【第四章】1.共に過ごす
春も盛りを迎え、植物は青く茂り、森の中は生き物たちの声であふれていた。
先を進むノエルとリラは、夕暮れを目前に迎え、小川のそばで野宿の準備を進めていた。
「よし、かかった!」
ノエルが枝で作った即席の釣り竿を引き上げると、一匹の小さな川魚が上がった。
白からオレンジに染まり始める太陽の光が水飛沫をキラキラと照らし出す。
ビチビチと元気に跳ねる魚を、植物を編んで作った簡易的なカゴに入れる。
中で跳ねる魚たちを見て頷いた。
「これだけあればいいな」
そうしてカゴを手にし、近くで焚き火を囲むリラのもとへ行く。
「日暮前には食事にできそうだな。リラ。……って」
「あぁ……おかえり、なさい……」
苦笑いを含んだ覇気のない声のリラは、焚き火の前に立てられた『それ』をチラリと横目で見遣る。
ノエルもそれを見て察したように「あぁ……」と声を漏らした。
ここ数日、彼女と共に旅をしていてわかったことがある。
彼女はとても博識だ。さまざまな分野を熟知しているように見え、まるでこの世界に知らないものはないんじゃないかと勘繰ってしまう。
しかし、そんな中でもひとつ、彼女には人間らしい欠点があった。
「やっぱ、焦がしちゃったんだね……」
「うーん。……ごめんなさい」
料理がめちゃくちゃに下手くそということだった。
なぜそんなことになってしまうのかと、思わず聞き返したくなる具合で、彼女にお願いした食材はどれも真っ黒な焦げカスとなって返ってくる。
「ちゃんと、言われた通りにやったのだけど……」
地面に突き刺さった串は、下処理の段階でそうなったのか、焦げたせいなのか、魚は原型を留めておらず、ミミズのような何かが、焦げた木の串にこびりついている……ように見える。
「ま、まぁ、最初は誰でも失敗するさ」
お試し調理としてリラに任せた魚は一匹だったため、痛手は少ない。
「まだ三匹いるから。俺がやるよ」
「ごめん……。わたし、料理なんて人生でまったくしてこなかったから……。魚にも申し訳ないな」
彼女が食に対してあまり興味がないということはすでにレイヴァルの街で知っていたので、料理が苦手だということに関してさほど驚きはなかった。……度合いは置いておいて。
「俺は大丈夫だよ、誰にだって苦手なことはあるさ。……というか、リラにもそういう面があって少し安心したな」
ノエルは調理台として用意した広くて平らな岩の上で魚を手早く捌く。
それをリラは見つめながら言った。
「上手いね。慣れてるみたい」
「一応騎士団時代に野営術は学んでるつもりだから。役に立って良かったよ。それよりも、火は大丈夫?」
パチパチと音を立てる炎を前に、ノエルはアルデナ村での出来事を思い出す。しかし、リラは首を横に振った。
「この程度なら平気」
「そっか。それなら良かった」
安心した様子で笑うノエルは、調理台のそばに置いてあった山菜や香草を手にする。
「せっかくリラが採ってきてくれたから、これも使おう」
「それを?」
ノエルは内臓を取り出し綺麗に洗った魚の腹の中に山菜や香草を詰めた。
中身が出ないように紐で縛ると、それを魚よりも大きな葉で包む。
「これを、こうして……」
同じように残りの魚の用意も済ませると、今度はそれらを焚き火によってできた灰の中へ深く埋めた。
「こうするといい具合に火が通るんだ」
「へぇ、そうなんだ」
リラは彼の動きを物珍しそうに見ていた。アルデナ村までで見ていた彼女とは違う一面が見られて、ノエルは自然と微笑みが浮かんでいた。
「これでしばらく放置だ。それにしても、リラでもそんな珍しそうな顔をすることがあるんだな」
腰を下ろしたノエルにリラは苦笑しながら肩をすくめた。
「料理は知ってても、調理の仕方は知らないことばっかだろうね」
「そうなのか、それじゃあ今まで何を食べていたんだ?」
そう聞くと、ふとリラの表情が一瞬固まったように見えた。彼女は少し考える様子で近くに用意していたティーポットから錫のカップにハーブティーを注ぐ。
それを静かにノエルに手渡すと、自身もカップに口をつけた。
不味いことでも聞いてしまっただろうか、そう思った時、リラはどこか恥ずかしそうに口を開いた。
「そこら辺に生えていた食べられる植物をそのまま食べてたかも」
「えっ!? そ、そうなんだ……」
思わぬ回答に戸惑ってしまい、口を閉じてしまう。
こう言う時、何か気の利いたことが言えたらいいのに。
