【第四章】7.時の中に眠る館
その屋敷に鍵はかけられていなかった。装飾がところどころ剥がれた重く大きな扉を開くと、中から冷たい空気が流れてくる。
「お邪魔しまーす……」
小さな声が薄暗い屋敷に響き、こだました。
「人がいなくなった家って、なんでこうも雰囲気あるんだろうな……」
二人が中に足を踏み入れると、玄関ホールの大扉はバタン! と強く音を立てて閉まり、思わずノエルは肩を震わせる。
その様子にリラは小さく笑った。
「幽霊屋敷と呼ばれるくらいには、年季が入ってるね」
二人は辺りを見渡す。建物のインテリアに使われているものはどれも高価なものだと感じられるが、それらはすべて色褪せていたり、塗装が剥がれていたり、埃を被った物だらけだ。
どこからか何か這うような音や、水が滴り落ちる音が聞こえてくるような……気もする。
「どの部屋から行こうか」
ノエルの不安をよそに、リラは臆することなくホールを歩き回る。
「わ、ちょっと待ってよ、リラ」
ノエルは、彼女の堂々とした姿になんとも自分が情けなく感じてしまい、深呼吸をひとつすると肩の力を抜いて背筋を伸ばした。
「危ないから、一緒にいよう」
するとリラはその言葉に別の意味を感じ取った様子でふふっと笑った。
「そうだね」
「……あの、言っとくけど、怖いからじゃないからな」
「はいはい」
最初の扉を開くと、そこは食堂のようだった。宝探しという名目もあるが、好奇心があることも否定はできない。
「この屋敷って誰が住んでたんだろうな」
「さぁ。でも、家族で住んでいたんだろうね。食器もいくつかまだ残っているみたいだし……。まぁ、かなり古い時代の物だから、住まなくなってだいぶ時間は経っているのかもだけど」
古びて扉が壊れている食器棚には黒ずんだ食器がまだいくつか収められていた。
「へぇ。そんなのわかるんだ。ちなみに、どのくらい?」
「うーん。この食器が日常で使われてたのは……100……200年くらい前とか?」
「に……!?」
驚きで思わず食器を凝視する。
「そもそもこの金属タイプの食器を使ってるってことは、それなりのお家柄だったんだろうね。紋章……は、入ってないけど」
「食器からそんなことまでわかるんだ。確かに、普通じゃ木皿が主流だから、お金持ちなのは俺でもわかるけど」
「安定した収入があった家ってところかな。でもそんな家でもこんな風になってしまうんだから、時代の流れは容赦ないね」
「あはは……。にしても、そんな前の建物が残ってるものなんだな」
「ごく最低限の補修は何度も入ってるんだろうね」
二人はその後、寝室や書斎、客間などいろいろな場所を見ていく。
不自然に家具や物がなくなっているところをリラは険しい顔で見つめた。
「この屋敷もだいぶ盗みが入ってるみたい」
「鍵は開いてるし警備はいないし、盗賊も入り放題……ってわけか。こんな屋敷に宝があるわけないだろうな」
「ヒントもないだろうね。というか、あってほしくないな。幽霊なんかより盗賊と鉢合わせる方がよっぽど危ない」
「だな。人の気配は感じないけど、一応警戒はしておこう」
ノエルはローブで隠された腰の短剣にそっと手を触れた。
しかし、そんな思いも杞憂に過ぎたようで、一切の危険に出くわすことなく順調に部屋を見ていく二人は、最後に二階の一番奥の部屋に入った。
「ここは……書斎かな」
やや狭く、小さな物書き用のテーブルと椅子、それから本が抜かれた本棚だけが部屋に置かれていた。
一枚の窓から差し込む柔らかな光に、部屋を漂う埃が反射して時折キラリと見える。
「ここもきっと絨毯とかあったんだろうけど、今は木の板が丸見えだな。壁紙もはげてるし」
「机と椅子はここに残ってるみたいだね」
リラはそう言って木製の簡素な机を見た。椅子もただの木の板を釘で繋ぎ合わせただけのようだ。
「金目のもの……って感じではないな。腐食もかなり進んでるみたいだし」
「そうだね。……はぁ。結局、何もなさそうだし、そろそろ――」
リラの手がその小さな机に触れたその時、彼女は何かに気づいてはたりと止まった。
「リラ?」
彼女は机を見つめると、そのまま手のひら全体で触れる。
