第四十一話 潜む闇
キマイラが倒れて、しばらく。
「……あ」
ファラさんが、倒れたキマイラの脇腹の辺りを指さした。
「フライさん、見てください」
黒焦げ、裂けた毛皮の間。
そこに、大きめのルミナストーンが転がっていた。
大人の拳くらいはありそうな、特別な大きさだった。
「すごく、大きいですね」
僕はしゃがんで、その石を手持ちの布で包んだ。
そして、振り返る。
「これは」
ファラさんの前に、そっと差し出した。
「ファラさんが、持っていってください」
「えっ」
ファラさんが、目を丸くする。
「こんな、大きいの……」
慌てて両手を振った。
「私、もらえません!」
「いえ」
僕は、首を横に振った。
「巻き込んでしまいましたし」
少し、視線を落とした。
「これをファラさんが持っててくれるっていうだけで」
「僕も、少し救われます」
その言葉に、ファラさんは息を飲んだ。
(今回の立役者は)
器でパディットが呟く。
(間違いなく、ファラだしな)
(なのん)
ムーが、ちいさく跳ねる。
「……」
しばらく、ファラさんはルミナストーンをじっと見つめていた。
やがて、そっと両手を差し出す。
「では──」
柔らかく微笑んだ。
「もらっておきますね」
大事そうに、胸元に抱きしめる。
「ちょっとした、記念ですね」
ファラさんは、照れくさそうに笑いながら言う。
「はい」
僕も笑った。
⸻
そのあと、僕たちはガルディアへと戻る道を歩き始めた。
夕陽はすでに傾き、平野はオレンジ色に染まっている。
「……疲れましたぁ」
ファラさんが、大きく伸びをする。
「でも、やり切った感はあります」
「僕も」
「正直、足がまだちょっと震えてます」
「ですよね」
ファラさんが笑った。
「さっきのキマイラ、普通にギルドに上がってくる依頼なら大型討伐パーティ案件ですもんね」
「偵察のつもりだったのに」
「気づいたら、戦闘でしたね」
「ほんと、それです」
二人は顔を見合わせて、ふっと笑い合った。
やがて、遠くに石壁の影が見え始める。
城壁と、その向こうに伸びる塔のシルエット。
「……あ」
ファラさんが顔を上げた。
「ほら、もう城壁に灯りがつき始めてます」
門の上に、ぽつぽつと光が並び始めていた。
⸻
ガルディアの東門へ辿り着いた時には、空の端がすでに紫色に染まり始めていた。
門の上から、兵士たちの声が聞こえてくる。
「怪我した部分は」
門をくぐる前に、ファラさんがぴたりと立ち止まる。
「ちゃんと治療所で診てもらってくださいね」
真剣な目で、僕の腕を見た。
「火傷は、甘く見てはいけません」
「……はい」
「今日は、本当にありがとうございました」
それから、少しだけ間を置く。
「あと、その」
「色々、ごめんなさい」
「いえいえ」
ファラさんは、首を横に振る。
「色々びっくりしましたが」
少し笑って続けた。
「発見の一日でもありましたよ」
「発見?」
「はい」
さっきまで並んで戦っていた仲間たちを思い出すように目を細める。
「命を賭けてでも守りたいって思える相手がいるって、すごいことだなって」
「フライさん見てると、ちょっと思っちゃいました」
「……そんな、すごいだなんて」
僕は、少し照れくさくなる。
「明日もハンターギルドにいますか?」
「もちろんです」
ファラさんが、肩をすくめる。
「お仕事なので、いますよ」
「よかった」
フライは頷く。
「じゃあ、また明日会いましょう」
「今日はもう、治療所に寄ってから、宿で休みます」
「分かりました」
ファラさんは、軽く手を振った。
「では、また」
緑の髪が、夕暮れの風に揺れる。
人混みの中へ消えていく背中を見送ったあと、僕は治療所へと向かった。
⸻
(このこと、ホルスに報告するの?)
