第四話 村に迫る影
ホップがガルディアへ旅立ってから、数日が経った。
僕は、北の丘の見張り小屋に立っていた。
村の畑を見下ろし、その向こうに広がる森と山を見る。
耳を澄ますと、鳥や獣の気配が、前よりずっと濃くなっている。
(あったかい きもちいい おちつく ねむい)
そんな感情の断片が、流れ込んでくる。
「……よっ、と」
見張り台の柵に肘をついて、空を見上げる。
下の方では、剣術道場から、木剣の打ち合う音が聞こえていた。
見下ろすと、木の杭を相手に木剣を振るう男の姿がある。
短く刈った黒髪。
がっしりした体つき。
ホップの父、ホルスさんだ。
父と言っても血は繋がっていない。
ホルスさんは、ホップの育ての親だ。
ホルスさんはいつも通り、黙々と木剣を振っていた。
すると、ホルスさんがこちらに視線を上げた。
小さく手を振ると、ホルスさんは剣を収めてから、ゆっくりと坂道を上ってくる。
「おう、フライ」
「ホルスさん」
額には汗がにじみ、呼吸は少し荒い。
「見張り、どうだ?」
「ホップがいたときは、退屈しなかったけど、今は静かですよ」
「ふっ」
ホルスさんは短く笑った。
「あいつは、黙ってるのが苦手だからな」
「……寂しいですか?」
ホルスさんは少しだけ目を細めた。
「寂しくないと言えば、嘘になるな」
「でも、あいつは自分で決めた。だったら俺は背中を押してやるさ」
そう言って、ホルスさんは軽く肩をすくめた。
「異変がないならいいんだ。お前はお前の仕事頑張れよ」
「はい」
そう言うと、ホルスさんはまた道場へ戻って行き、僕は再び見張りへとついた。
すると、
「フライ!」
少し高めの声が、見張り台の下から響いた。
見下ろすと、栗色の髪をひとつに結んだ少女が、両手でかごを抱えて坂を上ってくるところだった。
治療師見習いの少女セラだ。
⸻
息を切らせて坂を上りきると、セラはかごから水筒を取り出した。
「ほい、薬草入りハーブ茶」
「ケール先生が、見張り中に飲めってさ」
「ありがとう、わざわざ届けに?」
「先生にお願いされたの……フライ、また倒れちゃうよ?」
「それに、どうせなら外も歩きたいの」
「家と治療所だけじゃ、体なまっちゃうからね」
セラはふわっと笑った。
肩までの髪はよく動き、表情もころころ変わる。
治療所で薬草を扱い、治癒魔法を学びながら、けが人や病人の手当てを手伝っている。
四日前、僕が祠から担ぎ込まれたときにも、必死で布を替えたり、汗を拭いてくれていたらしい。
「……その、フライ」
「うん?」
セラは少しだけ頭を下げた。
「意識が戻らない人を看るのって、初めてでさ」
「ケール先生は平気な顔してたけど、あたし、正直怖かったんだ」
「ごめん、心配かけたね」
「ううん、生きてるんだから、それで十分」
「たださ、あらためて、よかったなって思って」
胸の奥が、じわっとあったかくなる。
「そういえばさ」
セラは、じっと僕の顔をのぞき込んだ。
「生き物の気持ちが分かるって、本当なの?」
「……誰から聞いたの?」
僕はセラに聞き返す。
「小さい頃に噂で聞いたことあったんだ。この村に生き物の声が聞こえる子がいるって」
「本当だったら、羨ましいなぁと思ったけど、そんなわけないって、正直信じてなかったんだ」
セラは俯いて続ける。
「そしたらこの騒ぎでしょ?」
「あ、この人だー!って」
僕はため息をつく。
「……昔から、なんとなく分かるだけだよ」
「なんとなく?」
少し意識を周囲に広げて、気配を見る。
木の上で丸くなっている小さな影。
畑の端で土を掘る小さな足音。
「あっちの木の上で一羽、寝そうな鳥がいて、こっちの畑の端には、何か探してるウサギがいる」
すると、セラは目を輝かせた。
「すご……!」
「すごくはないよ。聞こえるだけだしね、気味悪がられる方が嫌だよ」
セラはベンチに腰を下ろし、膝を抱えた。
