第十五話 南の森
村を出てしばらくは、見慣れた森だった。
北の祠へ続く道と同じような道。
陽の光が葉の隙間から差し込んでいた。
分かれ道を過ぎて、南の方角へと足を向けたあたりから、少しずつ変わり始めた。
まず、湿り気が増えた。
足元の土が、ほんの少しずつ重くなっていく。
葉の色も、北側よりも濃い気がする。
(……同じ森なのに、違うな)
(もり かわった におい ちがう)
鼻がいいキラーウルフからすると、色々感じるものが違うのかもしれない。
「獣の気配、北側より濃いですね」
前を歩いていたノエルさんが、足元を見ながら言った。
「……普通の動物が多いですけど」
「魔物の気配は?」
グラムさんが、大盾を肩にかつぎながら周囲を見回す。
僕は、森に触れるように意識を広げる。
その中に、モンスターみたいな気配はない。
「今のところは大丈夫って感じですね」
「ならいい」
「まだ村も近いからな、こんなとこでモンスターでも出りゃ大ごとだ」
グラムさんは頷く。
「ダンジョンの手前までは、なるべく体力温存だ、避けられるもんは避けてくぞ」
「了解」
⸻
森の中を、ひたすら歩く。
モンスターは出ないけれど、生き物の気配は絶え間なく続いている。
「なぁ、ノエル」
グラムさんが、少し前を歩きながら言う。
「この辺り、昔はもうちょい人が歩いてたって話、聞いたことあるか?」
「おじいちゃんたちのもっと前の世代は、南の方にも畑や集落があったって聞いたことあります」
「今は?」
「ほとんど、その……モンスターに飲み込まれました」
ノエルさんが、木々を見上げる。
「南の森はモンスターが多い地域だから……危なくなって、皆、アルミ村の方へ移ってきたって」
「で、南の森には行かないのが当たり前になって、今に至ると」
シアンさんが肩をすくめる。
僕の足はちゃんと前に出ていた。
⸻
昼を少し過ぎたあたりで、少し開けた場所に出た。
木々の間隔が広くなって、陽の光が地面まで届いている。
低い草が一面に生えていた。
「一旦、ここで休憩だな」
グラムさんが立ち止まる。
「水、飲んどけ。足も伸ばしとけよ」
「了解です」
水筒を取り出して喉を潤していると、パディットが辺りの気配に反応した。
(くる)
胸の中に、警戒が走る。
「ここはダメです……何か来ます」
言った瞬間、シアンさんも杖を構えた。
土の向こうから、どすん、と重い足音が近づいてくる。
草むらがざわっと揺れ――
「イノシシか?」
グラムさんが眉をひそめた。
「いや、違う」
姿を見た瞬間、たしかに、ぱっと見は猪だ。
分厚い胴体に硬そうな皮膚。
でも――
「角が……四本?」
額から斜め上に伸びる二本。
頬のあたりから後ろ向きに伸びる、少し短い二本。
「ホーンサングだな」
グラムさんがぼそりと言った。
「ホーンサング?」
「森のモンスターだ。突進力がえげつない」
ホーンサングは、こちらを見て、鼻息を荒くした。
(……)
胸の器からテイムの意識を伸ばす。
(……なにも、見つからない)
正確には、ある。
濃い魔力が、ホーンサングの中には満ちている。
ただ、それが。
(タベル ケチラス タタカウ)
そんな、単純な欲望だけでぐるぐる回っているみたいだ。
輪郭が曖昧で、つかみどころがない。
(……でも)
自分に言い聞かせるように、ホーンサングに向かって一歩出た。
「フライ!」
ノエルさんの声が飛ぶ。
「大丈夫。無理だと思ったら、すぐ引きますから」
ホーンサングと向き合う。
あいつの目は、こちらを見ているようで見ていない。
(おちつけ)
自分の胸の奥で、器の底を撫でるように魔力を整えていく――
「〈〈テイム〉〉」
ホーンサングの方へ、そっと意識の手を伸ばす。
(おちついて、話を――)
意識に、何かがぶつかった。
(タベル ケチラス タタカウ)
濁った叫び。
そこに、誰かはいないような。
ただ、その渦の中に、言葉を差し込む隙間を探そうとして――
(……ちがう)
この拒絶されるような感覚は――
(こちらを向いてくれない)
胸の奥で、その言葉が浮かぶ。
「……ダメだ」
思わず、一歩後ろに下がった。
「フライさん!」
ノエルさんの声が強くなる。
「……無理です!」
喉が、少し震えた。
「繋がれないです!ただ襲ってくるだけって感じで……!」
