第二十六話 道なき道
村の門を抜けて、森の手前まで来たところで、ホルスさんが立ち止まった。
「フライ、この景色、よく覚えとけ」
村の方を振り返る。
朝日に照らされる門。
遠くに見える牧場の屋根。
その向こうの、小さな家々。
「……はい」
振り返って、目に焼きつける。
そして⸻
ホルスさんが一歩、森の中へ足を踏み入れた。
僕も、その背中を追いかける。
⸻
森の中の道は、村の周りとはまるで違っていた。
木は高く、どこまでも続く土の道。
それと、獣やモンスターの気配。
(少し先に、小さい魔力がある)
パディットの声が響いた。
(危険かな?)
(フライとホルスなら、問題ない程度だろうな)
「前方に、少しモンスターの気配」
小声で伝えると、ホルスさんがうなずく。
「距離は?」
「……もうすぐ、見えるくらいです」
ホルスさんは腰の剣に手をかける。
「無理すんなよ。魔力は温存、旅路ではそれが基本だ」
「はい」
⸻
出てきたのは、小型の角を持った闘牛のようなモンスター、バッフルだった。
鼻息荒く、こちらを睨みつけてくる。
「じゃ、行くか。お手並み拝見だな」
「わかりました」
杖を構え、器から炎と雷をすくう。
「〈〈スパークフレア〉〉」
炎と雷を、地面すれすれに走らせる。
「あとは任せろ」
足元をすくわれたモンスターが、よろめいたところに、ホルスさんの剣が、最小限の動きで首筋を払った。
モンスターが崩れ落ちる。
(さすがだな、ホルスは)
パディットが、感心したように言う。
その後も、道中で何度か小さな群れに出くわした。
牙をむき出しにした蛇型のモンスター、ウッドスネーク。
木の上から飛びかかってくる猿のようなモンスター、サンジュロ。
そのたびに、僕は威力を抑えた炎と雷で体勢を崩し、ホルスさんが正確な一撃で仕留める。
「よし、その調子だ」
血を払った剣を軽く振りながら、ホルスさんが言う。
僕たちはそれを、何度も繰り返した。
⸻
「そろそろ、休憩場所を探すか」
太陽が真上を少し過ぎた頃、ホルスさんが言う。
「フライ、安全そうな場所は分かるか」
「やってみます」
辺りの気配に意識を向ける。
(左側、少し高くなったところ、モンスターの気配が薄い)
「この先、左側に少し開けた岩場があります」
「そこなら、モンスターはあまり寄ってこないはず」
「行ってみるか」
ホルスさんが頷き、僕が先に歩き出す。
言葉にした道筋をなぞるように、森の中を進んでいく。
「……お」
木々の間が、ふっと開けた。
大きな岩がいくつか並び、その影に土の場所があった。
「いい場所じゃねぇか」
ホルスさんが、周囲を見回す。
「ここを、今日の寝床にするか」
「はい」
⸻
キャンプ地に着いて荷物をおろす。
すると少し遠くに、小さく動く気配を見つけた。
「少し向こうに、獣の気配がありますね」
「お、なんだろうな?」
「モンスターの気配じゃありませんね。多分、動物ですかね」
ホルスさんが辺りを見回しながら言う。
「危険な気配はないんだな?」
「はい」
「じゃあ、フライ、狩ってこれるか?」
ホルスさんが、少し笑みを浮かべて言う。
「多分問題ないです」
「じゃあ、任せてみるかな」
荷物を岩場の影に置き、杖を持って立ち上がる。
器から、森の中を駆ける小さな命の気配を追う。
草むらの向こうに、警戒心の薄い小さな鹿が、群れから少し離れて草を食べている。
気づかれないように距離を詰め、短く息を吐く。
「〈〈エレク〉〉」
足元にだけ、小さな雷を走らせる。
驚いて足を取られた鹿が、体勢を崩した瞬間。
僕は素早く接近し、あらかじめ用意していた短剣で、とどめを刺した。
(……ごめん)
心の中で小さく呟いてから、手早く解体して肩に担ぐ。
⸻
「お、やるな」
「遠征経験で、獲物を獲ることまで覚えたか」
簡易な焚き火台を組み、魔法で火を起こす。
鹿肉を切り分け、塩と少しの香草をまぶす。
枝に刺して、ゆっくりと火の上で回しながら焼いていく。
脂が落ちて、ぱちぱちと音を立てた。
香ばしい匂いが、空腹のお腹を刺激する。
「……うまそうだな」
ホルスさんが、覗き込んで言う。
「父さんに、少し教えてもらったんです」
「ほー」
そう言って、岩に腰を下ろした。
⸻
日が傾き、空が赤く染まり始めた頃。