パンが問いかけてくる。
(うーん、しないとだよね……)
自分の腕の火傷跡を一度見てから答えた。
(怒られるだろうけど、ちゃんとするよ)
パンが、少しだけ笑う。
(でも赤目は、何かにつながるかもだし)
(パンは、フライは悪いことしてないと思うよ)
(うん)
僕は小さく頷いた。
⸻
ガルディアの治療所に着く。
入り口には、王家の紋章と治癒の印が掲げられている。
中に入ると、夜に向けて少し人が減っているものの、まだ何人かの患者が椅子に座って順番を待っていた。
受付の女性が、顔を上げる。
「どうされましたか?」
「あ、その」
僕は、少し緊張しながらカウンターに近づいた。
「ホルスさんって方の、お見舞いに」
「ホルスさんですね」
受付の女性が、手元の帳簿をぱらぱらとめくる。
「ちょっとお待ちくださいね」
少し探してから、声を上げた。
「ホルスさんなら、もう出られましたよ」
「え」
フライが瞬きをする。
「昼過ぎ頃でしたっけ?」
受付の女性が首をかしげる。
「たしか、そのくらいの時間に退所されています」
「そう、なんですか」
少し肩の力が抜ける。
「あの、フライさん、ですか?」
「え?」
名前を呼ばれて、顔を上げた。
「そうです」
「フライです」
「やっぱり」
受付の女性が、にこりと笑った。
「ホルスさんから、こちらを渡してくださいと預かってまして」
そう言って、一枚の小さな紙切れを差し出してきた。
簡単なメモ用紙に、きっちりした字で何かが書かれている。
「それと──」
僕は、少しだけ腕をさする。
「あの、僕も火傷を見てもらいたくって」
受付の女性は、僕の腕に視線を落とし、すぐに真剣な顔になる。
「承知しました」
「では、こちらの紙にお名前と症状を書いて、お掛けになってお待ちください」
⸻
治療所での診察は、思ったより手早く、けれど丁寧だった。
火傷の深さを確認され、表面に塗る薬を処方される。
ヒーラーによる軽い治癒魔法もかけてもらい、痛みはほとんど消えていた。
外に出ると、すっかり日は落ちていた。
ガルディアの街灯がひとつ、またひとつと灯り始めていた。
僕は、治療所の前で一度立ち止まり、さっきもらったメモを開いた。
『宿を移った』
『お前の泊まってる宿で部屋を取ってる』
『戻ってきたら顔を出せ』
「……戻ってきたら、ですか」
僕は、苦笑しながらメモをたたんだ。
⸻
宿に戻ると、ちょうど一階の食堂から、いい匂いが漂ってきた。
「お帰りなさい」
カウンターの向こうで、宿主が顔を上げる。
「ただいま戻りました」
僕は軽く頭を下げる。
「あの、ホルスさんって人」
「宿、取られてますか?」
「ああ、取ってるよ」
宿主がお盆を拭きながら指で二階をさした。
「そこの二階の、奥から二番目ね」
「ありがとうございます」
僕は礼を言い、階段を上がる。
二階の廊下には、いくつかのドアとランプの灯り。
奥から二番目の扉の前で立ち止まり、軽くノックした。
コン、コン。
「どうぞー」
中から、声が返ってきた。
僕は、そっと扉を開けた。
⸻
部屋の中では、ホルスがベッドに腰を下ろしていた。
「ホルスさん」
僕は、安堵と少しの緊張が混ざる声で呼びかけた。
「体調、どうですか?」
「もうかなりいいぞ」
ホルスさんが、腕を軽く回してみせる。
「今日は何もせずに休めって言われたからな」
「おかげで、しっかり寝た」
それから、じっと僕を見る。
「お前の方はどうだったんだ」
「……」
僕は、喉が詰まるような感覚に襲われた。
「なんだ、その無言」
ホルスさんが、眉をひそめる。
「ちょっと、また嫌な予感が」
「……ファラさんに」
僕は、観念したように口を開いた。
「テイムバンクを、見られました」
「いや、見せました」
部屋の空気が、一瞬だけ静まり返る。
「はぁ」
ホルスさんが、深くため息をついた。
「それで?」
僕はここまでの経緯を全部話した。
ギルドで赤目の噂を聞いたこと。
ファラさんとパーティーを組んだこと。
ムーが勝手に飛び出して、テイムバンクを見せざるをえなくなったこと。
そして──
川辺で赤目のキマイラと戦い、倒したこと。
⸻
「……まぁ」
ホルスさんはしばらく黙っていたが、やがてぽつりと言った。
「事情は、分かった」
それから、ゆっくりと僕の方を見た。
「とりあえず」
「無事なことが、何よりだ」
その一言に、僕は少し驚いた。
「怒らないんですか?」
「怒るっつうか、だな」
ホルスさんは、頭をかきながら天井を見上げた。
「んー……」
少し間を置いて言う。
「パディットの気持ちも、分かるんだよなぁ」
(そうなのか?)
