第四十三話 選ぶと決めたから
ホルスさんの部屋を出て、僕はしばらく廊下に立ち尽くしていた。
(腹はくくった、選ぶって決めた、探すって決めた、もがいてでも、進むって決めた)
胸の奥で、その言葉を何度も繰り返す。
「……行こう」
小さく呟いて、階段を下りた。
外に出ると、ガルディアの空はまだ朝の明るさを残していた。
(ファラさんに会う)
(今、確かめないと、ここで逃げたら一生後悔する)
胸の奥で、自分に言い聞かせると、重い足取りでハンターギルドへと向かった。
⸻
ギルドの扉の前で、一度だけ深呼吸をしてから、扉を押し開けた。
中は、朝の喧騒が一段落したところだった。
すでに多くのハンターは依頼へと出払ったのか、さっきほどの人の多さはない。
ちらりとカウンター付近を見るが、そこにファラさんの姿はない。
(ファラさんも、依頼に出ちゃったのかな)
その時だった。
「こんにちは」
柔らかな声が、横から聞こえた。
振り向くと、そこに一人の男性が立っていた。
黒髪を後ろでまとめ、丸い眼鏡の奥で穏やかな目が笑っている。
背丈は僕とほとんど変わらず、細身の体つき。
「どうしたんだい?」
僕の腰の魔杖と服装を見て、目を細める。
「魔杖使いハンターか、珍しいね」
「誰か、お探しかい?」
「あ、はい」
僕は、少し会釈した。
「その、ファラさんというヒーラーさんに用事があって」
「ファラの知り合いかい」
男性は、ふっと笑った。
「ファラなら今、街の依頼で治療所の手伝いをしてるよ」
「怪我人が続いていて、夕方までは戻らないと思うよ」
「そうなんですか……」
僕は、ほんの少し肩を落とした。
「教えてくださって、ありがとうございます」
「どういたしまして」
男性は、軽く肩をすくめる。
「ところで、赤目のキマイラが倒された件で、君は何か知っていないかい?」
何気ない風を装った声で続けた。
「……」
僕は表情を変えずに首を振った。
「いえ、僕もギルドに来て初めて知りました」
「そうか……」
男性は、顎に指を当てながら小さく笑う。
「どうもね、魔法で三つの頭が吹き飛んでいたとか」
「すごい魔杖使いもいるんだなと、感心しちゃってね」
(何か、この人……変なのん)
ムーが、器の中で縮こまる。
(ああ、気配が深い底に沈んでるみたいだ)
パディットが続いて言う。
僕も、その違和感には気づいていた。
目の前の男の気配が、まるで深い井戸の底に沈んでいるような気配。
息を整えながら、僕は笑顔を作った。
「すごいですね、僕も頑張らないと」
「この辺りは、結構強いモンスターが多いからね」
男性は、まるで他愛もない世間話をするみたいに言う。
「ところで、君はどこから来たんだい?」
「キャラバンです、旅の途中で」
咄嗟に答えた。
「なるほどね」
男は、一瞬だけ僕の全身を眺める。
ローブの裾についた砂埃、肩に巻かれた包帯、小さな切り傷。
そして、その奥にある、何かを測るように。
「……大丈夫そうだね」
ぽつりと呟く。
(大丈夫……?)