「いただきます」
二人で、焼けた肉をかじり始める。
噛むと、じゅっと脂が染み出した。
「……うん」
自分で言うのもなんだけど、美味い。
「塩加減もいい。脂も落ちすぎてねぇ、美味いぞ」
「よかった」
少し肩の力が抜けた。
しばらくは、肉を食べる音と、焚き火のはぜる音だけが続く。
空は、ゆっくりと青から藍色に変わりつつあった。
(……)
ふと、ホルスさんが、焚き火の火をじっと見つめた。
そして、ぽつりと口を開く。
「言わんでもいいかと思ってたが」
「はい?」
「多分、ここから先、ガルディアで必要になるだろう」
「俺の、ガルディアでの名前だ」
「ガルディアでの……」
「シグル」
焚き火の光が、ホルスさんの横顔を照らす。
「ガルディアに入っても、お前はホルスで呼んでくれ」
少しだけ目を細める。
「だが、城に入ったら、俺は“剣巧シグル”で通っていた」
聞き慣れない響きが、耳に残る。
「剣巧……」
少しだけ照れくさそうに肩をすくめる。
「ライゼルの城に行く前、王都の剣の大会みてぇなもんで、ちょっとばかし勝ちすぎてな」
「周りが勝手にそう呼び始めた」
どこか、昔話をするような調子だった。
「俺は旅の時はシグルで通していた、村の事もかくしてな」
「ライゼルとは、主従でありながら、助っ人みたいな立場で召し抱えられた」
「まぁ、結構砕けた仲だったんだ、俺はライゼルと呼び向こうはシグルと呼んだ」
「城では、友達みてぇにやってたんだがな……」
ホルスさんは話を続けた。
「あの時、ライゼル城が襲われた時は、妙だった」
ホルスさんの声のトーンが、少し落ちる。
「どう考えてもおかしいタイミングで、サラームが襲ってきた」
焚き火の火が、小さくはぜる。
「王族が取り残されて、全方位からサラームの兵が押し寄せてきたらしい」
「俺も城にいなかった……戻った時には、もう遅かった……」
「結果、紙の上では全員討ち死にだ」
「……紙の上では」
「ああ」
ホルスさんが、短くうなずく。
「何度思い返しても、おかしな点が多すぎる」
拳を、膝の上でゆっくり握る。
「俺は、ガルディアに内通者がいると踏んでいる」
そこだけ、ほんの少しだけ息を詰まらせた。
「内通者……」
「でなければ、あのウルズ大森林の守り手が、やられるわけねぇんだ」
ホルスさんの目に、ほんの一瞬だけ熱が宿る。
「ライゼルは絶対に、自分の城で、簡単に討ち死になんてことにはならねぇ」
焚き火の光が揺れた。
サラーム国。
知らないはずの国の名が、妙に重たく感じられた。
⸻
森の夜が、ゆっくりと深くなっていく。
「フライ」
ホルスさんが、焚き火越しにこちらを見る。
「ここから先の話は、もう少し覚悟が決まってからでいい」
「色々と、聞きたくない話も混ざるからな」
口元だけで笑う。
「今日は、ここまでだ」
焚き火の火が、ぱち、と小さく弾けた。
「……分かりました」
ダイナモの杖を横に置き、空を見上げる。
森の隙間から見える星は、村で見上げる空とは少し違って見えた。
僕はその空を見上げながら、ゆっくりと目を閉じた。
⸻
朝になり、ほんの少しの眠さを引きずりながら、僕は寝袋から出た。
「……よく寝たな」
焚き火の残り火をつつきながら、ホルスさんが伸びをした。
「野営でここまで気配がないのは初めてだな。熟睡しちまった」
周りのモンスターの気配は薄い。
「今日もしっかり進めそうですね」
「ちゃんと疲れを取っておければ、進める距離も変わるからな」
ホルスさんが、荷物をまとめながら言う。
「森の中を何日も歩きゃ、大体へばってくる」
「その時どれだけ動けるかは、どれだけ休めて旅していたかと一緒だからな」
ホルスさんが背中の荷物に手を伸ばし、ぐい、と肩紐を持ち上げた。
⸻
そこからさらに十日。
僕らは、黙々と森を進んだ。
木々は少しずつ低くなり、陽の光が差し込む時間が増えていく。
そして⸻
「……抜けたな」
枝をかき分けた先に、いきなり空が広がった。
木々の切れ目から、地平線まで続く草原が見える。
濃い緑の波が、風に押されてさわさわと揺れた。
「ここからが、カイバル平原だ」
ホルスさんが、短く言った。
「キャラバンでもない限り、徒歩で突っ切るのは厳しいって言われている、モンスターの巣窟だ」