パディットも少し驚いていた。
(冷静なホルスが、意外だな)
「いやな」
ホルスさんは、どこか遠くを見るような目になる。
「やっぱり、ライゼルが落とされた時のこと」
「どうしても、納得できなかったんだ」
「ライゼルは、王族とか関係なく、友だった」
短く笑う。
「仕事では戦友で」
「酒場では、ただの酒の弱いおっさんで」
「でも、あの人がいたから」
「俺は戦う理由をちゃんと持ててた」
僕は、黙って耳を傾けていた。
「それが、あんな形で終わって」
「戦争も、国も、ぜんぶぐちゃぐちゃになって」
「何もかも失ったって思ってた」
「なのに、今になってこうやって色々繋がってきて」
ホルスさんの口元に、皮肉とも寂しさともつかない笑みが浮かぶ。
「一本の線になりつつある」
「そんな気がしてならねぇんだ」
「僕も」
僕は、そっと言葉を挟んだ。
「分かる、気がします」
アルミ村から出てきて、ここまでにあったことを思い出す。
「全部、どこかで繋がってる気がして」
「偶然だけじゃないって、思いたくなるというか」
ホルスさんが、ぽんと膝を叩いた。
「どっかで、繋がってんだよ」
「だから、パディットが赤目をどうにかしたいって思うのも」
「きっとどっかに繋がるんじゃねぇかって、そう思う」
(……ホルス)
パディットが、静かに目を伏せる。
(ありがとな)
「パディットがホルスさんにありがとうって──」
言葉の最中でホルスさんが入ってくる。
「だから、パディット“は”咎めねぇ」
「でも」
まっすぐに僕を見る。
「フライ、お前は別だ」
その声には、先ほどまでとは違う真剣さがあった。
「無茶すんなって、あれほど言ったよな」
「……はい」
素直に俯いた。
「自分で、選びました」
「それで」
ホルスさんは、ゆっくりと言葉を区切る。
「命が消えることもある」
「それだけは、絶対に忘れんな」
部屋の空気が、少しだけ重くなる。
「……はい」
僕は、胸の奥に言葉を刻むように頷いた。
「ま、でもだ」
ホルスさんが、少しだけ表情を緩める。
「今回は、赤目が出たって情報は、かなりデカい」
「やっぱり何かあるんですか?」
僕は、顔を上げた。
「テイマーだよ」
「……僕?」
「いや、お前じゃなくて他のテイマーだ」
ホルスさんは苦笑する。
「そういえばファラさんがテイマーってもっと悪い奴みたいな」
僕は、昼間のファラさんとの会話を思い出す。
「そんな感じのこと、言ってました」
「あながち、間違っちゃいねぇ」
「テイマーってのは本来、魔術で怯えさせて従わせるもんだからな」
僕は小さく首を振る。
「でも、モンスターって」
「もっと、こう……あったかいのもいますよ?」
「人間と変わらないです、心があります」
「お前なぁ……」
ホルスさんが、額を押さえた。
「それはお前が特殊すぎるからだろうが」
「モンスターの言葉が分かる奴なんて」
ため息をつく。
「世界でお前だけだわ」
「ファラさんにも、同じこと言われました」
僕は、ちょっとだけ笑った。
「だからまぁ」
ホルスさんは、話を戻すように指を折る。
「名称で言うなら、区別して闇テイマーとでもしとこうか」
「その闇テイマーが、この街にいるかもしれねぇな」
「……!」
僕は、思わず息を呑んだ。
「赤目は人為的なもんだと、俺は確信している」
ホルスさんの声が低くなる。
「自然発生なら、もっと前からその現象はあってもおかしくない」
「少なくとも、俺が知っている限り、赤目なんて話は聞いたことなかった」
「確かに……」
ホルスさんの視線が、遠くを見た。