「そっか……でも、いいなぁ」
「……あたしも、可愛い動物と喋ってみたいな」
「セラは動物好きなんだね」
「うん、可愛いじゃん、癒される」
そんな会話をしていたときだった。
村の方から、声が聞こえた。
「怪我人だ! グラムが戻ってきたぞ!」
緊迫した声。
セラはびくっと肩を跳ねさせ、すぐに立ち上がった。
「グラムさん!? ちょっと、行ってくる!」
「僕も行く!」
二人で見張り台から丘を駆け下りる。
村の入り口まで下りると、騒ぎの中心がすぐ分かった。
荷車に横たえられているのは、大柄なハンターのグラムさんだった。
肩と脇腹、それに太もものあたりが赤く染まっている。
布で押さえられた傷口から、じわじわと血がにじみ出ていた。
「グラムさん!」
セラが駆け寄るより先に、長い茶髪を後ろでまとめた女性が、すでに傷を確認していた。
鋭い目つきだけど、手つきは落ち着いている。
村のヒーラー、ケールさんだ。
「セラ! よく来た、手を貸して!」
「はい! ケール先生!」
ケールさんは短く言うと、すぐに指示を飛ばす。
「布! もっと清潔なの!」
「そこから支えて、身体を傾けないように!」
「分かりました!」
僕は荷車の反対側に回り、グラムさんの体をそっと支えた。
顔は青ざめて、呼吸も荒い。
「うっ……」
掠れた言葉がグラムさんの口から漏れる。
「モンスター……キラーウルフ……みてぇな……いや、違う……あれは……」
グラムさんの視線は焦点が合っていない。
「……目が……真っ赤で……」
「喋らなくていいから、息だけしてなさい!」
ケールさんがぴしゃりと言う。
「セラ、そのまま押さえて」
「力は入れすぎないでね、血の流れを邪魔しちゃうから」
「分かりました!」
セラは真剣な表情で布を握る。
ケールさんは腰のポーチからすり潰した薬草を取り出し、素早く傷口に塗り込んでいく。
「噛み跡……この傷、獣じゃないわね……」
「〈〈リール〉〉」
ケールさんとセラで、回復魔法をほどこす。
「とにかく今は止血! 細かいことはあとでいいわ」
「ケール先生!」
後ろから誰かが呼ぶ。
「担架、持ってきました!」
「よし、治療所まで運ぶわよ」
「フライ、グラムの足側を頼める?」
「はい!」
荷車から慎重にグラムさんを移し替え、数人で担架を担いで治療所へ運ぶ。
セラが先回りして扉を開け、寝台の準備をする。
治療所の中は、いつもの薬草の香りがする。
しばらくして、処置が終わり、ケールさんが大きく息を吐く。
「……ひとまず、命は大丈夫そうね」
治療所のベッドの上で、グラムさんは浅い呼吸をしていた。
顔色は悪いが、さっきのような荒い息ではない。
「よかった……」
僕も、緊張が少しだけゆるむ。
「でも、あんな深い傷……爪とか牙かな……」
セラが小さくつぶやいた。
「そうね」
ケールさんは真剣な顔つきのまま言う。
「野犬や狼とも違うような、強く噛みちぎろうとした傷に見える。モンスターの……可能性が高いわね」
その言葉に、部屋の空気が張り詰める。
「とにかく、ここにいたってしょうがないわ」
ケールさんはセラに振り返る。
「セラ、村長に知らせてきて」
「グラムの命は大丈夫」
「襲ったのは、モンスターの可能性が高いって」
「分かりました!」
セラは駆け出し、治療所から飛び出していった。
ケールさんは一息ついてから、僕の方を見た。
「フライ、あなたも一度家に戻りなさい」
「……分かりました」
グラムさんの顔を一度だけ見てから、僕は治療所を後にした。
⸻
日が沈み、村のあちこちに灯りがともり始めた頃、おじいちゃんが訪ねてきた。
「フライ、今から少し話をしたい」
「わしの家まで来てくれんか」
「なに?……分かった」
「家まで来たら話す。たのんだぞ」
ただ事じゃないのは、声で分かった。
少し休んだあと、僕はおじいちゃんの家へ急いだ。
