎賓館へ入る」
ノアが読み上げる。
商人組合長は祭りの売上帳を机へ置いた。三日間の稼ぎは、市場全体の冬支度の四分の一になる。宿屋は薪を買い、魚屋は塩を仕入れ、日雇いは荷運びの賃金で冬靴を買う。
「飾りを止めれば済むと言うな。使節が来なければ来年の取引も消える。祭りを半分にすれば、冬の食事を半分にする家が出る」
守備隊でも休暇が取り消された。結界庁の隠蔽を兵士の休みで埋めるのか、と書いた不満の紙を、セラは隠さず机へ置いた。
セラが北門詰め所から持ち帰った紙には、祭りの日に休む予定だった兵士の伝言が並んでいた。娘と屋台を回る約束をした者、故郷から来る母を迎える者、冬前に屋根を直す者。休暇取消は一覧では一行でも、町では待つ人の予定を一つずつ壊す。
セラは全員を拘束せず、祭り警備を四刻ごとの交代へ組み直した。北塔停止時は即時帰隊。そのとき戻れない者を責めるのではなく、代替者を二人ずつ決める。
「そこまでして祭りを残すのか」
「祭りだけではない。中止すれば冬を越せない家がある」
「結界が落ちても越せない」
「だから両方の条件を書く」
不満は消えなかったが、誰の休暇が消えるかを副隊長自身が読んだことで、勤務表への署名は集まった。
「警備上の理由により、祭り前夜から迎賓館、祭り広場、北門街路灯を本稼働する。歓迎用結界紋の試験を、明日の夕鐘までに完了すること」
北塔の高負荷運転は、祭り当日からではない。
明日の夕方から始まる。
「残り二日ではありません」
ミナが言った。
「夕鐘までなら、一日と半分です」
臨時調査室の壁に、ノアが予定を書き出す。今夜、上書き管撤去後の夜間試験。
明朝、冷却輪の分解点検。
昼、出口測定石の代替設置。
夕方、負荷試験。
翌朝、再試験と手順確認。
翌夕、迎賓館本稼働。
余白がない。
どれか一つが遅れれば、次の確認時間が消える。
「歓迎用結界紋とは?」
蓮人が問う。
「北門から迎賓館まで、空へ王家の紋章を映す術式です」
ミナが答える。
「町を守る機能は?」
「ありません」
「止められますか」
「王命です」
技術的には止められる。
政治的には止められない。
夕方、バルガスが臨時調査室へ現れた。歓迎紋を止める案を見つけると、紙の端を握りつぶす。
「七年前、南倉庫の魔力漏れを正直に報告した。王都はラグナを重点監察へ入れ、翌年の冬季補助を一割削った。北村へ送る薪が足りず、三世帯が町を出た」
「だから警報を減らしたんですか」
「格下げされれば保守費だけでは済まん。街道、守備隊、穀物貸付も削られる。祭りの失敗は、その判断材料になる」
恐怖は作り話ではなかった。だが今回の危険を住民へ渡してよい理由にもならない。
「使節に弱みを見せないため、町へ弱みを隠した」
セラが言う。
「その結果、避難準備を一日遅らせました」
バルガスは答えず、歓迎紋を残す案へ印をつけた。代官は去り際、売上帳へ目を落とした。七年前に町を出た三世帯の名を、いまも覚えているという。
「北村の粉屋、木こり、産婆だ。王都の役人は三世帯としか書かなかった」
「今回は、結界が落ちればもっと多く出ます」
「だから落とさないと言っている」
「落ちないように見せることと、落とさないことは違います」
「余所者は正しい報告を書けば責任を終えられる。代官は、その紙で削られた薪を住民へ配らねばならん」
「なら、削られた後の代替も報告へ入れます。隠す以外の選択を王都へ同時に出す」
「王都が読むと思うか」
「読ませる人が来ます。監察官へ三部の一つが届く」
ノアが答えた。バルガスの目が封印番号へ向く。三部作成に気づいたが、その場では回収を命じなかった。恐怖と隠蔽の間に、まだ小さな迷いがあった。
夜、商人組合長が冬越しの数字を持ち直した。祭りを半分へ縮めた場合、全店一律の損失では、小店ほど先に資金が尽きる。
「売上の一割を共同保証へ回す」
「大店が納得しますか」
「しない。だから、止める設備の順番と一緒に明日決める」
歓迎紋を削った魔力で動かせる冷蔵箱は六列。魚と薬草を優先し、酒と飾り菓子は板氷へ移す。宿屋は使節団用の客室を一棟へ集約し、空けた棟の暖房を止める。
どの店も損を避けられない。だが、最初から決めず塔が落ちた場合より、失うものを選べる。
セラは兵士の交代表を重ね、店の停止時刻と同じ欄へ警備人数を書く。市場が暗くなる時間は盗難対策を増やし、城壁へ人が必要な時間は商人自身が見張りを出す。利害は一致しないまま、互いの不足を条件付きで埋め始めた。
深夜、共同厨房から祭り用の肉を煮た鍋が届いた。
「冷蔵箱を止める順番で、最初に出す肉だ。本当に止めたとき何人へ配れるか、食べた人数を数えておくれ」