ホーンサングが、鼻を鳴らして地面を掘る。
その前足の一歩で、地面が震えた。
「グラムさん!」
「分かってる!」
次の瞬間、ホーンサングが飛び出した。
低い姿勢のまま、信じられない速度で突進してくる。
グラムさんが大盾を前に出し、防御の体勢を取る。
シアンさんが短く、
「〈〈ファイアシールド〉〉」
グラムさんの盾の表面に、炎の膜が張られる。
ホーンサングの角が、そこにぶつかる。
「ぐっ……!」
ホーンサングの体が炎に包まれるが、押し返す。
地面が、ずずっと削れる。
衝撃が、空気ごと押し寄せてきた。
「〈〈アースバインド〉〉」
その横で、シアンさんが杖を振る。
地面から、土が伸び、ホーンサングの足に絡みついた。
ほんの一瞬だけ、その動きが鈍る。
「今!」
ノエルさんが手を伸ばす。
「〈〈プロテクション〉〉」
柔らかい光がグラムさんの体を包み、踏ん張りが一瞬だけ強くなる。
「おらぁっ!」
グラムさんが、盾を押し返した。
ホーンサングの体が、ぐらりと揺れる。
「パディット!」
(たたかう みんな まもる)
パディットが、横から走り込む。
ホーンサングの脇腹に飛びかかり、その厚い皮膚を牙で噛む。
筋肉と皮膚の隙間を探して、牙をねじ込む。
ホーンサングが、苦しそうに鳴き声をあげた。
「右前足だ!」
グラムさんが叫ぶ。
「足を止めろ!」
「了解!」
シアンさんが杖を振り、足元に土の突起を生み出す。
「〈〈アースバインド〉〉」
足がもつれ、動きが鈍る。
パディットの牙が、脇腹を貫いた。
ホーンサングが、ぐらりと崩れる。
(……ドスン)
ホーンサングの気配が、静かに地面に溶けていった。
⸻
さっきまでの突進と怒号が嘘みたいに、森が息を潜めていた。
「ふぅ……」
グラムさんが、大きく息を吐く。
「やっぱ、ホーンサングは突進力がえげつねぇな……盾、腕ごと持ってかれるかと思った」
ノエルさんが、すぐにグラムさんの腕に手を当てる。
「痛みは?」
「ちょっとジンジンする程度だ。問題ねぇ」
「〈〈リール〉〉」
「回復魔法はかけておきますね」
「助かる」
そう言いながらも、グラムさんの肩はわずかに震えていた。
「フライ」
シアンさんが、杖を軽く地面に突いてから、こちらを見る。
「大丈夫?」
「テイム、してみたんですけど……繋がる感じが、全然なくて」
胸の奥が、少し重くなる。
「パンやパディットみたいに、繋がろうとする意識みたいなものがなかった」
「ただ欲を満たしたい、目の前を壊したい、みたいな濁った気配だけで」
「モンスターってのは、だいたいああいうのだよ」
シアンさんは、あっさりと言った。
「魔力を溜め込むだけ溜め込んで、自分の中で、欲望の塊みたいになってる」
杖の先で、倒れたホーンサングの体を指し示す。
「繋がらないって感覚、正しいと思うよ」
その言葉に、一瞬言葉が詰まった。
「繋げようとしたら、拒絶される感じでした」
「テイムは万能じゃない、ってな」
グラムさんが、大盾を土に突き立てる。
「繋げられる相手かどうかを見極めるのも、テイマーの役目だ」
パディットが、静かに僕の横に戻ってくる。
(つなぐ むり だいじょうぶ)
(……そうだよね)
胸の中で、パディットの気配が、さっきのホーンサングの何もない気配と対照的に、はっきりとした形を持っているのが分かる。
「気にすんな、フライ」
グラムさんが、ニッと笑う。
「テイムできなくてもよ、俺たちハンターがなんとかする、そのために来たんだ」
「……グラムさん、ありがとうございます」
「あらためて礼言われると照れるな」
頭をかきながら笑う。
「まぁ、少なくともこの遠征は、頼ってくれていいぜ」
「だから今みたいに、無理とわかったら俺たちが戦うって役割分担ができりゃ、それで十分だ」
「そうですね」
ノエルさんも頷く。
「フライさんが上手くやらなきゃって思い込む必要はないですよ」
胸に絡みついていた重さが、少しだけほどけた気がした。
⸻
ホーンサングの体は、必要な素材や肉だけ手早く回収して、その場に埋めた。
日が傾き始めて、森の影が長く伸びていく。
「……暗くなってきたな」
グラムさんが、空を見上げる。
「野営にするか」
「そうですね」
ノエルさんも、周囲を見回しながら頷く。