⸻
おじいちゃんの家の奥には、普段は滅多に入らない部屋がある。
簡素な丸テーブルと椅子がいくつか置かれた、会議室みたいな小さな部屋。
テーブルの上にはランタンが一つ。
その灯りが、集まった顔ぶれを照らしている。
村長のおじいちゃん。
剣術師範のホルスさん。
治療師のケールさん。
それと、僕。
「来たか、フライ」
「お邪魔します」
おじいちゃんはうなずき、空いている椅子を指さした。
「そこに座りなさい」
「……今夜の話は、あまり大勢に一度に話すと混乱を招く」
「まずはここにいる者たちだけで、共有しておきたい」
僕はこの場の緊張を感じながら、椅子に腰を下ろした。
「じゃあ、まずはケールから聞こうかの」
ケールさんが軽く咳払いをして話しはじめる。
「……グラムの怪我について、簡単に説明するわね」
昼間と同じように、淡々と状況をまとめていく。
「肩・脇腹・太ももの三か所、どれも牙で噛まれたような傷」
「私は、モンスターに噛まれたと見ているわ」
「グラム本人は何か言っていたか?」
ホルスさんが尋ねる。
「意識が混濁してたからはっきりはしてないけど……キラーウルフだけど、目が真っ赤だったって」
「キラーウルフなんてもんが、この森に!? しかも単独で……?」
「さらに……目が真っ赤?」
ホルスさんは腕を組んで目を閉じた。
「森のどの辺だったかは?」
「村から半日ほど北に入った地点だそうよ」
ケールさんがホルスさんの方を向いて言う。
「近くはねぇが、遠くもねぇ。モンスターがこっちまで来てるってことか」
ホルスさんの言葉に、おじいちゃんがうなずいた。
ホルスさんが続けて、僕の方を見る。
「フライ、お前は生き物の声を聞けるのか?」
「うまく言えないんですけど……」
僕はテーブルの上のランタンの火を見つめた。
「感情とか気配とか……そういうのが分かります」
感じる感覚を精一杯伝えてみる。
「……フライの感覚は、軽く扱えないと思うわ」
ケールさんが真面目な声で言う。
「だな」
ホルスさんもうなずく。
「俺たちには聞こえないもんが、こいつには聞こえてる」
おじいちゃんが、ゆっくりと皆を見渡した。
「……よし、状況は分かった」
「このままモンスターを放置するには、危うすぎる」
「じゃが、村の皆に一度に話して不安を煽るのも得策ではない」
「だから、この場か」
ホルスさんが言う。
「そうじゃ」
「ここから先は、解読を進めておる文献によりわかった、村のことになる」
皆、真剣に耳を傾けている。
「アルミ村ができる前、この一帯はもっと危険な土地だったそうじゃ」
声はどこか張り詰めていた。
「森も深く、周囲にモンスターも多く、到底人の住む場所ではない」
「そこに、一人の男が現れた」
「……ゼイン」
僕は思わず、小さくその名前を口にした。
おじいちゃんは、今は何も言わずに話を続ける。
「文献によると、ゼインという男が竜と契りを交わした」
「竜はこの地の地下深くで眠り、そのあいだこの周りからモンスターを遠ざける」
ホルスさんが眉をわずかに上げた。
「この集落は、ちょうどその竜の加護にあったらしい」
「それで、普通ならとても住めん土地に、人が住めるようになった」
「竜は三百年近く眠り、力を溜め、次に目覚める時に備える」
「……なるほどな」
ホルスさんが小さくうなずく。
「竜が眠っている間だけ、この辺りが安全になる」
「今までモンスターがほとんど寄りつかなかったのは、そのおかげってわけだな」
「実際、アルミ村の周りだけはモンスターは出ない」
「遠くの街道には出ても、近くの森やアルミ村までは、ほとんど来なんだ」
「……そうですね」
ケールさんが静かに言う。
「さらに竜が眠りから目覚めに入るとき、力を内側に収束させるらしい」
「その分、周りへの加護が弱まり、獣やモンスターが近づきやすくなる」
