第六話 赤い目 前編
翌朝、まだ空がうっすら白いころ。
僕はベッドの上で、しばらく天井を見つめていた。
胸の奥が、ずっとざわざわしている。
(行くって、言っちゃったんだよな)
おじいちゃんの家で聞いた話……
「モンスターの声を聞けるのは、お前だけじゃろう」
あの言葉が、何度も頭の中で繰り返される。
「グラムの襲われた場所まで行って、試してみればいい」
そう言われたとき……うなずいてしまった。
(……やるしかない)
布団から起き上がると、冷たい床の感触が足裏に伝わる。
顔を洗い、簡単に朝食を胃に流し込んだ。
食べても食べても、落ち着く気配はない。
テーブルの上には、昨日のうちにまとめた荷物が置いてある。
水袋、干し肉、簡単な包帯、火打ち石、それから、母さんがこっそり入れてくれた小さな香辛料の瓶。
「……よし」
肩に荷物を背負う。
「フライ、起きた?」
戸の向こうから、母さんの声がした。
「もう出るところ」
戸を開けると、母さんが立っていた。
「呼びに来たら行くのかと思ったら……先に行くのね」
「門のところで合流するって話だから」
気まずくなって目をそらすと、母さんはふっと笑った。
「ほんと、あんたって決めたらとことん突っ走る」
「そんなつもりじゃ……」
「いいのよ、褒めてるの」
母さんは僕の胸元を軽く叩いた。
「怖かったら怖いって思っていいから」
「怖くないふりだけは、しなくていい」
「……してる?」
「してる」
即答だった。
「行っておいで、ちゃんと帰ってくるのよ」
「うん!行ってきます」
僕は母さんにそう言うと、家を出た。
⸻
門の前には、すでに何人かが集まっていた。
朝の空気は冷たく澄んでいる。
「お、来たな」
門の柱にもたれていたホルスさんが、顎で軽く合図する。
その隣には、見慣れない顔ぶれが三人。
一人目は、歳はグラムさんと同じくらいの背の高い男性。
背中には長い槍。少し長めの黒髪に、切れ長の目。
「フライだな」
「は、はい」
「ルドーだ。グラムの同期だ」
噂には聞いたことのある名前だった。
村のハンターの中でも、前線で戦う槍使いとして知られている。
「よろしく」
「……正直、うちの隊に村の見張りが混ざるって聞いたときは耳を疑ったが」
ルドーさんは口の端を少しだけ上げた。
「ホルスさんが連れてくるなら、ちゃんと意味があるんだろうと思っている」
「足手まといにはならないように頑張ります」
「足手まといにはなるさ」
あっさり言われた。
「初めての狩りならなおさらだ」
「だから、足手まといにならないようにじゃなく、足手まといでも死なないようにって考えろ」
「……はい」
「それでいい」
ルドーさんはそれ以上は何も言わず、槍の柄を軽く叩いた。
二人目は、背中に弓と矢筒を背負った青年だった。
人懐っこそうな笑顔。
ふさふさした緑色の前髪が、目にかかりそうになっている。
「バードです。よろしくっ」
「よろしくお願いします」
「フライくんのことは、ホルスさんから聞いてますよ」
「生き物の声が聞こえるとかなんとか」
バードさんは興味津々といった顔で前のめりになる。
「うちのハンター達、そういう変わりどころ嫌いじゃないんで」
「なんか見えたらどんどん言ってください。矢、そこに飛ばしますんで」
「がんばります」
三人目は、肩までの銀髪をまとめた女性だった。
背はそれほど高くないが、背筋がすっと伸びていて、手には細身の杖。
「シアンよ。魔杖使いやってる。よろしくね」
短く名乗る声は、落ち着いていて冷静そうだった。
「魔法使えるし、杖で殴ることもできる。前線に出るのは慣れてるよ」
(杖で殴るんだ……)
「とにかく危ないことはしないようにね」
シアンさん少し心配そうに言った。
「……はい」
危険を分かっている人は頼りになる。
「ノエルは?」
