第三十一話 沼地の主
沼地に近づくにつれて、そのモンスターの大きさがはっきりしてきた。
どろりと濁った水面、ところどころに、枯れた木の枝のようなものが突き出している。
その中心部。
特に暗く淀んだあたりに──
(……でかいな)
パディットの声が、低くなる。
(すでに向こうも気づいてる)
胸の器越しに伝わってくる魔力の気配は、さっきまでのモンスターとは桁が違っていた。
どろりとした魔力が、沼全体で渦を巻いているような感覚。
ゆっくりと、沼の水面が盛り上がった。
濁った水が割れ、泥にまみれた何かがヌルリと姿を現す。
まず、頭。
ワームのような長い身体。
だがその頭だけは、竜を思わせる形をしていた。
ぬらぬらと濡れた鱗、ギザギザに並んだ歯。
顎から、どろりと泥が垂れ落ちる。
全身を泥に沈めながら、その頭だけをこちらへ向ける。
目の奥が、ぎらりと光った。
器からパンが警戒する。
(ここを縄張りにしてて、近づくものは全部潰す対象だよ)
「……敵と認識されたみたいです」
僕は、短く告げた。
「攻撃が来ます」
「行くぞ!」
ホルスさんが、剣に手をかける。
(フライよ)
器からネールが言う。
(沼なら雷魔法で感電が狙えないか?)
「ホルスさん!」
僕は、振り返る。
「エレクで沼を撃ちます!」
ホルスさんが、ほんの一瞬だけ考える顔をしたが──
「まぁいいか、やってみろ」
すぐに頷いた。
「はい!」
杖を構え、器から雷の魔力を引き出す。
「〈〈エレク〉〉」
青白い雷光が、杖先から沼へ向かって走った。
水面を、細かく刻むような電撃。
沼全体に、ばちばちと火花が散って──
……けれど、ドラワムの身体は、ほとんど揺れなかった。
「効いてない……」
「やっぱりな」
ホルスさんが、低く言った。
「ドラワムの厄介なところは、体表の泥だ」
ドラワムの身体を覆っている、厚い泥の層。
そこに──
「泥に魔力を通して、魔法の力を散らす盾みてぇにしてやがる」
「魔法は、全部その泥の中で散らされて、本体まで届きにくくなる」
「……そんな」
僕は、沼の中の巨体を見つめる。
ドラワムはその場から動かない。
ただ、じっとこちらをにらみながら──
次の瞬間。
ドラワムの顎が、ぬるりと開いた。
どろり、と黒い泥が、喉の奥からあふれ出す。
「く、くる!」
(ムー!盾の準備お願い!)
ムーの気配が一気に高まった。
(任されたのん!)
ローブの中から、ムーが飛び出す。
(〈〈アイスウォール〉〉なのん!)
僕たちの目の前。
水分が、ぎゅっと引き寄せられるように集まり、瞬く間に結晶化していく。
魔力を帯びた透明な氷の板が、何枚も重なるように生まれた。
同時に──
ドラワムの口から、轟音と共に泥が放たれた。
耳が痛くなるほどの破裂音と共に、強力な魔力を帯びた泥が、氷の壁に叩きつけられる。
壁が軋む。
(耐え切れるのんっ!)
ムーの声が、少しだけ震える。
「大丈夫です!」
僕は、氷の壁の向こうから伝わってくる感覚をなぞった。
ブレスに乗った魔力と泥が、氷の表面で散っていく。
氷の壁は、ひびを入れながらも、まだしっかりと残っていた。
ホルスさんが、短く息を吐く。
「これなら、やれるな」
泥に覆われた頭が、氷越しにぼやけて見える。
「ドラワムは、頭が弱点だ」
ホルスさんが続ける。
「頭なら攻撃は通る」
「だが、泥の盾を弾かねぇと、刃が通らねぇ」
「だから、頭を集中して叩く」
「分かりました!」
僕は、氷の壁の陰から杖を突き出す。
「いきます!」
「〈〈エレフワール〉〉」
杖先に、器から炎と雷の魔力を重ねていく。
ぎゅっと圧縮した魔力を、空中へ。
炎の矢と雷の矢が混ざり合い、ドラワムの頭上から一斉に降り注ぐ。
だが──
ドラワムは、首をうねらせてその矢の雨を弾いた。
炎と雷の矢が、泥に覆われた体表でじゅっ、と音を立てて消えていく。
「き……効かない……」
(まとった泥の魔力が、厚すぎるのん)
ムーが、悔しそうに言う。
(外側からの魔法はぜんぶ効いてないのん)