「そんなに、ですか」
「草が豊富だと、餌も豊富だ」
ホルスさんが、平原の向こうを睨む。
「大型のモンスターや、森より強ぇやつらが、平気でうろうろしてる」
風が、二人の間を吹き抜ける。
「ここから、平原の脇道を行く」
「脇道……」
見渡す限りの草原に、道らしいものは見当たらない。
「普通なら、そんなとこ進むのは絶対にしない」
「ただな、お前がいれば別だ」
ホルスさんが、ちらりとこちらを見る。
「気配察知で、モンスターを避けながら進む」
「平原を抜けるまで、案内役はお前だ」
鼓動が早くなった。
「……やれるか?」
一度深呼吸をする。
「……やります」
自然と、返事は出ていた。
ホルスさんが、にっと笑う。
「街道をキャラバンで通れば、ここを越えるのに五日」
「危険地帯を避けつつ斜めに切っていけば、徒歩で七日で抜けられるはずだ」
「七日……」
「長ぇぞ」
そう言いながらも、その目はどこか信頼を宿していた。
「でも、お前の気配を探る力があれば、抜けられる」
「……はい」
モンスターたちの気配をひとつひとつ探りながら、一歩目を踏み出した。
⸻
カイバル平原に入って、最初の一日目。
太陽は容赦なく頭上から照りつけ、足元の草は膝の高さまで伸びている。
(あそこはダメだ)
意識を広げながら、進路を微調整していく。
「右は大きいのがたくさんいます」
「左は……数分で群れがこっちに流れてきそう」
「なら、真ん中より少し奥だな」
ホルスさんが短く指示を出す。
「今いない場所じゃなく、来にくそうな場所を選べ」
「……はい」
そうやって、できるだけ穴を縫うように進んでいた、その時⸻
(フライ、前方の草の中に、妙に静かな気配がある)
パディットの声が響いた。
ちょうどこちらが進もうとしていた先。
(気配を消してる)
パディットが警戒して言う。
「ホルスさん、前方にモンスターです。気配を消してます」
「わかった」
ホルスさんが、腰の剣に手をかける。
草の向こうを睨む。
すると草が、かさかさと動いた。
黄色と黒の縞模様が、風を切って飛び出した。
「ラングタイガーか!」
「ここいらでは、草むらに潜んで気配を消し、通った獲物を攻撃してくる」
(まぁまぁ早いな)
パディットの声は、やけに冷静だった。
(前……もう後ろに回った)
背後に、気配が移る。
振り向いた時には、もう爪が目の前に迫っていた。
「っ!」
僕は横に飛ぶ。
頬のすぐそばを爪がかすめていった。
(次は横から来る)
パディットの声に合わせて、視線だけを向ける。
草が、わずかに揺れた。
ラングタイガーの気配が、一瞬消える。
(……消えた?)
(いや、気配を消して襲ってくる)
パディットの声が響く。
(俺が先回りして教える! 振り向いて、後ろの足元に魔法だ)
「ホルスさん! 僕の後ろに魔法撃ちます!」
「……後ろ!?」
ホルスさんが振り向きざまに叫ぶ。
「わかった、撃て!」
思考より先に、杖が動いた。
「〈〈フレア〉〉」
炎の塊を、地面に叩きつけるように放つ。
爆ぜる炎と、焼ける草の匂い。
その中心で、ラングタイガーの気配がした。
「⸻ッ!」
燃え上がる火の中から、ラングタイガーが飛び出す。
一部が焦げ、バランスを崩したその首元に⸻
「ここだ!」
ホルスさんの刃が走った。
ラングタイガーの動きが、ふっと止まる。
次の瞬間、どさりと地面に崩れ落ちた。
「……はぁっ、はぁっ……」
鼓動が速くなっている。
「やっぱり、探知してても避けるのが厳しい相手もいるな」
ホルスさんが、剣を振って血を払う。
「気配を殺しながら来られると、探知が間に合わないか」
「……パディットがいなかったら、気が付きませんでしたね」
(俺がついてる限りは、そう簡単にやらせないさ)
(ありがと、助かったよ)
(こういう類は任せてくれ)
気持ちが、少しだけ軽くなった。
「傷は?」
「かすり傷です」
頬を指でなぞると、少しだけ血がついた。
「ポーション使うほどじゃ……」
「今は使わないほうがいい」
ホルスさんが、即座に言う。
「ヒーラーもいない中、平原の真ん中で回復切れは厳しい」
「避け方を覚えるしかない」
「はい」
厳しく思えたが、生き残るには必要なことだと思った。
⸻