周りを見渡しながらホルスさんが言うと、村の方から慌てた足音がした。
「すみません、遅れましたっ!」
肩で息をしながら走ってきたのは、眼鏡をかけた女性だった。
柔らかい茶色の髪を一つにまとめ、小さな杖と大きめの肩掛けバッグを下げている。
「ノエルです、よろしくお願いいたします……っ」
ぺこりと丁寧に頭を下げる仕草も、どこかきっちりしている。
「ケール先生の治療所でお世話になっております」
「本日は、皆さんの後方支援と治療を担当させていただきます」
「ノエルはヒーラーとして優秀だ。ハンターの同行も何度かこなしてる」
ホルスさんが補足する。
「ケールのお墨付きってわけだな」
ノエルさんは僕を見た。
「フライくん、ですよね?」
「あ、はい」
「お話は伺っています」
「初めての狩り同行で不安かと思いますが、その……できるだけフォローしますので」
「……僕もできるだけ頑張ります」
「ホルスさんも、あまり無茶させないようにお願いしますね」
「分かってるさ」
⸻
と、そこへ、門の陰からひょこっと顔を出す影があった。
「フラーイ!」
セラだ。
駆け寄ってきたセラは、僕の顔を見るなり、頬をふくらませた。
「いいなぁ、狩り同行」
「いや、よくないよ。森は普通怖いところだからね?」
「分かってるけどさ」
「あたしだっていつかは同行したいのに、ノエルさんばっかりずるい」
「え、わ、私ですか!?」
ノエルさんが慌てて眼鏡を押さえる。
「ケール先生がまだあんたには早いって」
「集中力と体力が足りない、あとすぐ突っ走る、って」
「合ってますね……」
ノエルさんがぼそっと言ったのを、セラは聞き逃さなかった。
「ノエルさん今なんか言った?」
「い、いえ!なんでもありません!」
セラはふっと表情を緩めると、真面目な顔で僕の方を向いた。
「フライ」
「うん」
「ちゃんと生きて帰ってきてね」
「……うん。ちゃんと帰ってくるよ」
「よし」
そう言って、セラは一歩下がった。
「ケール先生にも、ちゃんと伝えとく」
「みんな、ちゃんと行ったし、ちゃんと帰ってくるって」
「うん、必ず」
僕がそう言うと、セラは満足そうに頷いた。
⸻
「よし、そろそろ行くか」
ホルスさんが門の方を振り向き、ルドーさんたちに声をかける。
「今回の目的は二つだ」
みんなの視線が集まる。
「一つ、グラムが襲われた場所を確認し、同じ個体か、もしその群れが近くに潜んでいるなら、どこにいるのか探ること」
「二つ、フライの力が、本当にモンスターに通じるかどうかを試すこと」
ルドーさんがうなずく。
「無理に討伐はしない。状況次第ですね」
「村に向かう危険が高いと判断したら、そのときは討伐する」
ホルスさんの目が、一瞬だけ鋭く光った。
「その間、お前たちはフライを守れ」
みんなが、それぞれ真剣な表情で頷く。
「フライ」
「はい」
「危険を感じたら、迷わず下がれ」
「何か聞こえたら……黙ってないで、必ず誰かに言え」
「はい、分かりました」
(怖い。けど――)
(僕は、自分が何が出来るのか、知らないといけない)
おじいちゃんや村のみんなは、村でできることをやっている。
ホップだって……
(僕にしかできないことが、たぶんある)
そう思うからこそ、足は前に出た。
「じゃ、出発だ」
ホルスさんの一言で、僕たちは村の門をくぐった。
後ろで、木の門がぎい、と音を立てて閉まる。
森の方から、遠くで獣の声がした。
飢え。警戒。小さな喜び。柔らかな眠気。
胸の奥がきゅっと縮む。
それでも、足を止めなかった。
こうして、僕の初めての遠征が始まった。
⸻
森に入ると、空気の匂いがすぐに変わった。
土と湿った葉の匂い。
「ここからは、勝手に前に出るなよ」
ホルスさんが先頭を歩きながら言った。
「基本は俺とルドーが前」
「バードはその後ろで索敵、シアンはいつでも動けるように真ん中」