(凍らせたら、そこに魔力を通せるかもなのん)
(でも……頭、あんな高いのん)
ドラワムは、沼に浸かった状態でも、頭が見上げるほど高い。
ムーの氷魔法を、そこまでどうやって届かせるか。
その時。
胸の器で、パディットが短く舌打ちした。
(やばい、また来るぞ)
地面の下から、嫌な気配がせり上がってくる。
「……っ!」
次の瞬間。
足元の地面が、ぐらりと揺れた。
「ホルスさん、足元!」
叫ぶと同時に、地面が裂けた。
土の中から、岩の棘が飛び出してくる。
ホルスさんは、瞬間的に身体を捻った。
けれど──
「ぐっ……!」
完全には避けきれなかった。
岩の棘が、脇腹と右足をかすめる。
皮膚と肉を突き破り、血が一気に吹き出した。
「くっそ」
ホルスさんは、棘を折るようにして身を引き抜いた。
その場で片膝をつき、きゅっと歯を食いしばる。
「ホルスさん!ポーションを!」
「このくらいなら、まだ軽い!大丈夫だ!」
「ダメです!回復してください!」
僕はホルスさんにポーションを投げた。
「しくった、すまねぇ、使わせてもらう……」
ポーションを傷口にかけると、軽く傷口が塞がり、血は止まった。
「このままじゃジリ貧だ」
「ムーの防壁でも防げねぇ攻撃まで出されたら、本気で詰むぞ!」
氷の壁は、ブレスを受けてひびだらけになっていた。
もう一発同じものを受けたら、耐えられるかどうか分からない。
「頭は高いし、エレフワールも通らない……」
喉の奥から、焦りがせり上がってくる。
(つよい……どうしたら──)
(上から撃てればいいのん)
ムーがぽつりと言った。
(頭の上から、氷で覆えたらそこに魔法を通せるのん)
「上から……空!」
その瞬間、ひとつの案が頭の中で繋がった。
「ネールさんなら!」
(むっ)
胸の中で、ネールが翼を広げる気配がした。
「ホルスさん!」
僕は、振り返る。
「テイムバンクでネールさんを呼びます!」
「ムーを空高くまで運んでもらいます!」
早口で続ける。
「ムーが上から氷魔法で体表を覆って、その上から僕とネールで雷を撃ち込みます!」
「泥を、凍らせて爆散させる!」
「……!」
ホルスさんの目が、ぎらりと光る。
「それさえできれば、物理は通る」
「俺が首を落とす!」
剣を強く握り直す。
「やれ!」
「はいっ!」
胸の器に意識を沈め、ネールの気配を強く引き寄せる。
「〈〈テイムバンク〉〉」
足元に、白い光の魔法陣が浮かび上がる。
光の円から、ふわりと一つの影が立ち上がった。
誇り高く翼を広げる雷鳥──ネール。
(ふむ)
ネールが、首をかしげる。
(私を呼ぶとは、よほどの相手だな)
ムーがひょこっと飛び出した。
(ネール、行くのん)
(ムーをアイツの頭の上に運んで欲しいのん)
(空への旅へご招待ってやつだな)
ネールが、くちばしの端で笑う。
(よかろう)
(行くぞ、ムー)
(しっかり、掴まっていろよ)
(掴まれないから、掴んでなのん)
(フライ)
(タイミングは任せるぞ)
「分かった!」
僕は、一度深呼吸をした。
ネールが翼をひと振りする。
ムーを掴むと、その身体はあっという間に、上空へと舞い上がっていった。
ムーを掴んだまま、ドラワムの真上へ。
(フライ、行くのん!)
ムーの声が響く。
(〈〈ウォーターフォール〉〉なのん!)
ムーの小さな身体から、大量の魔力を帯びた水が生まれた。
白い柱のように、ドラワムめがけて一気に落ちていく。
泥の体表までを、容赦なく叩きつける水。
泥が少し流れ落ち、全身がびしょびしょに濡れた。
(続いていくのん)
ムーが、器から氷の魔力を高める。
(〈〈アイシクルブレス〉〉なのん!)
ムーから、冷たい息が放たれた。
濡らされたドラワムの体表が、みるみるうちに凍りついていく。
泥と水が混ざった表面に、白い氷が増えていく。
ドラワムが、低くうなった。
「ギュゥゥゥ……」
凍った泥が、ひびを含んだ音を立てていく。
(今なのん!)
ムーが、強く叫んだ。
「いくよ、ネール!」
(承知!)
