第三十四話 旅路への再出発
朝の光が、宿の小さな窓から差し込んでいた。
新しく買った服に袖を通す。
ローブは今、裁縫屋に預けてある。
「まず、ホルスさんのところに」
宿の主人に簡単な挨拶をして、僕は外に出た。
朝のトックの街は、もう動き始めている。
この街には、この街の生活がある。
それを見ながら、僕は治療所へ向かった。
⸻
「おはようございます」
治療所の扉を開けて中に入ると、受付の女性が顔を上げた。
「あ、おはようございます」
眼鏡を少し持ち上げて、僕の顔を確認する。
「先生から伝言があります」
手元の紙を確認してから、はっきりと言った。
「今日、帰られるそうです」
「本当ですか?」
胸の奥が、熱くなる。
「はい」
「正直、まだそんなに動き回らない方がいいとは思いますが……」
受付の人は、少しだけ苦笑した。
「歩いて帰る分には問題ないそうです」
「よかった……」
僕は、ほっと息を吐く。
「奥の緑の札の部屋です」
「ありがとうございます」
軽く頭を下げて、廊下を進んだ。
⸻
緑の札が揺れている扉の前で、一度だけ深呼吸をすると、ノックをする。
「……どうぞー」
すると、ホルスさんの声が返ってきた。
そっと扉を開けて中に入ると、ベッドの上でホルスさんが体を起こしていた。
「おはようございます」
「おう」
ホルスさんが、いつもの調子で片手を上げた。
「調子はどうですか?」
「正直、回復したってほどじゃねぇが……」
少しだけ肩を回してみせる。
「歩ける」
「今日、街を出るぞ」
「……分かりました」
僕は頷いた。
「でも、ホルスさんには無茶させません」
「ほう?」
ホルスさんが、じっと僕を見た。
「言うようになったなぁ」
「前ならこんな状況、慌ててたろ」
「……かもしれないですね」
自分でも、少し笑ってしまう。
「それで、その……」
タイミングを見計らって口を開く。
「ホルスさんに、相談というか……報告というか……」
「嫌な予感がするな」
ホルスさんが、即座に眉をひそめた。
「何だフライ」
「その、同行者を……」
「嘘だろおい!」
ホルスさんが、ガバッと起き上がりかける。
「またか!? 前にあんだけ苦労したのに!?」
「で、でも!!」
僕も、つい声を張ってしまう。
「今回は本当に、ためになるというか、必要というか、どうしてもっていうか!」
「こーいう時は、さっぱりはっきり言えよお前」
ホルスさんが、苦笑混じりに頭をかいた。
「誰を連れてくってんだ」
「ヒーラーさんです!」
僕は、きっぱりと言った。
「やっぱり、今は道中にヒーラーさんがいた方がいいと思って」
「昨日みたいなことがあった時、その場で治療できる人がいたら」
ホルスさんはすぐに察したようだった。
「……なるほどな」
「それは確かに、助かるかもしれねぇ」
目つきが、少しだけ真剣になる。
「でも、牧場の連中は、使えなくなるぞ」
「同行者だろうが誰だろうが、テイムを見られるのは、さすがにまずい」
「分かってます」
僕は頷いた。
「ガルディアまで戦って行くことは考えてないです」
「モンスターの探知は、基本クロープに手伝ってもらいます」
「広く正確な探知で、全て避ける」
「それでも避けられない時だけは、僕が戦います」
「ホルスさんは、温存で」
ホルスさんが、短く息を吐いた。
「……いいだろう、お前を信じる」
それから、僕を指差した。
「ただし!」
「限界だと思ったら、迷わずお前の命を優先しろ」
「分かるな?」
真っ直ぐに頷く。
「それで、いいです」
(クロープ)
器からクロープに声をかける。
(頼める?)
