第三十八話 信頼の行方
ガルディア東門を抜け、しばらく歩いた。
昨日も通ったはずの平野なのに、調査しに来たと思うだけで、まるで違う場所に見えた。
「どっちに行きましょうか」
丘の上で足を止めると、ファラさんが隣に並んだ。
「フライさんの調査ですので」
緑髪を揺らして、辺りを見回す。
「行きたい方向へ、どうぞ」
「じゃあ──」
僕は、一度遠くの地平線を見渡してから、器に声をかけた。
(クロープ)
(強い気配を、徒歩半日圏内で探れるかな)
(んー……)
のんびりした声が返ってくる。
(広いから、ちょっと待っててねー……ZZZ)
「フライさんって」
不意に、横から声が飛んできた。
「いっつもボケー……」
ファラが、じっとフライの顔を覗き込む。
「……じゃなくって」
慌てて言い直した。
「時々、何か止まってる感じの時ありますよね?」
「へっ」
僕は思わず変な声が出た。
「あー、その」
焦って、言い訳を探す。
「ちょっと、頭の中で色々考えてて……」
危うく心の中の言葉を、口に出しそうになる。
「ふーん」
ファラさんが、じとっとした目になる。
「な、何でもないですよ」
(変なところ鋭いな、ファラさんは)
(ぼろ出さないように気をつけてね)
パンが笑いながら言った。
⸻
(フライ)
パディットが声をかけてきた。
(お願いがある……)
(もし赤目が出たら)
少し間を置いて──
(戦いたい)
思わず足を止めかけた。
(でも、ファラさんが見てるよ)
(分かってる)
パディットは、それでも譲らなかった。
(分かってるけど)
(赤目の件で、オレは黙っていられない)
(あの時──)
かつての記憶が蘇る。
制御できないほど膨れ上がった力。
頭の中を埋め尽くす破壊衝動。
血の匂い。
(下手したら、オレは死んでいた)
(フライと出会わなかったら)
(今頃……)
そこから先は、言葉にならなかった。
(でも、テイムバンクを見られるわけには……)
ぎゅっと拳を握る。
(ホルスさんが聞いたら、激怒して、呆れて、それから──)
言いかけたところで、パンが冷静に言う。
(パディットの言ってることも分かるよ)
(いつも冷静なパディットが、ここまで言うのは珍しい)
(私としても)
ネールが、静かな声で言う。
(パディットの意見を尊重したく思う)
その時──
「まただ!」
現実の方で、ファラさんが叫んだ。
「フライさん?」
「だ、大丈夫!」
慌てて顔を上げる。
「行こうか!」
「……あ、や、し、い」
ファラさんは、さらに怪しさを募らせた表情で、じーっと僕を見つめた。
⸻
歩きながらも、器の中で会話は続いていた。
(ファラなら)
パディットが、ぽつりと言う。
(信用できる)
(王サイドには関係ないし、誰にも言いふらさないと思う)
(でも、リスクがでかすぎるよ)
(ガルディアの中心で、テイムのことがバレたら、ただの変わったテイマーじゃ済まない)
パディットは、それでも譲らない。
(それでも頼みたい)
(気持ちはわかるけど)
ムーは、何も言わず、ローブの中で小さく丸くなっていた。
(でもねパディット……)
僕が、そこまで考えた、その瞬間だった。
(……ぷはっ!)
僕のローブから、変な音がした。
「え?」
と思う間もなく──
(のんっ!)
僕のローブの中から、ぽよん、と何かが飛び出した。
「ムー!?」
顔が真っ青になった。
「うわっ!」
隣のファラさんが、反射的に叫ぶ。
「スライムですよ!」
ファラさんは素早くローブの裾をつまみ、いつでも杖を抜けるような体勢になった。
「どこから出てきました!?」
「し、しょうがないです」
ファラさんは勢いのままに、杖の柄に手を伸ばす。
「強敵ですが、戦いますよ!」
「ま、待って!」
僕が慌てて手を伸ばした瞬間。
ムーは、ぴょん、とフライの足元に着地すると──
(のん)
と言いながら、フライの足にぷにぷにと頬ずりした。
それから、そのままぴょんと跳ねて、僕の肩に当たり前みたいな顔で乗った。
「……え?」
ファラさんが、絶句した。
「フ、フライさん危ないです!」
「スライムですよ!?」
ファラさんが叫びながら、半歩前に出る。
「違います!」
僕は、慌てて手を振った。
「ファラさん、違うんです!」
「あの、その……なんというか……」
言葉が喉でつっかえる。
「このスライムは、仲間なんです!」
「……は?」
ファラさんが、完全に止まった。
「何を、訳分かんないこと言ってるんですか!」
そう言いつつも、どう見てもさっきからこのスライムは僕に懐いている。
攻撃する気配は、まったくない。
むしろ、楽しそうに肩の上で、ぷるぷる揺れている。
「へ?」
ファラさんが、眉をひそめた。
「ま、まさか」
「本当に……ですか?」
「……です」
観念したように肩を落とした。
「えっと」
深呼吸をひとつ。
「スライムの、ムーです」
(のん!)