「この時間から無理に進んで、暗い中で進むのは危険です」
「じゃあ、この辺りで場所を探そうか」
シアンさんが、杖をくるりと回す。
「フライ。周りの気配、見られる?」
「はい、やってみます」
深く息を吸って、森に意識を広げる。
魔力や危険な気配はない。
それと同時にパディットが言う。
(ここ なわばり ちがう)
「パディットが、ここは縄張りの中じゃないって」
「いいね、それ」
シアンさんが嬉しそうに頷く。
「じゃあ、ここから少しだけ外れたところでキャンプだね」
「フライ」
グラムさんが、ニヤッと笑った。
「便利だな、お前」
「便利って……」
「褒め言葉だぞ?」
大盾で地面を軽く叩く。
「森では、もし野営の場所を間違えたら、それだけで命取りだ」
「ここなら大丈夫って言ってくれるやつがいるのは、相当ありがてぇ」
「前なんかよ」
グラムさんの目が、少し遠くを見る。
「ここなら大丈夫だろって適当に決めた場所で野営したら――」
「出た。グラムさんの黒歴史」
シアンさんが、くすっと笑う。
「聞きたいです」
思わずそう言うと、グラムさんが頭をかいた。
「……」
「経験から学べることもありますからね」
ノエルさんが、優しく釘を刺す。
「で、その時はですね」
「お前が話すのかよ!」
グラムさんがすかさずツッコむ。
「うふふ」
ノエルさんは、少し楽しそうだった。
「グラムさんが、ここなら大丈夫だって言って、皆で焚き火囲んでキャンプしてたんですけど――」
「夜中にな」
グラムさんが、観念したように続ける。
「いきなり、テントに突っ込まれた」
「……何にですか?」
「大きめのイノシシに」
シアンさんが、肩を震わせる。
「しかも、その場所が縄張りのど真ん中だったっていう」
「それ、場所選んだのって……」
「オレです、はい」
グラムさんが、肩を落とした。
「ここ、地面安定してていい感じだろと思ってな……」
「今思えば、獣が地面踏み固めまくってたってことなんだが」
「それ以来、野営場所選ぶときのグラムさんの目は、だいぶ慎重になりましたよね」
ノエルさんが微笑む。
「だから、フライさんの気配が読める力が、すごく心強いですよ」
「……そうなんですか」
胸の奥が、少しだけ温かくなった。
「じゃあ、焚き火の場所、決めますね」
地面の感触と、周りの気配を確かめながら、動物の通り道じゃないと思える場所を選ぶ。
「ここにしましょう」
「了解」
グラムさんが荷物を下ろし、薪になりそうな枝を集め始める。
「フライ」
グラムさんが、半分笑いながら言う。
「せっかくだから、お前の料理見せてくれよ」
「聞いたぜ、討伐の時の飯うまかったって」
「話しが広まってる……」
でも、嫌じゃなかった。
「分かりました。やってみます」
⸻
焚き火に火が灯る。
ぱちぱちと木の爆ぜる音と、焦げる木の香りが、森の湿った空気に広がっていく。
「とりあえず、持ってきた干し肉と豆と乾燥野菜があるので……」
荷物の中身を確認する。
レインさんが、出発前にくれた食材があった。
「はい、フライさん、調理道具ですよー」
どさっと置く。
相変わらず治療所の教えで、食べることにはこだわりがあるみたいだ。
「スープ、がいいですかね」
丸い鍋を焚き火の上に置き水を鍋に注ぐ。
干し肉を細かく切って入れ、豆と乾燥野菜を加える。
母さんが香辛料の小瓶をいくつか持たせてくれていたので、それも慎重に選ぶ。
「塩はこのくらい……香草は、これは少し強いから控えめで……」
つい、集中してしまう。
火加減を見ながら、木のスプーンで鍋をゆっくりかき混ぜる。
「真剣な顔してますね」
ノエルさんが、焚き火の向こうから笑う。
「戦闘中より集中してない?」
「料理は失敗できないですから……」
シアンさんも笑う。
「鍋も、力も、何でも詰め込まないことだって、言われました」
レインさんの言葉を思い出す。
「今日は、ちゃんと混ざり合うものだけ入れてます」
「グッジョブ」
シアンさんが、興味深そうに鍋を覗き込む。
鍋の中の匂いは少しずつ濃くなっていった。
「そろそろ、味見しますね」
スプーンで少しよそって、ふうふうと冷ましてから口に含む。
塩気。
干し肉の旨味。
豆のほっくりした食感。
そこに、香草の香りがほんのり重なる。
(……うん!ちゃんと、まとまってる)
