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俺に魔法は使えない。でも、なぜ王国の結界が落ちたのかは説明できる  作者: pj.masta


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第5巻 第27話 坑道に上がる水

停止から一刻後、水位板は指三本を指した。


 点呼の紙には、退避完了と書かれていた。だがオルドが名を読み直すと、炉床の二人、格子点検の二人、排水輪の留めを確認した一人が、同じ欄へ重なっていた。処理炉の番が出たのか、格子を閉めた者が戻ったのか、入口の家族も兵も答えられない。


 「紙ではなく、場所で数える」


 オルドは言った。坑道口、排水輪、避難棚。三つの場所を順に確かめる。入口の兵が灯の数を数え、セラは避難棚へ続く綱の張りを見た。リナは外で名を呼び、坑夫の家族は返事のあった名へ印をつける。残った者の数を間違えれば、救助に入る人まで水へ残る。


 排水輪の前には誰もいない。だが避難棚の灯が二つ、低い支坑の曲がり角で揺れた。格子を閉めたトムが、戻る荷車道の窪みに水が溜まって動けない。炉床番のネリは、火を落としたあと泥を外へ流さないよう蓋を閉め、別の棚で待っている。


 避難棚にいるのは、格子番のトムと、炉床番のネリだった。トムは足を滑らせ、片方の靴を水へ落としている。ネリは炉の熱で手袋を外していたため、濡れた壁をつかめない。荷車道は近いが水が深く、別の帰路は細い足場を一人ずつ渡るしかない。入口の外では、トムの姉が名を呼び、ネリの父が黙って縄を握っていた。


 水位が指三本半へ上がると、最初の荷車道が消えた。次に使えるのは、壁際の細い足場だけだ。そこも指四本へ届けば、灯を持った者がすれ違えない。


 「再稼働するのか」


 町側の男が言った。


 「命令を破って、また水を出すのか」


 オルドは首を振った。


 「採掘は戻さない。鉱石箱も動かさない。人を出す道を残すために、排水輪を短く回す。回す刻、弁、量は町側に見せる。救助用の排水と、金を稼ぐ操業を同じ言葉にしない」


 オルドは採掘用の槌と鑿を入口の棚へ集め、赤い封じ紐を掛けた。ユードの妻が封印番号を読み、リナが町側の紙へ写す。排水輪を動かしても、採掘が戻っていないことを、坑夫の言葉だけにしないためだった。


 「輪を回すのは誰だ」


 セラが訊いた。


 エダは一歩出たが、オルドが止めた。エダは退避したばかりで、夜番の無記録放流を抱えている。救助のためでも、彼一人をまた坑内へ戻せば、町側は見えないところで弁を動かしたと思う。


 「輪はバンと、外の兵が柄を持つ。バンは仕組みを知る。兵は刻を読む。エダは入口で封印と水位を記す」


 役目を三つに分けると、誰か一人が輪も弁も帳面も持たずに済む。


 「先にトムだ」


 セラは避難棚の灯を見て言った。


 「靴がなく、足場を渡るたびに止まる。ネリさんは炉の裏の棚で壁を支えられる。二人を同時に動かして縄を絡ませない」


 ネリの父は一度、娘の名を呼びかけた。セラは顔を向け、指を唇へ当てる。坑内へ焦った声を入れれば、灯を持つ者の足が乱れる。父は縄の端を強く握り、代わりに外の水位札を見る役を引き受けた。


 バンが輪の柄を押し、兵が砂時計を返す。エダは採掘工具の棚へ行き、赤い封じ紐の番号を読んだ。三十一、槌、鑿、荷車の留め具。ユードの妻が町側の紙へ同じ数字を書き、リナが封印に割れがないことを確認する。輪の音が戻っても、鉱石を掘る音は戻らない。


 「内側、指三本半」


 坑道からバンの声がした。


 「外も、指三本半」


 ネリの父が札を上げる。二つの板が同じ高さを示したことで、セラはトムへ進む合図を出した。


 トムは縄を腰へ結び、裸足のまま壁際の足場へ出た。水が足首へ触れるたび、兵が入口から縄を少しずつ引く。トムは一度、灯を落としかけたが、壁の突起へ手を掛け、次の足場へ体を滑らせた。入口へ出た瞬間、姉は抱きつかず、先に毛布を足へ巻いた。次に入る縄を空けるためだった。


 ネリの帰路が水で塞がったと聞くと、セラは輪を止めなかった。砂時計の残りを見て、炉の裏の空気抜きへ兵を一人入れる。細道は肩を横にしなければ通れない。ネリは濡れた手袋を捨て、兵の灯ではなく壁の白い筋を見て進んだ。下の荷車道では水が音を立てていたが、上の細道はまだ乾いている。