兵士、職人、書記官、商人が同じ鍋から受け取る。ノアは鍋一つで二十四人、配膳に百二十と記録した。
「食事まで計るのか」
「避難食へ使う案ですから」
祭りの損失だった肉が、停止時の備えになる。売上は消えるが、無駄にはしない。女将は空の鍋を見て、根菜を増やせば三十人分になると言った。
バルガスの分も一椀残したが、代官は来ない。
「届けます」
ノアが執務室へ運んだ。戻ってきた椀は空だったが、礼も返答もなかった。
翌朝、組合長は売上の一部を共同保証へ回す案を持ってきた。大店は反対する。小店は額が足りないと言う。それでも、止める店だけに冬の損失を負わせない話し合いが始まった。
「必要な魔力は」
「北塔出力の一割前後。ただし試験起動時は、紋を安定させるため一時的に二割を使います」
今日、迎賓館の照明だけで流路圧は上限へ達した。
さらに二割。
「その試験を行えば、水輪停止の再現条件を満たす可能性があります」
「試験を止める理由になるな」
セラが言った。
「同時に、原因確認の機会でもあります」
ガルドが蓮人をにらむ。
「町の結界で試す気か」
「いいえ。止める準備なしには行いません」
「準備が間に合わなければ?」
「歓迎紋を止めます」
「王命だぞ」
「結界を落とすよりはいい」
「決めるのはお前じゃねえ」
その通りだった。
蓮人に設備停止の権限はない。判断者を決めなければならない。
「ミナさん。いま北塔を止められるのは誰ですか」
「結界庁主任です。緊急時は、当直術師にも一時停止権限があります」
「一時とは?」
「三十数える間です。それを超える停止は、主任の承認が必要です」
「主任と連絡がつかなければ」
「規定にありません」
肝心なところで、また誰も決められない。
「明日の試験責任者は?」
「主任です」
「現場で数値を読むのは?」
「私です」
判断する人と、異常を見る人が別。しかも主任は歓迎式の会議で、塔を離れる予定だという。
「明日までに、停止基準と代理判断者を決めます」
蓮人は壁の予定へ書いてもらった。
「冷却輪の分解点検より先ですか」
リクが問う。
「並行します。設備を直せても、止める判断ができなければ同じです」
「人が足りねえ」
ガルドが言う。
「全部を同時にやるな。順番を決めろ」
蓮人は予定表を見た。
前世なら、自分が夜通し資料を作り、空いた作業を拾っただろう。そのやり方なら、一晩は進む。翌日から、蓮人がいなければ止まる。
「分けます」
冷却輪の分解点検は、ガルド、リク、ハンス。
出口測定は、ミナとエド。
停止基準と避難影響は、セラと守備隊。契約、権限、王命の扱いは、ノア。蓮人は各組の未決事項を集め、互いの依存関係だけを確認する。
「俺は何をすれば」
商人組合長が聞いた。
「市場の設備を、止めたとき困る順に分けてください。すぐ止められるもの、短時間だけ止められるもの、絶対に止められないもの」
「全部必要だ」
「同時に全部守れない場合の順番です」
商人は嫌そうな顔をした。
「嫌な仕事を振る男だな」
「俺も嫌です」
全員が散っていく。
部屋には蓮人一人が残った。
机の上に、未解決の札が積まれている。
歓迎紋の負荷。
停止権限。
治癒院への供給。
市場の冷蔵箱。
出口測定。
夜勤交代。
蓮人は一枚ずつ並べ始めた。
夜が深くなり、セラが戻ってくる。
「まだやっているのか」
「皆から戻る情報をまとめないと」
「戻るのは明朝だ」
「その前に、枠だけでも」
「寝ろ」
「時間がありません」
「お前が倒れれば、もっとなくなる」
蓮人は第一話の会議室を思い出した。
あと少し。
ここまでやれば。
自分が止まれば、全員が困る。そう思い続けて、床に倒れた。
「一刻だけ」
蓮人は交渉した。
「二刻だ」
「一刻半」
「わかった。見張りを置く」
「そこまでしなくても」
「お前は身元不明の拘置対象だ。監視が必要だ」
セラは便利な理由を使った。
蓮人は机を離れた。
期限は短い。
だからこそ、自分一人を期限まで使い潰してはいけなかった。机を離れる前、蓮人は残った札をセラへ預けた。
「起きたら返してください」
「返すかどうかは、明朝の担当が決める」
冗談ではなかった。未解決を持つ人まで、交代の対象になった。バルガスは共同保証へ予備費を出さなかったが、祭礼装飾費から板氷代を立て替える文書には印を押した。
「歓迎紋をやめるとは言っていない」
「氷は、歓迎紋を止めなくても必要です」
ノアが答えると、代官は否定しなかった。方針を変えたと認めずに、失敗した場合の備えだけを一つ許した。