その一言に、僕は眉をひそめそうになる。
「時間を取らせて悪かったね」
軽く手を振る。
「そうだ、もし大型モンスターを倒したって情報があったら僕に教えてくれないかな」
男性の目が、わずかにだけ細くなる。
「受付に言えば分かるから」
「職員の“ヴェンド”に話があるって言えばね」
「……はい」
僕は、ほんの一瞬だけ喉が詰まるのを感じながらも、頷いた。
「じゃあ、よろしくね」
その背中を見送りながら、僕は冷や汗を感じていた。
⸻
「で、どうなった」
宿に戻るなり、ホルスさんが立ち上がった。
「その顔は何かあったな」
「……ええ、ヴェンドさんに、会いました」
僕は、扉を閉めてからゆっくりと振り向く。
「確かか?」
「自分で名乗っていました」
僕は、顔を思い出しながら言う。
「歳はホルスさんと同じくらいで、身長は僕くらい」
「細身で、黒髪をまとめてて、丸い眼鏡をかけた人です」
「笑ってるんですけど、目の奥が、冷たい感じがしました」
「……なるほどな」
ホルスさんが、腕を組む。
「で、何を話したんだ」
「赤目討伐のことを、気にしていたようでした」
ひとつひとつ思い出していく。
「それと、大型討伐があったら教えてくれって」
「報告が欲しいって」
「……」
ホルスさんは、しばらく考えるように目を細めた。
「使えるかもな」
「え?」
ホルスさんは、唇の端を少しだけ持ち上げる。
「ヴェンドを誘き出す、そこで俺から真相を聞き出す」
「ほ、本気ですか?」
「ああ、多分そうでもしねぇと、この件は片付かねぇ」
ホルスさんの目が、真っ直ぐ僕を見ていた。
「……でも、ホルスさんが生きているってバレても、大丈夫なんですか?」
「大丈夫だ……多分な」
ホルスさんは、あっさりと言った。
「多分……」
苦笑する。
「でも、ファラさんは?」
僕は心配な顔をして聞いた。
「ファラさんは、どうするんですか?」
「成り行き任せになっちまうな」
ホルスさんは、正直に答える。
「……ファラさんは、何も知らないんです」
僕は、拳を握りしめた。
「悪くもないし、巻き込まれてるだけなんです」
「全部、知らないところで起きてたことで……」
「分かってる……でも、どうすりゃいいんだよって話でもある」
ホルスさんは眉間にしわを寄せる。
「……ファラさんに事情を話すのは、ダメですか?」
まっすぐホルスさんを見る。
「そんなことしたら、あいつがショックで何するか分からねぇぞ」
「でも、僕はファラさんに嘘をつきたくないです」
ホルスさんは、ふっと笑った。
「お前のその真っ直ぐさが、いつか牙を剥かないといいけどな」
「よし、じゃあ、それはお前に任せる!」
「え!?」
「多分、あれこれ考えても、この件は綺麗な答えがねぇ」
ホルスさんは、諦めたように笑った。
「だったら、信じられる奴が、信じたように動くしかねぇだろ」
「……動くしかない、もうさっき、覚悟はしました」
僕は、深く息を吸った。
「ファラさんに、僕が事情を話します」
「ヴェンドを誘き出すのは変わらない」
ホルスさんが続ける。
「それなら、お前は⸻」
ホルスさんの作戦を聞きながら、僕は何度も頷いた。
夕方までの時間が、長く、重く感じられた。
⸻
夕暮れ時。
ハンターギルドの前で、僕はひとり立っていた。
西の空が赤く染まっている。
門からは、依頼を終えたハンターたちが、少しずつ戻ってくる。
その中に聞き慣れた声があった。
「あ、フライさん!」
「ファラさん」
緑の髪を結い上げ、少しだけ疲れた顔をしたファラさんが、荷物を下ろしながら駆け寄ってきた。
「朝、逃げるようにいなくなるから、どうしちゃったんだって心配しましたよ!」
「ごめんなさい、ちょっと……気持ちの整理をしてました」
僕は、頭を下げた。
「今、話いいかな」
「え?いいですけど」
ファラさんが首を傾げる。
「少し、場所を変えよう」
ギルドから少し離れた、小さな広場を指さした。
⸻
夕焼けに照らされた小さな公園。
石のベンチと、背の低い木が何本か立っている。
人影はまばらで、風が木を揺らす音だけが聞こえていた。
「まず、何から話せばいいかな……」
ベンチに腰を下ろしながらつぶやいた。
「僕たち、旅してるって言ったよね」
「ええ、聞いてます」
ファラさんも隣に座る。
「実は目的があるんです」
両手をぎゅっと組んだ。
「それは、友達を助けること」
「……友達」
ファラさんが、小さく呟く。
「そう、なんですか?」
「はい」
僕は、一度空を見上げた。
「その友達が、危機になったのに、君のお父さんが関わっているかもしれないんだ」
ファラさんの表情が、一瞬固まる。
「なんですかそれ?」
無理に笑おうとして、うまく笑えない顔になる。
「冗談は寝て言っ……」
そこで言葉を飲み込む。
「いえ、嘘……ですよね?」
「本当です」
僕は、目を逸らさずに言った。
「軍神ライゼルって、ご存知ですか?」
「ライゼル様を知らないガルディア民はいませんよ」
ファラさんが、当然のように言う。
「国を守ってくださった英雄です」
「あなたのお父さん、ヴェンドさんは」