「どうだ?」
グラムさんが、期待混じりに覗き込む。
「出来ました!」
「よし!」
グラムさんが、ガッツポーズをした。
「じゃ、器よこせ。腹減った」
「熱いので気をつけてくださいね」
持ってきた木の椀にスープをよそっていく。
「いただきます」
グラムさんが一口飲んで、目を丸くした。
「……お、うまいな!」
「良かった……」
胸をなで下ろす。
「狩りのあとに飲みたいスープって感じだな、これは」
ノエルさんも器を受け取って、一口。
柔らかく微笑む。
「落ち着く味、美味しいですね」
何故だか、少し目の奥が熱くなった。
「シアンさんも、どうぞ」
「いただきます」
一口飲んだシアンさんが、満足そうに頷く。
「うん、沁みるねぇ」
パディットには、少し冷ましてから、肉と汁を分ける。
(あつい うまい たべる)
目を細めてスープを舐めるパディットを見ていると、どこか胸が安らいだ。
⸻
スープで体を温め、簡単な干しパンをかじったあと、見張りの順番を決めた。
「最初の見張りは俺がやる」
グラムさんが、いつもの調子で言う。
「二番手がフライ、三番手がシアンでどうだ」
「了解」
「分かりました」
「ノエルは、しっかり寝ろよ」
グラムさんが、少し真面目な声で言う。
「ヒーラーが一番消耗しちゃ、元も子もねぇ」
「はい。でも、何かあったら起こしてくださいね」
焚き火の火の番をしながら、グラムさんが座る。
ノエルさんとシアンさんは、簡易テントの中に入り、眠りの体勢に入った。
パディットは、僕のすぐそば、少しだけ焚き火から離れた場所に丸くなった。
(フライ ねる)
(うん。僕はニ番目だから、少し寝るよ)
パディットも耳をぴくぴく動かしながら、目を細める。
目を閉じる前に、空を見上げる。
木々の隙間から、星がいくつか顔を出していた。
(……村の空と、ちょっと違う気がするな)
見慣れたはずの星なのに、場所が違うだけで、どこか別の空みたいだ。
目を閉じると、焚き火の音と、森のざわめきが、ゆっくりと遠ざかっていった。
⸻
いつの間にか順番が回ってきて、グラムさんに肩を揺すられて目を覚ました。
「フライ。交代だ」
「……はい」
まだ少し頭がぼんやりしているけれど、外の空気を吸うと一気に目が覚める。
夜の森は、昼とは別物だった。
焚き火の光が、暗闇の中で小さな輪を作っている。
「何かありました?」
「特にねぇな」
グラムさんは大きく伸びをする。
「……良かったです」
「じゃ、少し寝るわ。何かあったら起こせよ」
「はい。お疲れ様です」
グラムさんがテントに入っていくのを見送って、焚き火の前に座る。
パディットが、ごそっと体を起こした。
(かわる おきる)
(うん。今から僕の番だからね)
パディットが僕の隣に座り、焚き火の向こうの暗闇を見つめる。
(むかし なわばり ねてた)
(おおきい いのしし つっこんだ)
「……」
どこかで聞いたような話だ。
(それ、グラムさんの話と似てるね)
静かな時間が流れる。
焚き火の火が、少しずつ小さくなっていくのを、枝をくべて支える。
夜の森は、まだ深い。
でも、隣にはパディットがいて。
少し離れたところには、頼もしいみんながいて。
村には、パンがいて。
(……絶対、帰る)
星は、相変わらず静かに瞬いていた。
⸻
翌朝も、森の中をひたすら歩いた。
ときどき、蛇や小さなモンスターが現れたが、そのほとんどは、パディットとグラムさんの圧で逃げていった。
腰や足が、少しずつ重くなってくる。
その次の日も、同じように歩いた。
小さな川を渡り、低い丘を越え、湿地の脇を慎重に回り込む。
(……だいぶ、村から離れたな)
「見ろ」
グラムさんの声が、少しだけ高くなった。
視線の先――
森が、途切れていた。
木々の間から抜け出すと、視界が一気に開ける。
低い丘をひとつ越えた先に、それはあった。
岩肌がむき出しになった斜面。
その一部が、まるで口を開けているみたいに、黒くぽっかりと穴になっている。
周囲の空気が、妙に重く感じた。
読んでくださりありがとうございます。
モンスター情報を載せていきます。
次話も読んでいただけると嬉しいです。
ホーンサング
大きさ:2m
猪型:四本角で突進してくる
生息:森
魔力:土寄り、風小(魔法は使わない)