「魔力……? いや、これは……」
「どうかしたのか?」
リラは何も応えないまま何かを探るように手を滑らせた。その手がやがて机の裏に伸びると、ふと、彼女は何かに気づいて机の裏の、その違和感を押し込んだ。
「開いた」
「え?」
カタン、と乾いた音がした後、すぐに一冊の薄い手帳が落ちてくる。
「手帳?」
リラのそばにいたノエルがそれに手を伸ばす。古びているその手帳は長い時間を過ごしていたようなシミや歪みができている。
固くなって開きにくくなっているその手帳を、ノエルは限りなく慎重に開いた。リラも隣に並んでそれを見る。
「何か書かれてたみたいだな……」
「もう読める部分は少ないみたい。えっと……」
不意にリラがノエルにくっつくように身体を寄せた。
「……っ」
ノエルは体に触れる柔らかい感触にどこか気まずくなり、目を逸らした。
それにはまったく気づかないリラは、指を文字の上にそっと添えると、ゆっくりと紙に残された文字を読み上げた。
「日付は……今から200年ちょっと前ぐらい……? えっと、よ……しゃ……? よ、げん……しゃ……」
「預言者?」
二人は顔を見合わせる。
その瞬間、リラの長いまつ毛がはっきり見えてしまうほど近い距離に、ノエルの鼓動が強く弾んだ。
花の甘い香りがそっと鼻腔を刺激する。
「あっ、ご、ごめん……っ」
パッと身体ごと離れたノエルだったが、リラはその挙動に「わざと避けられた」ように感じとり、少々不快そうに眉をひそめる。
「別に……。それよりも、そこに書いてあるのは」
「え? あ、あぁ、預言者……だよな。なんだろう、これ」
「まだ続きがあるみたい。見せて」
そうして離れたノエルの腕を強引に自分に引き寄せ、その手に持つ手帳を見る。
「預言者……。この街に来たのかな……。何かを伝えに来た……? へるつ……」
ある文字に目が止まり、リラの瞳が揺らいだ。
「ヘルツベルグ——」
「ヘルツベルグ? 聞いたことのない名前だな」
「そう、だね……」
彼女の瞳にかすかに影が落ちる。それに気づいたノエルは、彼女の読んでいた手帳を見る。
「その預言者は何かを伝えにここに来たのか? そのヘルツベルグって人に伝えるために?」
「たぶん。でも、肝心の預言の内容はもう消えてしまっていて読めないね」
「にしても、どうしてこんな手帳がこの机にあるってわかったんだ?」
「あぁ……」
視線がただの木の机に向けられる。
「ほんの少し、魔力を感じたの。魔法がかけられてるのかと思ったんだけど、どうやら魔法は解除されてる。わたしが感じたのは、おそらく残留魔力」
「残留……?」
「でも、残留魔力なんて魔法が解けたらすぐに消えてしまう。だからきっと、この魔法はつい最近、誰かの手によって解除されたのかも……。本当、数日前に――」
「——ッ?」
刹那、ノエルは部屋の入り口からこちらをのぞく人の気配を強く察知し、ハッと振り返った。
「誰だ!?」
リラも振り返る。ノエルは入り口に駆け寄った。しかし、そこには誰もいなかった。
誰かがどこかで動く気配すら、なかった。
「気のせいか? でも……」
「もしかして、幽霊?」
「――!」
思いがけないリラの言葉にノエルの背筋が凍る。しかし、それを悟られないように精一杯笑顔を取り繕った。
「ま、まさか〜。あはははは。それよりさ、もう出ようか? 宝はなかったみたいだし……」
「そうだね。どこかの誰かさんも、そろそろ肝が冷えてきた頃だろうし」
「へ? お、俺じゃないからな!」
「はいはい」
おかしそうに小さく笑うリラはそのまま部屋を出て行こうとした。
「待って、リラ。その手帳、持っていく気か?」
すると、彼女は肩越しに振り返った。
「うん。ちょっとね、気になるから」
「でもそれじゃあ盗んでるみたいじゃ……」
「盗んだんじゃない。借りるだけ」
体よく言いくるめられた気もしたが、リラならちゃんと理由があるのだろうと思った。
視線が自然と窓の外を向く。
「……もう日暮れだ」
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