僕は、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「オーガスという名前で、軍神ライゼルの参謀をしていた人物です」
「……いや、待ってください」
ファラさんが、首を横に振る。
「お父さんは、ずっとお父さんで……」
「これは、ファラさんが物心付く前の話です」
「証拠……証拠は、ありますか?」
ファラさんが掠れた声で言う。
「正直に言うと、話さないで進めることもできました」
僕は、胸に手を当てた。
「でも、僕はファラさんと、仲良くなれたと思っています」
ファラさんの瞳をまっすぐ見る。
「一緒に戦って、一緒に笑って、命を預け合った仲間だと思ってます」
「……」
ファラさんは、唇をかんだ。
「何も言わないまま、進むことはできませんでした」
僕は、少し俯く。
「ごめんなさい」
「謝らないでください」
ファラさんが、小さく首を振る。
「それが真実かどうかも、まだ分からないけど」
ぎゅっとルミナストーンの入った小袋を握りしめる。
「フライさんのことは、信じています」
「でも、お父さんも」
ゆっくりと続けた。
「私、信じているんです」
その一言に、胸が痛む。
「だから、真実を一緒に見てほしい」
僕は、静かに言った。
「目を逸らさないで、まっすぐ」
「それでどう感じるかは、ファラさんに任せるしかありません」
「……」
ファラさんは、しばらく黙っていた。
「ですが、ひとつ揺るがないものがあります」
僕は、もう一度顔を上げた。
「僕は、ファラさんの味方です、それだけは絶対に変わりません」
ファラさんが、ゆっくりと僕の方を見る。
「……わかりました」
小さく息を吐いた。
「フライさんが、嘘を言ってるようには見えないので、私も自分の目で確かめます」
パンが器で言う。
(ファラ……強いね)
パディットが続いて言う。
(ああ、オレたちもファラを守る、ファラは仲間だ)
僕は、そっと息を吸った。
「では、確かめる方法ですが──」
そうして、ホルスさんと立てた作戦を短く説明した。
ファラさんは、最後まで真剣な顔で聞いていた。
「……分かりました」
ゆっくりと頷く。
「逃げません、私も自分の目で見ます」
「お父さんのことも、フライさんのことも」
⸻
夕陽が沈みかけたころ。
僕はひとり、再びハンターギルドの受付に立っていた。
「あのー、すみません」
カウンターに声をかける。
「どうしましたか?」
「ヴェンドさんに、お伝えしたいことがありまして」
受付の女性が、ぱちりと瞬きをした。
「分かりました、少々お待ちくださいね」
しばらくして──
「やあ」
今朝と同じ、穏やかな声。
ヴェンドさんが、階段を下りてきた。
「魔杖使いハンターさん、どうしたのかな?」
「今朝話した大型の討伐情報です」
僕は、敢えて少し肩で息をしながら答えた。
「大型を、討伐しました」
「僕だけじゃなくて、パーティーでやっと、ですけど」
ヴェンドさんは、僕の姿を観察する。
「なるほど……分かりました」
眼鏡の奥の目が、わずかに細くなる。
「よく倒せましたね、そのモンスターは?」
「実物を見てもらった方が、早いと思いますが」
僕は、少し声を落とした。
「大丈夫でしょうか」
「ええ、大丈夫です」
ヴェンドさんは躊躇わず頷く。
「見せてもらいましょうか」
「街から、少しありますが大丈夫ですか?」
「ええ、問題ありません」
ヴェンドさんは、ゆったりとした足取りで言う。
「では、行きましょうか」
僕とヴェンドさんは、ギルドの外へと出て行った。
⸻
ガルディアの街を抜け、城壁の外へ出る。
夕闇が少しずつ濃くなり、空には最初の星が瞬き始めていた。
街道から外れた、小さな脇道に入る。
人の気配が遠のき、草むらと低い木々が増えていく。
「そういえば、まだ君の名前を聞いていなかったね」
ヴェンドさんが、歩きながら言った。
「僕は、フライと言います、魔杖使いのフライです」
僕は、まっすぐ前を見たまま答える。
「フライ君、だね……覚えておくよ」
ヴェンドさんは、軽く笑った。
(相変わらず……この人の気配)
パンが器から言う。
(底に沈んでる感じなのん)
ムーが、小さく縮こまる。
やがて、開けた場所が見えてきた。
小さな丘の陰になって、街からは見えない位置。
人気のない、草地の上に人影が立っていた。
「ん?誰か……いますね」
ヴェンドさんが足を止める。
「行きましょう」
僕は、小さく呟いた。
人影が、こちらへ一歩進み出る。
「久しぶりだな、元気そうじゃないか」
「……あなたは、誰ですか?」
ヴェンドさんが、目を細める。
その問いに。
人影は、ゆっくりとローブのフードを捲り上げた。
ホルスさんは、ヴェンドさんをまっすぐに見据えた。
「久しいな、ヴェンド──」
そして、一拍置いて。
「いや、オーガス」
名を呼ぶ。
「話がある」
夕闇の中で、その言葉だけが、はっきりと響いた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
次話も読んでいただけると嬉しいです。




