第六話 赤い目 前編
翌朝、まだ空がうっすら白いころ。
僕はベッドの上で、しばらく天井を見つめていた。
(自分の力、か)
そう思い、布団から起き上がる。
顔を洗い、簡単に朝食を済ませた。
テーブルの上には、昨日のうちにまとめた荷物が置いてある。
水袋、干し肉、火打ち石、それから、母さんがこっそり入れてくれた小さな香辛料の瓶。
「よし」
肩に荷物を背負う。
「フライ、起きたの?」
扉の向こうから、母さんの声がした。
「もう出るところだよ」
扉を開けると、母さんが立っていた。
「呼びに来たら行くのかと思ったわ」
「門のところで集まるって話だから」
気まずくなって少し目をそらすと、母さんはふっと笑った。
そして、僕の胸元を軽く叩いた。
「行っておいで、ちゃんと帰ってくるのよ」
「うん、行ってきます」
僕はそう言うと、家を出た。
⸻
門の前には、すでに何人かが集まっていた。
朝の空気は白く澄んでいる。
「お、来たな」
門の柱にもたれていたホルスさんが、軽く手を上げて合図をする。
その隣には、ハンターが数人。
一人目は、背中には長い槍、少し長めの黒髪の、背の高い男性。
「フライだな」
「はい」
「ルドーだ、グラムの同期だ」
噂には聞いたことのある名前だった。
村のハンターの中でも、前線で戦う槍使いとして知られている。
「正直、うちの隊に村の見張りが混ざると聞いたときは、耳を疑ったが」
ルドーさんは、口の端を少しだけ上げた。
「ホルスさんが連れてくるなら、ちゃんと意味があるんだろうと思っている」
「足手まといにはならないように頑張ります」
「ああ、初めての狩りなら緊張するだろうがな」
「正直緊張しますね」
「それでいい」
ルドーさんはそれ以上は何も言わず、槍の手入れを始めた。
二人目は、背中に弓と矢筒を背負った青年だった。
ふさふさした緑色の前髪が、目にかかりそうになっている。
「バードです、よろしくです」
「よろしくお願いします」
僕が挨拶すると、バードさんは興味ありげに僕の顔を見た。
「フライくんのことは、ホルスさんから聞いてますよ」
「動物の声が聞こえるとかなんとか」
バードさんが少し前のめりになる。
「なんか見えたら言ってください」
「矢、そこにどんどん飛ばしますんで」
「わかりました」
三人目は、肩までの銀髪をまとめた女性だった。
背はそれほど高くないが、背筋がすっと伸びていて、手には細身の杖。
「シアンよ、村で魔杖使いやってる」
「よろしくね」
名乗る声は、落ち着いていて冷静そうだった。
「魔法使えるし、杖で殴ることもできるから、前線に出るのは慣れてるよ」
(杖で殴るんだ……)
「とにかく初めてなんだから、危ないことはしないようにね」
シアンさんは、少し心配そうに言った。
「はい」
危険を分かっている人は、頼りになる。
「ノエルは?」
周りを見渡しながらホルスさんが言うと、村の方から慌てた足音がした。
「すみません、遅れましたっ!」
肩で息をしながら走ってきたのは、眼鏡をかけた女性だった。
柔らかい茶色の髪を一つにまとめ、小さな杖と大きめの肩掛けバッグを下げている。
「ノエルです、よろしくお願いいたします」
「治療所で、お世話になっております」
「本日は、皆さんの後方支援と治療を担当させていただきます」
ノエルさんはそう言うと頭を軽く下げた。
「ノエルはヒーラーとして優秀だ」
「ハンターの同行も、何度かこなしてる」
ホルスさんが補足する。
ノエルさんは僕を見た。
「フライくん、ですよね?」
「あ、はい」
「お話は伺っています」
「初めての狩り同行で不安かと思いますが、その……できるだけフォローしますので」
「僕もできるだけ頑張ります」
「ホルスさんも、あまり無茶させないようにお願いしますね」
「分かってるさ」
⸻
と、そこへ、門の陰からひょこっとセラが顔を出した。
「狩りに行くって聞いて、見送りにきたよ」
「みんな頑張ってね」
そう言って、セラは一歩下がった。
「ケール先生にも、ちゃんと伝えとく」
「みんな、ちゃんと行ったし、ちゃんと帰ってくるって」
「うん、必ず」
僕がそう言うと、セラは満足そうに頷いた。
「よし、そろそろ行くか」