(んー……)
どこか眠たそうな声が返ってくる。
(何かあったらすぐ教えるよー……ZZZ)
(大丈夫だ)
パディットが、苦笑しながら言う。
(あいつがそう言うなら、探知の方は心配しなくていい)
(……うん)
胸の中が、少しだけ軽くなる。
「じゃ、先に一つだけ」
僕は、持ってきた包みを取り出した。
「ホルスさんの、新しい装備です」
「お?」
ホルスさんが、目を細める。
「俺の分まで買ってきてくれたのか」
「ありがとな」
包みを受け取って、中身を確認する。
動きやすい皮の服と、軽いインナーの防具。
「前のは血と泥まみれでしたから」
「せっかく街にいるうちに、と思って」
「やるじゃねぇか、助かる」
「それと⸻」
僕は、前から気になっていたことを聞いてみる。
「通行証って、あるんですか?」
「ああ」
ホルスさんが、笑みを浮かべる。
「そいつは、手配済みだ」
「ガルディアの門まで行きゃ、大丈夫だ」
「良かった……」
「じゃあ」
ホルスさんが、布団を軽く押しやった。
「少し準備する」
「外で待っててくれ」
「はい」
僕は頷いて、部屋を出た。
⸻
治療所の外は少し風があり、気持ちよかった。
通りの向こうからは、商人の声が聞こえてくる。
今日もこの街は、前線として動いている。
(いよいよ、ガルディアに近づいてるって感じだ)
(でも、ここから先は覚悟しないとだ)
そんなことを考えているうちに⸻
「待たせたな」
治療所の扉が開いた。
ホルスさんが、新しい服に着替えて出てくる。
まだ動きには、ぎこちなさが残っているけれど、いつものホルスさんだった。
「じゃあ」
僕は立ち上がる。
「そのヒーラーさんのいる魔法屋さんに、案内しますね」
「ああ」
ホルスさんが頷いた。
「行くぞ」
そう言うと、ホルスさんは顔が見えないように、フードを深くかぶった。
⸻
トックの商業通りは、昼前に向けてさらに賑やかになりつつあった。
その喧騒の中を、僕たちは少しだけ端を歩いていく。
まず、預けていたローブを取りに裁縫屋へ向かった。
「直ってるよ、汚れも落としといたからピッカピカだよ」
店の女性がニカッと笑った。
「すごいです、ありがとうございました。これ、お代です」
お金を支払い、ローブを受け取って店を出た。
そして次に向かったのは⸻
「ここです」
やがて、見覚えのある木の看板が見えてきた。
杖と本と魔法陣が描かれたマーク。
魔法屋の扉の前で、一度だけホルスさんを見る。
「準備は、いいですか?」
「いつでも」
ホルスさんが頷いた。
僕は扉を押し開ける。
「いらっしゃいませ」
奥からひょこっと顔を出した緑髪の女性が、僕の顔を見て言い直す。
「あ、おはようございます、フライさん」
それから、ホルスさんに目を移した。
「と、そちらは……」
「ホルスだ」
ホルスさんが短く名乗る。
「旅のハンターをやっている」
「ホルスさん、ですね」
ファラさんが、ぺこりと頭を下げた。
「今日はよろしくお願いします」
「ハンターはあまり……」
言いかけて、慌てて口を噤む。
「いや、あの⸻」
「頼もしく、思ってます」
「今何か言おうとしなかったか?」
ホルスさんが、じとっとした目を向ける。
「はい……」
ファラさんが、正直に頷きかけてから、慌てて首を振る。
「いえいえ、言ってませんよ」
「……まぁいい」
ホルスさんが、諦めたように息を吐く。
「ま、まぁまぁ」
僕は慌てて話題を変えた。
「ガルディアまで、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
ファラさんが、ちょっと気恥ずかしそうに笑う。
⸻
「その前に、一つだけいいですか?」
ファラさんが、ホルスさんの方に近づいてきた。
「……ん?」
「患者さんを見る時は、ちゃんと見ないといけないので」
ホルスさんの状態を、ひと通りじっと観察していく。
さっきまでとは違う、患者を見る目。
ファラさんが、軽くホルスさんの腕に触れた。
「ちょっと失礼」
ファラさんが、小さく頷く。
「脇腹の深い刺し傷と、右足の筋肉の損傷」
「出血量はかなりだったみたいですが、治療所の先生、うまく止めてくれてますね」
「ただ⸻」
ホルスさんの足元を見る。
目つきが、少しだけ真剣になる。
「歩く時、右側に体重をかけすぎると、傷口の中からまた裂けます」