 「一歩ずつでいい」


 外からオルドが言う。


 ネリは返事をせず、最後の段差で兵の腕をつかんだ。二人が坑口へ出ると、バンは砂時計が落ち切る前に輪の柄を止めた。


 ネリの父は娘の肩へ手を置き、それから外の水位札を見た。指三本。輪を回しているあいだに半分下がった。リナは内側から持ち出した板帳と、外の札の刻を並べる。救助のためにどれだけ回し、いつ止めたかを、坑夫の家族も町の人も同じ紙で読む。


 オルドは赤い封じ紐の棚を指した。


 「槌は封じたまま。荷車も動かしていない。今、回したのは救助の輪だけだ」


 ユードの妻は三十一の封印をもう一度確かめ、頷いた。採掘を戻さずに水だけを動かすという言葉が、坑口の道具に残っている。セラは救助を終えた兵へ縄を片づけさせ、誰も水位の上がる坑内へ戻らせなかった。


 それでも壁の裏の水音は、救助が終わったことを待たない。バンが内側の板を見に戻らず、入口から棒を差して水面を測る。水はまたゆっくり上がり始めていた。外の水位札にも、次の刻の印を掛けた。誰も、その札からもう目を離せなかった。


 セラは中止条件を紙へ書かせた。救助者が全員出たら輪を止める。水位が指三本半から上がり続けたら採水を中止し、人と縄の退出を先にする。指四本は退路を失う高さで、その前に全員を外へ戻す。採水箱は回収のために人を遅らせず、危険なら置いて出る。外弁を開けるなら、リナと坑夫家族の立会い、封印番号、量と刻を記す。


 水位札は坑内だけへ置かない。セラは同じ刻みの板を坑口の外へ立て、リナとユードの妻に同時に読ませた。バンが内側で「指三本半」と叫べば、外の板にも同じ札を掛ける。違えば、誰かが聞き違えたか、板の場所が違う。救助排水のあいだ、町側も水位を読む役になる。


 ユードの妻は、空の採水瓶を受け取った。


 「坑夫だけの帳面にはしない。輪を回したら、家で待つ人にも紙を見せて」


 リナは頷く。町の水を守るために止めた命令が、坑夫を水へ閉じ込めるなら、その代償も公開しなければならない。


 トムとネリが外へ出たあと、セラは救助に入った兵まで坑口の線の外へ戻した。縄を持つ者、灯を持った者、輪を回したバン、刻を読んだ兵の名を、入坑と退出の二欄で照合する。今度は「炉床」「格子」「排水」の仕事名を人数の代わりに使わない。オルドが一人ずつ名を読み、本人が返事をし、家族側も同じ名へ印を置いた。


 坑内に残る者、零。救助側で戻っていない者、零。


 セラは、そこで初めて退避完了の横へ二つ目の印を置いた。最初の印は消さず、場所の重複で二人を見落とした、と余白へ残す。誤った完了を塗りつぶせば、次の救助でも同じ数え方へ戻るからだ。


 トムは毛布を巻いた足を治療係へ見せた。切り傷は浅いが、冷えた足をすぐ歩かせない。ネリの掌には、炉の熱で赤くなった跡と、濡れた壁をつかんだ擦り傷があった。父は娘を連れ帰ろうとしたが、ネリは先に、自分が通った空気抜きの入口を板へ描いた。


 治療係は二人の体温と息を確かめ、今夜の坑口当番から外す札を渡した。助かった直後に、知っている道だからと水位見張りへ戻せば、退避させた意味がない。オルドは二人の名を翌朝の処理班からも外し、代わりの当番を決める欄を空けた。救助された者の欠勤を、無断で仕事を捨てた印にはしない。


 入口の家族名簿にも、トムとネリは「帰着、治療へ」と書かれた。姿を見た家族が印を置き、治療係が受け取った刻を添える。坑口を出たことと、無事に家へ帰れることを同じ完了にはしなかった。


 「荷車道が消えたら、ここです。でも、灯を持った人が先。一人ずつしか通れません」


 セラはその図を救助札へ留めた。次の水位上昇で同じ道が使える保証はない。だから帰路の名前だけでなく、使えなくなる高さも書く。指三本半で採水を止め、指四本の前に退出する。箱は置いてよい。人を数え終えるまで、完了の印は押さない。


 ユードの妻は、救助排水を採った箱の番号を読んだ。箱は坑口へ戻っていたが、もし残っていても取りに行かないという条件を、町側の紙にも写す。水を調べるための瓶が、もう一人を濡れた足場へ戻す理由になってはならない。


 オルドは入口から棒を差し、水位を測った。救助のあいだに指三本まで下がった水は、輪を止めてからまた三本半へ近づいている。壁の裏の流れは、二人が助かったことを待ってくれない。


 「今の上がり方なら、溜め槽があふれるまで四刻だ」


 救助は終わった。だが完全停止を続ければ、水は処理炉を通らない低い捨て水路へ近づく。オルドは採掘工具の赤い封印と、再び上がる水位札を同じ紙へ写した。掘らずに閉めることと、何も動かさずに安全になることは、同じではなかった。


 坑内の水は、なお静かに壁の裏から上がっていた。


 溢水まで、四刻だった。

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