ホルスさんが門の方を振り向き、ルドーさんたちに声をかける。
「今回の目的は二つだ」
みんなの視線が集まる。
「一つ、グラムが襲われた場所を確認して、もしキラーウルフの群れが近くに潜んでいるなら、どこにいるのか探ること」
「二つ、フライの力が、本当にモンスターに通じるかどうかを試すこと」
ルドーさんが頷く。
「討伐は状況次第ですね」
「村に向かう危険が高いと判断したら、そのときは討伐する」
ホルスさんの目が、鋭くなった。
「その間、お前たちはフライを守れ」
みんなが、それぞれ真剣な表情で頷く。
「フライ」
「危険を感じたら、迷わず下がれ」
「何か聞こえたら、黙ってないで、必ず誰かに言え」
「分かりました」
(この同行で、僕にしかできないことが、多分ある)
そう思うからこそ、足は前に出た。
「じゃ、出発だ」
ホルスさんの一言で、僕たちは村の門をくぐった。
後ろで、木の門が、音を立てて閉まる。
こうして、僕の初めての遠征が始まった。
⸻
森に入ると、空気の匂いがすぐに変わった。
土と湿った葉の匂い。
「ここからは、勝手に前に出るなよ」
ホルスさんが先頭を歩きながら言った。
「基本は、俺とルドーが前」
「バードはその後ろで索敵、シアンはいつでも動けるように真ん中」
「ノエルは一歩下がって、フライの横だ」
「フライ、お前は一番後ろでいい」
「周りの声を聞くのに集中して、前は気にしなくていい」
「分かりました」
呼吸を落ち着けて、少しだけ意識を外に広げる。
(今は、まだ静かだ)
⸻
そこからしばらくは、淡々としていた。
ときどき、バードさんが「右前方、何もなし」「左の茂み、小動物だけ」みたいに短く報告する。
「しっかしあれですね」
バードさんが、弓の弦を指でつまみながら、ひそひそ声で言い出した。
「グラムさんがやられるなんて、想像もしてませんでしたよね」
「そうだな」
ルドーさんが前を見たまま答える。
「あいつはハンターとしての実力なら、かなりのものだ」
「正直、グラムが負けるなら俺も厳しいかもな」
「そのキラーウルフ、相当ですよね」
「相当だ」
淡々と返した。
「だからこそ、放っておくことはできない」
その声には、静かな怒りがにじんで見えた。
「あと、まぁなんていうか」
「村を平和にして、また飲みに行きたいしな」
「そうですね」
「グラムさんを酔いつぶさなきゃってのもありますよね」
バードさんが笑いながら言う。
「冬の狩りのあとに酒場で飲んだとき、グラムさん一人だけ最後まで元気に鍋つついてましたもん」
「ありゃ、酒豪と言うよりバケモンですよ」
「あったねー、そんなこと」
シアンさんがふっと笑う。
「バードとルドーさんはその場で潰れて、私は先に帰っちゃった」
「酔っ払いの相手は勘弁だからね」
「シアンさんも、お酒強いですよね」
「私はほどほどにしてんのよ」
そんな話を聞いていると、胸の中の緊張が少しだけ和らいだ。
(みんな、仲間なんだな)
そう思うと、心が少し和んだ。
⸻
「ホルスさん」
「ん?」
少し前を行く背中に声をかける。
「ホップから、何か連絡とか来ましたか?」
ホルスさんは一歩だけ歩調を落とし、僕の方をちらりと振り返った。
「まだ言ってなかったか」
「はい」
「先日、文鳥で手紙が来た」
「……!」
思わず足が半歩前に出た。
「どう、でした?」
「城には、ちゃんと着いた」
「最初は雑用係だが、騎士見習いとして扱ってもらえることになったってよ」
ホルスさんの口元が、少しだけ緩む。
「剣の腕も買われたらしい」
「いつかアルミ村に胸を張って帰れるように、腕を磨くってさ」
「ホップらしいですね」
嬉しいような、寂しいような、不思議な感情になった。
「あいつは城の中で、そこでしか見れないもんを見てくりゃいい」
「そんで俺たちは、ここでやるべきことをやる」
「お前も、そうだ」
「やるべきことを、ですね」
⸻
昼近くになると、いったん小さな沢のそばで足を止めた。
「ここで、少し休憩しよう」
ホルスさんの声で、それぞれが荷物を下ろす。
ルドーさんは周囲を確認しながら槍を突き立て、バードさんは高い木に登って見張り。
シアンさんは杖を横に置いて、軽く足を伸ばす。