「ノエルは一歩下がって、フライの横だ」
「フライ、お前は一番後ろでいい」
「周りの声を聞くのに集中して、前は気にしなくていい」
「……分かりました」
呼吸を落ち着けて、少しだけ意識を外に広げる。
木の上の鳥。
落ち葉を探る小さな獣。
遠くを走る群れ。
あちこちから、ばらばらの感情が流れ込んでくる。
(今は……まだ静かだ)
⸻
しばらくは、淡々としていた。
湿った土を踏む音と、枝を払う音。
ときどき、バードさんが「右前方、何もなし」「左の茂み、小動物だけ」みたいに短く報告する。
「しかしあれですね」
弓の弦を指でつまみながら、ひそひそ声で言い出した。
「グラムさんがやられるなんて、想像もしてませんでしたよね」
「それはそうだ」
ルドーさんが前を見たまま答える。
「あいつは前線でも上から数えた方が早い」
「正直、グラムが負けるなら俺も厳しいかもな」
「そのモンスター相当ですよね……」
「相当だ」
淡々と返した。
「グラムをあの状態まで追い込んだってのは、放っておくことはできない」
その声には、静かな怒りがにじんでいた。
「グラムは、まぁなんていうか」
「飲み比べが出来ないとなると、色々と困るからな」
「そうですね、あの人だけは本当に酔い潰れませんからね」
バードさんが苦笑する。
「冬の狩りのあとに酒場で飲んだとき、グラムさん一人だけ最後まで元気に鍋つついてましたもん」
「あったな、そんなこと」
シアンさんがふっと笑う。
「バードとルドーさんはその場で寝て、私は先帰っちゃった」
「酔っ払いの相手は勘弁だからね」
「シアンさんもお酒強いですよね」
「私はほどほどにしてんのよ」
そんな話を聞いていると、胸の中の緊張が少しだけ和らいだ。
(みんな、仲間なんだな)
そう思うと、胸の奥が少し和んだ。
⸻
「ホルスさん」
「ん?」
少し前を行く背中に声をかける。
「ホップから……何か、来ました?」
ホルスさんは一歩だけ歩調を落とし、僕の方をちらりと振り返った。
「まだ言ってなかったか」
「はい」
「先日、文鳥で手紙が来た」
「……!」
思わず足が半歩前に出た。
「どう、でした?」
「城にはちゃんと着いた」
「最初は雑用係だが、騎士見習いとして扱ってもらえることになったってよ」
ホルスさんの口元が、少しだけ緩む。
「剣の腕も買われたらしい」
「いつかアルミ村に胸を張って帰れるように、剣の腕を磨くってさ」
「ホップらしい……」
嬉しいような、寂しいような、不思議な感情がぐるぐるする。
「あいつは城の中で、そこでしか見れねぇもんを見てくりゃいい」
「そんで俺たちは、ここでやることをやる」
「……はい」
「お前もそうだ、フライ」
「ホップは城で剣を磨く、お前はここで、別のやるべきことをやる」
別のやるべきこと。
テイム。
モンスターの声を聞く。
「やるべきこと……そうですね」
⸻
昼近くになると、いったん小さな沢のそばで足を止めた。
「ここで短く休憩しよう」
ホルスさんの声で、それぞれが荷物を下ろす。
ルドーさんは周囲を確認しながら槍を突き立て、バードさんは高い木に登って見張り。
シアンさんは杖を横に置いて、軽く足を伸ばす。
ノエルさんは沢の水を汲んで、手早く水袋を満たしていた。
「……疲れていませんか、大丈夫ですか?」
ノエルさんが僕を心配して声をかけてくれた。
「大丈夫です。ちょっと足が疲れただけで」
「初同行でこれだけ歩けてるならすごいですよ」
すると、バードさんが木の上から声を上げた。
「ホルスさん、ちょっといいですかー!」
「なんだ」
「ここから少し先、林がひらけてるところに獣が一頭……角の形からして、猪っぽいですけど」
バードさんの視線が、僕の方にも向く。
「フライくん、なんか聞こえます?」
意識をそちらに向ける。