それからしばらくは、大きな戦闘もなく進めた。
同じ景色が続く中で、ひたすら歩き続ける。
……と、思った矢先。
(フライ、さっきから、足元の砂の流れ方がおかしい)
パンが呼び止める。
「砂?」
足元を見ると、ところどころ、土の上に細かい砂が溜まっている場所があった。
風で集まっただけにしては、不自然だ。
(気配は……感じない)
気配の探知は、何も引っかからない。
「……ホルスさん、モンスターかもしれません」
「確かに何か変だな」
ホルスさんも、足を止めていた。
次の瞬間。
さっきまで、ただの砂の山だったものが⸻
「……おい」
さらさら、と音を立て始めた。
砂が、形になっていく。
腕、足、胴、頭、人形の形を作る。
「サンドパペットか」
ホルスさんが、低く呟いた。
「知ってるんですか」
「形だけならな。戦った経験はない」
剣を抜く。
サンドパペットが、ぎしりと首を傾けた。
音もなく、こちらへ歩み寄ってくる。
気配はやはり、何も感じない。
「魂も、意思もない。お前の気配の探知には引っかからんだろうな」
「厄介ですね……」
距離が一気に詰まる。
ホルスさんの剣が、砂の腕を弾いた。
切り裂かれた砂が、さらさらと地面に崩れ落ちる。
だが、次の瞬間にはまた集まって、人形の腕に戻っていた。
「切っても切っても……」
サンドパペットの拳が、ホルスさんを狙う。
紙一重でかわす。
「速さは大したことねぇ」
「だが、ダメージが通りにくい」
「フライ、こういう相手には魔法だ」
「どうにか、形を維持できない状態にできねぇか」
「形を維持、できない……」
(砂の繋がりを断てれば、電気ならやれるか……)
僕は杖を構えた。
「ホルスさん、少しだけ下がってください!」
「おう!」
サンドパペットの足を、ホルスさんがすれ違いざまに払う。
砂の体が、ぐらりと揺れた。
僕は、その真ん中に向けて魔法を放つ。
「〈〈エレク〉〉」
杖先から放たれた雷が、砂の体を貫き、帯電させる。
ぱちぱち、と青白い火花が散る。
瞬間、サンドパペットの体が爆ぜた。
人型の輪郭を保てなくなり、ばらばらと四方に飛び散る。
「今だ!」
ホルスさんが叫ぶ。
「フライ、走れ!」
「はいっ!」
僕は全力で走った。
砂が再び集まり始める前に、その場を離れる。
数十メートル走ったところで、振り返った。
さっきサンドパペットがいた場所で、砂がもぞもぞと動いている。
「なるほどな」
息を整えながら、ホルスさんが笑う。
「こいつは剣士泣かせだな」
役割分担をしつつ、僕たちは平原を歩いて行った。
⸻
そんなふうにして、カイバル平原一日目が終わった。
同じ景色の中で、足だけが確実に疲れていく。
夜は、背の高い草の陰に小さな窪地を見つけて、そこで野営をした。
空気が澄んでいて、星が近く見えた。
それからも、平原での日々は続いた。
大きな気配を避けながら、群れる小さな気配をやり過ごし。
同じような草の中で、僕らは少しずつ、ここでの歩き方を覚えていった。
⸻
「……いつまでたっても景色が変わらないですね」
僕は草の上に腰を下ろしながら、ため息をついた。
「平原ってのは、そういうもんだ」
ホルスさんが、空を見上げる。
「空と草しかない」
僕は、遠くの空を見た。
まだ見えないガルディアの方角。
「あと三日も歩けば、平原は抜ける」
「……頑張ります」
カイバル平原に入って、四日が過ぎていた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
次話も読んでいただけると嬉しいです。
バッフル
闘牛型:小型
生息:森、平野
魔力:地寄り、火小(魔法は使わない)
短い角で突進してくる
ウッドスネーク
蛇型:牙が長い
生息:森
魔力:風、地(魔法は使わない)
木の根元・草むらから飛びかかる
サンジュロ
猿型:手が長い
生息:森
魔力:地、雷(魔法は使わない)
木の上から飛び降りて奇襲
ラングタイガー
虎型:中型細身
生息:カイバル平原
魔力:雷寄、風小
一撃は軽いがとにかく速い
死角に回り込む狩人タイプ
サンドパペット
砂人形型:実態が曖昧
生息:カイバル平原、砂地
魔力:地単体
切ってもすぐ再生する
魔力で砂が動いている
物理が通りにくい