ノエルさんは沢の水を汲んで、手早く水袋を満たしていた。
「疲れていませんか?」
ノエルさんが僕を心配して声をかけてくれた。
「ちょっと足が疲れたけど、大丈夫です」
「初同行で、これだけ歩けてるなら十分ですよ」
すると、バードさんが木の上から声を上げた。
「ホルスさん、ちょっといいですかー!」
「なんだ」
「ここから少し先、林がひらけてるところに獣が一頭……猪っぽいですけど」
バードさんの視線が、僕の方にも向く。
「フライくん、なにか聞こえます?」
意識をそちらに向ける。
(はらへった ねむたい)
そんな、ぐうたらした気配が伝わってきた。
「お腹空いてるみたいですね」
ホルスさんが腕を組んで少し考え、ルドーさんを見る。
「ルドー、簡単に狩れるか?」
「風下から近づけば問題ないです」
ホルスさんの視線が僕に向く。
「せっかくだ、お前料理得意なんだろ?」
ホルスさんがにやっとする。
「得意というか、その、料理は好きですよ」
「じゃあ、頼めるか」
ルドーさんが槍を肩に担ぐ。
「元気なうちに、腹ごしらえはしといた方がいい」
「ろくに何も食わずに、モンスターとやり合うことになったら、後悔もできんからな」
確かに、その通りだと思った。
⸻
しばらくして、戻ってきたルドーさんたちの背には、しっかり血抜きされた猪の肉が乗っていた。
「思ったより太ってなくて、助かった」
シアンさんが魔法で簡易の焚き火を起こした。
「じゃ、腕の見せどころですね!」
ノエルさんが調理道具を差し出してくる。
「調理道具持ち歩いてるんですね」
「ヒーラー同行の基本装備ですよ」
「食べることは生きることって、ケール先生の教えです」
「ケール先生らしいなぁ」
小さなナイフで肉を削ぎ、持ってきた野菜と一緒に鍋に入れる。
塩と、母さんに持たされた香辛料を少し。
ぐつぐつと音を立て始めた鍋から、いい匂いが漂ってきた。
「……いい匂いだ」
ホルスさんが覗き込み、匂いを嗅ぐ。
煮立ったところで、木の椀によそって、皆に配っていく。
「いただきます」
全員で声を合わせてから、スプーンを口に運んだ。
「……お」
真っ先に声をあげたのはルドーさんだった。
「肉も固すぎないし、匂いも抑えてある」
「本当にすごい美味しい」
シアンさんが真顔で言う。
バードさんも口いっぱいに頬張って、うんうんと頷いた。
「フライくん、最高です」
ノエルさんも、目を丸くしている。
「こんなにちゃんと味整えられるなら、ぜひ治療所にも出張で来てほしいくらいですよ」
「それは、さすがに緊張します」
僕は照れながら笑った。
皆が料理を囲んでいるその時間だけは、森の中なのに、なんだかアルミ村の夕食時みたいな空気だった。
そして、食べ終えて片付けを始めるころ、胸の奥をかすかに何かの気配がひっかかる。
(……濁ってる)
さっきの猪とは違う。
(クルシイ タベル コロス アカイ)
飢えと苦しみと焦りが混ざったような気配。
「……ホルスさん」
無意識に声が出ていた。
「何だ?」
ホルスさんは、焚き火を靴先で崩しながら尋ねる。
「何かいます……」
「まだ遠いけど……さっきまでより、はっきりしてきました」
「方向は?」
森の奥に意識を向ける。
そこから伝わるのは、ひどく混乱した、壊れかけの気配。
(クルシイ タベル コロス アカイ)
ぐちゃぐちゃに濁っていて、まともな言葉になっていない。
「あっち……です」
指先が、自然と気配のする方角を指していた。
「距離は?」
「まだ、近いってほどではないです」
「なるほど」
ホルスさんは立ち上がり、皆を見渡した。
「休憩終わりだ」
「焚き火の跡を消して、すぐに動くぞ!」
「了解」
ルドーさんが槍を肩に担ぐ。
「フライ、何か変化があったら、すぐに言え」
「わかりました」
ノエルさんは荷物を背負いながら、僕の方を見た。
「怖くなったら、ちゃんと言ってくれていいですからね」
「はい」
誰も、軽い冗談は言わなかった。
空気が、少しだけ変わった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
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