ムーが、頭の上で元気よく跳ねる。
「絶対、内緒ですよ!」
慌てて付け足した。
「そ……」
ファラさんが一泊おいて。
「そんなこと……」
「い、言えるわけないじゃないですか!」
「た、い、へ、ん、なことになります!」
ファラが、半泣きみたいな顔で叫ぶ。
「というかモンスターが仲間とか、おかしいし変……」
そこで、はっと口を押さえた。
「いや、おかしいし変です!」
「僕、ちょっと変わったテイマーなんです」
恐る恐る言った。
「いやいやいや」
ファラが、両手と頭をぶんぶん振る。
「変わってるとかで済む話じゃないです!」
ムーはというと、ファラの混乱なんてどこ吹く風とばかりに、僕の頭の上でぴょんぴょん跳ねていた。
(ムー)
パディットが、小さく笑う。
(ありがとうな)
(ムーは、外に出てみたかっただけなのん)
僕は、ため息をつく。
(わかったよ……)
(僕がなんとかするよ)
(ムーには、してやられたよ)
⸻
「謎が解けました」
ファラが、ふいに真面目な声で言った。
「謎?」
「ホルスさんほどの剣術の使い手が負傷しても」
ファラさんは、僕をまっすぐ見た。
「平野を街道も使わずに抜けて、ここまでたどり着けた理由です」
「……」
何も言えなかった。
「ちなみに」
自分で自分の首を絞めにいくような気分になりながらも、続ける。
「仲間は、これだけじゃないんです」
「このスライムさんしか、見当たりませんが?」
ファラさんが、きょろきょろと辺りを見回す。
「驚かないでくださいね?」
「無理です……」
ファラさんが、力なく言った。
「いえ」
小さく深呼吸をする。
「なるべく、頑張って驚かないように努力します」
「じゃあ」
器に意識を向け魔力を流す。
「〈〈テイムバンク〉〉」
足元に、白い魔法陣がふわりと広がった。
光が立ちのぼり、その中心からしなやかな影が姿を現す。
灰色の毛並みに、ところどころ白い模様。
鋭い牙と爪、しなやかな脚と筋肉。
「……っ!?」
ファラさんの喉から、変な音が漏れた。
「キラー、ウルフ……」
呟きにもならない声。
それからすぐ──
「えええええええーーーーーー!?」
悲鳴が、平野に響き渡った。
ファラさんが、涙目で叫ぶ。
「キラーウルフ!?」
「だ、大丈夫です!」
僕は、慌ててパディットの首元に手を置く。
「仲間です!」
「名前は、パディット」
パディットは、ファラさんに向き直って、静かに頭を下げた。
「……もう、何でもありなんですね」
ファラが、空を仰いだ。
(ファラの頭が、オーバーヒートするのん)
ムーが、僕の頭の上でぷるぷる震える。
ファラさんは、頭をぶんぶん振った。
「ちょっと、整理しますね……」
目を閉じて、一度深呼吸。
「……できませんでした」
「ごめん」
僕は、申し訳なさでいっぱいになりながら口を開いた。
「驚かせてばっかりで、本当にごめん」
「でも、事情があるんだ」
「今は言えないけれど──」
ぎゅっと拳を握る。
「信じてほしい」
ファラさんは、しばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと口を開いた。
「正直すぐには信じられないですが……」
「フライさんの人柄は、知ってます」
「優しくて、勇敢で、何より、命を重んじる」
「そこを、信用することにしました」
ファラさんが、少しだけ肩をすくめる。
「助かるよ」
僕は苦笑した。
(とにかく、赤目を探そう)
パディットが、静かに言う。
(クロープ)
パンが呼びかける。
(この辺りは?)
(んー……)
眠たそうな声が返ってきた。
(さっきから、嫌な感じはあるねー……)
(どこか分かるかな)
(川辺の方だねー……)
クロープが、地形のイメージを送ってくる。
(徒歩で二時間ほどかなぁ……ZZZ)
「ファラさん」
俯いていた顔を上げた。
「この辺りに、水場ってありますか?」
「水場?」
ファラさんが周りを見回してから、指を西の方角へ向ける。
「西に行くとあると思いますよ」
「来る時に、休憩した川辺の上流になるかな」
「そこまで、偵察に行きます」
僕ははっきりと言った。
「大丈夫ですか」
「今さら、大丈夫も何もないですよ」
ファラさんが、肩を落としながら笑う。
「いいですよ、分かりましたよ」
「行きましょう」
そう言ってファラさんは、パディットとムー、そして僕の隣に並んだ。
⸻
平野の草が、揺れる。
パディットは、僕の少し前を歩きながら、時々匂いを嗅いでいた。
ムーは僕の頭の上で、左右に小さく揺れながら周囲を見回している。
ファラさんは、その二匹をちらちら眺めながら、時々自分の頬をつねっていた。
「……痛い」
ファラさんが、半分諦めたようにため息をつく。
「フライさん」
「はい?」
「落ち着いたら」
「どういう経緯で、こうなったのか教えてくださいね」
「わかりました」
僕は小さく笑って頷いた。
西に少し傾き始めた太陽が、影を長く伸ばしていく。
僕の胸の中には、ひとつだけはっきりしていることがあった。
(信じてくれた人には、ちゃんと向き合わないと)
そう思い川辺へと歩いていく。
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