ネールが翼を大きく広げる。
僕は、全力で魔力を絞り出した。
「〈〈エレフワール〉〉」
炎と雷の矢が、撃てる最大の出力で放たれた。
凍りついたドラワムの体表めがけて、上空から降り注ぐ。
(そして、これが──私の本気だ)
ネールが、喉の奥から鋭い鳴き声を放つ。
「ピィィィィィィッ!!」
(〈〈ネオ・エクレール〉〉)
空そのものが、音を立てて割れたみたいに感じた。
真上から落ちてくる、純白の雷。
炎と雷の矢に重なるようにして、稲妻の柱が、ドラワムの身体を貫いた。
「......っ!」
眩しさに、思わず目を細める。
凍りついた泥の体表が、その一撃で一気に爆ぜた。
氷ごと泥の盾が、粉々に砕け散る。
泥に通して散らしていた魔力の回路が、まとめて破壊された。
「ギュイイイイイイイイ!!」
ドラワムが、今までで一番の叫び声を上げる。
どろりとした泥の中から、むき出しの鱗が顔を出した。
体表の泥は、ほとんど剥がれている。
「ホルスさん!」
僕は叫んだ。
「今です!」
「ここだ!」
ホルスさんが、地面を蹴る。
負傷した足を引きずりながらも、その動きは鋭かった。
ぬかるんだ地面を、最低限の足運びで蹴る。
よろけて下がったドラワムの頭に飛び込み──
「一閃ッ!」
剣を振り抜いた。
空気そのものが断ち切られたような音。
ドラワムの首と胴の間に、鋭い一閃が走る。
刹那。
ドラワムの巨体が、ぐらりと傾いた。
泥の中に沈んでいた身体が、ずぶずぶと倒れていく。
沼の水面が大きく揺れ、泥と水しぶきが高く上がった。
静寂。
(やったのん!)
ムーの弾んだ声が響いた。
(多少はやるようだが──)
ネールが、誇らしげに羽を整える。
(我は雷鳥!空の支配者!)
(はいはい)
パディットの少し呆れたような声が返ってくる。
僕は、そのやりとりにほっと息をつきかけて──
「ホルスさん!!」
現実に引き戻された。
ホルスさんが、膝をついていた。
受けた岩の棘が、まだ脇腹と脚に刺さったままだ。
血がふたたび流れ出している。
「今、ポーションを!」
僕は慌てて荷物の中からポーションを取り出す。
「その前に……」
ホルスさんが、息を詰まらせた声で言った。
「刺さったままだと、塞がん……っ」
「分かりました!」
僕は、唇を噛みしめながら頷く。
「抜いたら、すぐかけます!」
「たのんだ」
ホルスさんが、自分で岩の棘を掴んだ。
ぎゅっと歯を食いしばり。
「ぐわあああああっ!!」
力任せに引き抜く。
ぶしゅっ!
傷口から、一気に血が吹き出した。
「ホルスさん!」
すぐさま、ポーションを傷口にぶちまける。
液体が、傷に染み込んでいく。
じゅわっと熱を持った感覚。
肉が少しだけ盛り上がり、血の勢いが弱まる。
それでも、呼吸は浅い。
「……ホルスさん、軽いって言ってましたけど」
僕は、震える声で言った。
「これは、まずいです」
「ヒーラーに、見せないと」
「……ああ」
ホルスさんが、かろうじて頷く。
「正直、厳しいかもしれねぇ」
脇腹の傷はまだ疼いているのか、肩で息をしていた。
幸い──
「街は、近い」
ホルスさんが、かすれた声で言う。
「トックの街」
僕は、周囲をぐるりと見渡した。
草地の向こう。
遠くの空の色が、わずかに変わって見える方向。
(あっちの方角に、気配があるのん)
ムーが、小さく告げた。
(フライ)
ネールが、翼を軽く広げる。
(私が上空から探そう)
(街の位置をはっきりさせる)
「お願いします!」
僕は、頷いた。
「ホルスさん」
少し躊躇いながら言う。
「……トックの街に、向かいましょう」
「治療しないと、危ないです」
「身バレの可能性はありますけど……」
「このままここに居続ける方が、ずっと危険です」
「……すまねぇ」
ホルスさんが、短く言った。
「頼む」
その背中から、いつも背負っていた荷物を背負いなおす。
「行きましょう」
僕は、ホルスさんの腕を肩に回して支える。
(ネールさん、方向頼みます)
(承知)
ネールが、空へ舞い上がる。
(ムーも、お空がいいのん)
ムーも、ぴょんと飛んでネールの背に乗った。
(では、ひとっ飛びだ)
そう言うと、空の上を駆けていく。
その翼の行先を追うように──
僕たちは、トックの街がある方へと、足を踏み出した。
読んでくださりありがとうございます。
テイムバンクを本格的に戦闘に組み込んでいきます。
戦略の幅が広がって、書いていて楽しいです。
次話も読んでいただけると嬉しいです。
ドラワム(BOSS)
大きさ:10m
ワーム型:頭部は竜のよう
生息:沼地
魔力:地寄り、水小
地水魔法:ボグブレス(魔力を帯びた泥の息)
地魔法:アースバンプ(地面を隆起させる)