ケールさんがゆっくりとうなずく。
「ここ最近、動物が戻ってきたのもその影響かもしれない……そう考えると、辻褄は合うわね」
「そして今日、ついにモンスターに襲撃される者まで出てしまった」
ホルスさんが言う。
「フライ」
おじいちゃんが僕を見る。
「お前は、竜のことをどう思う」
その問いに、僕は少しだけ迷ってから口を開いた。
「あの祠とか、今の話とか……」
「全部見て聞いてると、何かがあるとしか思えません」
おじいちゃんは目を細めた。
「わしも、そう思っとる」
「で、村長」
ホルスさんが村長を見て言う。
「竜の眠りが揺らいでるとして、俺たちはどう動く」
「まずは、できることからじゃな」
「ハンターの見回り範囲の見直しと、村人が危険な方角へは一人だけで行かぬよう徹底すること」
「了解」
ホルスさんがうなずく。
「柵や囲いも、できるところから補強しないとな」
ケールさんが続ける。
「治療所の備えも見直した方がいいわね」
「あとは、村の皆にはどう伝えるかだな」
ホルスさんが尋ねると、おじいちゃんは少し考えてから答えた。
「グラムが、モンスターらしきものに襲われた可能性がある」
「だから当面、見張りを増やし、外に出るときは気をつけるように……それくらいかのぉ」
「竜の話は、余計な不安だけを煽ることにもなりかねん」
「そうですね」
ホルスさんも同意する。
「全部一気に話したところで、できることはそう変わらない」
「まずは俺たちで状況を見ながら、少しずつだな」
「そういうことじゃ」
話し合いは、そこからしばらく具体的な段取りに移った。
誰が見張りにつくか。
ハンターの組み合わせをどうするか。
柵の補強に回せる人手はどれくらいか。
⸻
「……よし、今日はこのあたりでいいじゃろう」
会議はいったんお開きになった。
「ホルス、お前は明日の朝、ハンターたちに話を通してくれ」
「了解」
「ケールは治療所へ戻って、グラムの意識があるようなら、今の話を伝えてやってくれ」
「分かりました」
それぞれが立ち上がり、椅子のきしむ音が部屋に響く。
家に戻ろうか、そう思ったところで背後から声がした。
「フライ」
「皆には今話したことで十分じゃが、お前にはもう少し話しておかねばならんことがある」
「明日、家に来てくれ」
「……分かったよ」
そう答えると、おじいちゃんはゆっくりとうなずき、家の奥へと入っていった。
⸻
部屋の外に出ると、夜はすっかり深くなっていた。
空には星がくっきりと浮かんでいる。
「ふぅ……」
僕は外の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
帰り道、自然と治療所の前で足を止める。
ベンチに、誰かが腰を下ろしていた。
「……セラ?」
「あ、フライ」
振り向いたのは、セラだった。
「グラムさんは?」
「今、ケール先生が様子見てる」
「あたしはちょっと外の空気吸ってろって、追い出されたとこ」
セラは苦笑した。
「さっき、先生から聞いたよ」
「モンスターかもしれないって」
「うん」
セラは膝に肘を乗せ、空を見上げる。
「色々怖いけどさ、怪我人が出たら治す。そんでちゃんと食べる」
「私はそれくらいしかできないんだよね」
その割り切り方が、ちょっとだけ羨ましい。
「フライも、無理しないでね」
セラは僕を見て言った。
「……してる?」
「何かを思い詰めてるような顔の時あるもん」
即答だった。
「……気をつけるよ」
そう答えると、セラはふっと笑った。
「じゃ、あたし戻るね」
「うん、またね」
セラは軽く手を振って治療所の中へ戻っていった。
僕は夜空を一度見上げる。
僕は、小さく息を整えて、絡まる思考を休めるために、家へと戻った。
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