「できるだけ歩幅を小さく、休憩は多めに」
そこまで言ってから、ホルスさんの目を真っ直ぐ見た。
「それと、痛みを我慢しすぎないこと」
「限界超えてから治癒魔法かけても、回復が追いつきません」
「その前に、声をかけてください」
ほんの一瞬で、そこまで読み取ってしまったらしい。
ホルスさんが感心して言う。
「……腕は、本物みてぇだな」
ファラさんが、ちょっとだけ俯いた。
「命に関わるところで、いい加減なことはできませんから」
「頼りにさせてもらう」
ホルスさんが、素直に言った。
⸻
「おい、ファラー!」
そのとき、奥から聞き慣れた怒鳴り声が響いた。
小柄なおばあちゃんが、ひょいっと現れる。
「迷惑かけんじゃないよ!」
「それと父さんによろしく言っといてくれ」
「あれもアレで、色々大変だろうからな」
腰に手を当てて、ファラをじろりと睨む。
「それと⸻」
「もう逃げてくんじゃないよ」
「……分かりました」
「ったく」
おばあちゃんは、ため息をつきながらも笑顔で言う。
「正式に来るなら、いつだって歓迎するからさ」
「ファラがいると、喋り相手に困らないしね」
「うん、おばあちゃん」
ファラが、小さく笑った。
「また絶対、来るからね」
おばあちゃんが、ファラの頭をぽんと叩く。
それから、こちらを向いた。
「ファラを、よろしくな」
そう言って、小さな布袋を差し出してくる。
「これ、雇用費だ」
「そんな、こっちがお世話になるのに」
「お願いしたのはこっちなんだ、受け取っておくれ」
「じゃあ、ありがとうございます」
僕は、しっかりとそれを受け取った。
「じゃあね、おばあちゃん」
ファラさんが、少し名残惜しそうに手を振る。
「バイバイ」
「ああ、またな」
おばあちゃんも、大きく手を振り返した。
⸻
魔法屋を出て、広場までの道を歩く。
広場に着いたところで、僕はファラさんの方を振り返る。
「ファラさんは、どういう経緯でガルディアまで行くんですか?」
「えーっとですねぇ」
ファラさんが、頭をぽりぽりとかいた。
「私、ハンターなんです」
少しだけ真面目な声になる。
「ヒーラーハンターのファラです」
「ガルディアのハンターギルドから来ました」
「でもさっき、あんまり、って何か言いかけたよな」
ホルスさんが、意地悪そうに突っ込む。
「ええ、命を粗末にするから嫌いで……」
ファラさんが、正直に頷きかけてから、慌てて首を振る。
「いえいえ、ハンターです、私!」
「……まぁ、その辺はいいとして」
ホルスさんが、咳払いを一つした。
「一つ言っておかなきゃならねぇことがある」
真面目な声になる。
「俺は、さっきも言った通り前の戦いで負傷してる」
「でも街道を堂々と歩くのは、いろんな意味で使えねぇんだ」
「だから、ガルディアまでは平野を徒歩で歩くことになる」
ファラが不安そうな顔をしながら言った。
「怪我してるのに大丈夫ですか?」
「休み休み行きましょう」
「ホルスさんの傷もありますし、無理に急ぐより、安全優先で」
「ファラさんには、できれば、ホルスさんの様子を診ていてほしいんです」
「もちろんです」
ファラさんが、きっぱりと言った。
「というか、見るからに歩くのがやっとの人を診ないヒーラーなんていませんよ」
「本当は止めたいくらいですが、何か急ぐ事情があるのはわかります」
「すまん、頼んだ」
ホルスさんが、広場の中央を見る。
「よし、行くか」
⸻
トックの街を後にする時、門の上の兵士がこちらに気づいて手を振った。
「おーい! この前のハンター!」
「沼地、助かったぞー!」
僕は、少し恥ずかしくなりながらも手を振り返す。
門が開き、平野の風が吹く。
(行くのん)
ムーが、小さく弾む。
(うん)
ホルスさんは、歩幅を少しだけ小さくしながら、一歩ずつ前へ歩く。
ファラさんは、その横で歩きながら、時々ちらりとホルスさんの様子を確認していた。
僕は、その少し前を歩きながら、気配に集中した。
(クロープ、頼んだよ)
そっと呼びかける。
(んー……ZZZ)
眠たそうな声が、返ってきた。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
平野の冒険ももうすぐ終点ですね。
次話も読んでいただけると嬉しいです。