「しかも平野を危険にしたい、そう思うなら、今赤目が出るのは、最高のタイミングだ」
「要は誰かにとっての都合が良すぎんだよ」
背中に、冷たいものが走る。
「誰か……」
「闇テイマー自体は誰か不明だがな」
ホルスさんは続ける。
「この街に潜んでる可能性は高い」
「これは俺の予想だがな」
(たしかに)
パンが、頷くように言う。
(長年アルミの森にいたけど、赤目なんて見たことなかったよ)
(俺もだ)
パディットが続ける。
(各地の森を転々としてたが、そんな話聞いたことないな)
「牧場のみんなも」
僕は、胸に手を当てる。
「聞いたことないって」
「だろうな」
ホルスさんが、深く頷く。
「だとしたら、突然の自然発生は考えにくい」
「俺は、闇テイマーの仕業じゃねぇかと思ってる」
「……確かに」
「筋は、通ってる」
⸻
「パディットはキラーウルフだな」
ホルスさんが、ふと思い出したように言う。
「アルミ村にずっといたわけじゃねぇよな?」
(ああ)
パディットが、胸を張る。
(俺たちキラーウルフは獲物を探して、森から森へ旅をする者だ)
(森を駆ける、森の覇王と呼ばれている)
「移動していたそうです」
僕が通訳する。
「森から森へ、各地を回っていたって」
「じゃあ、どの方向からアルミ村に来た?」
ホルスさんが、指で空中に線を引いた。
(……この辺りの森だったような気がする)
パディットが、目を細める。
(ただ、俺の記憶はアルミ村までは残ってないんだ)
(気がついたら、アルミ村周辺にいたと言う方が正しいな)
(赤目になって、な)
「気づいたら、アルミ村付近で赤目になっていたそうです」
僕は、少しうつむきながら伝える。
ホルスさんは、しばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと言う。
「……ほぼ、確定だな」
「闇テイマーの実験なり、なんなりが」
「パディットのいた森の方で行われていて」
「そこで何かされたパディットが」
「赤目になった状態で、アルミ村近くまで彷徨い流れてきた」
僕は、拳を握る。
「そんな……」
「だからこそだ」
ホルスさんが、まっすぐに僕を見る。
「明日ギルドへ行って、ファラに聞いてほしいことがある」
「聞いてほしいこと……?」
「ヴェンドって人は知っているか?ってな」
「……!」
胸が、どくんと鳴った。
(おい)
パディットが、低く唸る。
(それって──)
「繋がってんだよ」
ホルスさんは、静かに言った。
「たぶんな」
軍神ライゼルの側近、オーガス。
今は、ハンターギルド幹部ヴェンドと名乗っているその男。
「分かりました」
しっかりと頷く。
「明日、ファラさんに会います」
「ヴェンドさんのことを、知っているか聞いてみます」
「頼んだ」
ホルスさんが、短く言う。
「今日は、もう休め」
「色々ありすぎたろ」
「……はい」
僕は立ち上がり、軽く頭を下げた。
「おやすみなさい」
「ああ」
ホルスさんが、片手をあげる。
僕は、背中を押されるように、部屋を後にした。
⸻
廊下に出ると、もう宿はすっかり夜の静けさに包まれていた。
部屋に戻り、ベッドに腰を下ろす。
窓の外には、ガルディアの街の灯りが、散らばっていた。
僕は明日のやることを確認すると目をつぶった、そのまま意識は遠くなり、眠りについた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
ガルディアに潜む闇とはいったい何なのか。
次話も読んでいただけると嬉しいです。