森の中で、どっしりした気配が一つ。
(はらへった ねむたい)
そんな、ぐうたらした感情が伝わってきた。
「……ただの猪だと思う。お腹空いてるみたい」
ホルスさんが腕を組んで少し考え、ルドーさんを見る。
「ルドー、簡単に狩れるか?」
「はい。風下から近づけば問題ないです」
ホルスさんの視線が僕に向く。
「……え?」
「せっかくだ。お前、料理得意なんだろ?」
ホルスさんがにやっとする。
「ええ、料理は好きですよ」
「じゃあ頼む」
ルドーさんが槍を肩に担ぐ。
「元気なうちに腹ごしらえはしといた方がいい」
「ろくに食わずにモンスターとやり合うことになったら、後悔もできんからな」
確かにその通りだ。
⸻
しばらくして戻ってきたルドーさんたちの背には、しっかり血抜きされたイノシシの肉が乗っていた。
「思ったより太ってなくて助かったな」
シアンさんが魔法で簡易の焚き火を起こした。
「じゃ、フライくん。腕の見せどころですね!」
ノエルさんが調理道具を差し出してくる。
「調理道具持ち歩いてるんですね」
「ヒーラー同行の基本装備ですよ」
「食べることは生きることって、ケール先生の教えです」
「ケール先生らしいなぁ」
小さなナイフで肉を削ぎ、持ってきた野菜と一緒に鍋に入れる。
塩と、母さんに持たされた香辛料を少し。
ぐつぐつと音を立て始めた鍋から、いい匂いが漂ってきた。
「……いい匂いだ」
ホルスさんが鼻をひくつかせる。
「ちゃんと、いい匂いがするじゃねぇか」
バードさんとシアンさんも、期待に満ちた目で鍋を覗き込む。
木の椀によそって、皆に配っていく。
「いただきます」
全員で声を合わせてから、スプーンを口に運んだ。
「……お」
真っ先に声をあげたのはルドーさんだった。
「肉も固すぎないし、匂いも抑えてある、うまいな」
「本当にすごい美味しい」
シアンさんが真顔で言う。
バードさんも口いっぱいに頬張って、うんうんとうなずいた。
「フライくん、すごいです」
ノエルさんまで目を丸くしている。
「こんなにちゃんと味整えられるなら、ぜひ治療所にも出張で来てほしいくらいです……」
「それはさすがに緊張します……」
皆が料理を囲んでいるその時間だけは、森の中なのに、なんだかアルミ村の夕食時みたいな空気だった。
でも――。
食べ終えて片付けを始めるころ、胸の奥をかすかに何かがひっかかる。
(……濁ってる)
さっきの猪とは違う。
遠くのどこかで、黒い感情がうごめいている。
(クルシイ タベル コロス アカイ)
混ざった飢えと恐怖と、焦り。
「……ホルスさん」
無意識に声が出ていた。
「何だ?」
ホルスさんは、焚き火を靴先で崩しながら尋ねる。
「何かいます」
「まだ遠いけど……さっきまでより、はっきりしてきた」
「方向は?」
森の奥に意識を向ける。
そこから伝わるのは、ひどく混乱した、壊れかけの感情。
(クルシイ タベル コロス アカイ)
ぐちゃぐちゃに濁っていて、まともな言葉になっていない。
「――あっち……です」
指先が、自然と北西の方角を指していた。
「距離は?」
「まだ……近いってほどではないです」
「なるほど」
ホルスさんは立ち上がり、皆を見渡した。
「休憩終わりだ!」
「焚き火の跡を消して、すぐに動くぞ」
「了解」
ルドーさんが槍を肩に担ぐ。
「フライ、何か変化があったら、すぐ言え。小さなことでもだ」
「はい」
ノエルさんは荷物を背負いながら、僕の方を一瞬見た。
「怖くなったら、ちゃんと言ってくれていいですからね」
「……はい」
誰も、軽い冗談は言わなかった。
空気が、少しだけ変わった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
フライの初遠征です。
次話も読んでいただけると嬉しいです。