「身体とか壊さなかったのか?」
気まずい空気を破るようにノエルは言葉を繋いだ。
「まぁ、栄養は偏るよね。でも壊さなかったよ。……壊れないから」
「壊れない……?」
「わたし、身体は誰よりも強いの」
リラはクスッと笑ってみせる。ふわりと、気まずい空気が和らいでいくのを感じ、ノエルも微笑みを返した。
鳥の囀りや風が木々を揺らす音を聞きながら、茜色の空を見上げる。
「だいぶ日も長くなったな」
こうしている時間はとても穏やかだ。
世界はまるで平和であるかのように錯覚してしまうし、それが錯覚ではないよう願ってしまう。
「……精霊か……」
自分たちの向かう先を思い、そう呟いていた。その時、ふとあることを思い出し、麻袋から一冊の本を取り出す。
ハーブティーを飲んでいたリラはそれに気づき、本の表紙を読み上げた。
「ヴェルシオン王国の、神話集……?」
「うん。そう言えばこの本に精霊の森のことが載ってたんだよな」
「そんなの持ってたんだ」
「あぁ、レイヴァルで買った」
本を開くと埃っぽい匂いと古びた紙の匂いがふわりと上がった。ページを捲る音がしばらく聞こえ、やがて指が文字をなぞり始める。
「森はヴェルシオン王国の建国前からあったんだな。でもそんな森の話、俺は聞いたことないな……」
目当ての章を読みながら言うと、リラは思い出したように口元に手を当てた。
「今はその森が開拓されて、新しい里が出来たんだよ」
「え? でも、これから行こうとしているのは精霊の『森』なんだろう? 森がなくなってしまったなら、行けないんじゃ……」
すると、リラは申し訳なさそうに
「ごめんなさい、『昔の呼び方』で言ってしまってたね。森はただ精霊界へ行きやすい場所だったってだけで、なくなってしまってもその『門』自体はなくなっていないから」
「えっ、じゃあ俺たちこれから精霊界に行くのか?」
「そう」
「そう、か……」
おとぎ話にしか出てこない言葉を当たり前のように口にしているリラに、ノエルはおずおずと小さく言う。
「こんなこと言うのもどうかと思うんだけど、俺はまだリラの話す精霊界や……魔界の話を疑ってしまう気持ちがあるんだよな」
「まぁ、そうだろうね。……わたしだって、魔物や魔族が現れなければ、きっとそんな神話になってしまった世界の話は誰にもしなかったもん」
その言い回しに疑問が浮かぶ。
「どうしてリラは神話の話をそんな風に話すんだ?」
「そんな風?」
「信じる信じないとかの話じゃなくて、君はまるでその世界が在ることを知っているような口ぶりじゃないか?」
これを聞くことは、つまり、彼女がこれまでどんな人生を歩んできているのかを知ってしまうことでもあることをノエルはわかっていた。
それでも、二人の会話はまるでそこへ導くかのように流れてしまったのだから、この踏み込んだ質問は避けては通れないと互いにどこかで感じていた。
リラは静かに目を伏せ、そっと口を開く。
「わたしには恩師がいたの」
「恩師……?」
「そう。その人がわたしにヴェルシオン王国や世界のことを教えてくれた。その神話集――」
不意に彼女はノエルの膝の上の本を指差す。
「きっと、そこに書いてあることのほとんどをわたしは在ると知っている。それは、恩師がそう言う人だったから」
だんだんと涼しくなってきた風が二人の間に流れた。
「世界のいろいろなことを在ると知っている人。わたしに魔法を教えたのも、植物の魔法を教えたのもその人。今わたしがあなたに教えられるすべてのことは、全部その人からの教えなの。……わたし自身には何もないよ」
言葉はどこか影のある言い回しだったが、それでも彼女の遠くを見つめる瞳は静かで、穏やかだった。
明るくも暗くもない。ただ純粋に『その人』との思い出を振り返るように話す。
「すごい人だったんだな」
気づくとそう言っていた。
「うん。すごい人だった。だからわたしはもらった知識と力で、魔物や魔族を倒さないといけないの」
手元のページが風に捲られる。開かれたそこにはヴェルシオン王国の『大厄災』について書かれていた。
「リラは魔界との境目を閉じるって言っていたな」
「そう……」
一口お茶を飲んだリラはカップを置くと応える。
「1000年前の大厄災で魔物の類は絶滅したと思われていた。でもそれは間違いで、もしも魔物魔族がすべて魔界ラグナヴェルドに戻っていたなら。それがなんらかのきっかけでこちらの世界に繋がってしまっていたなら」
「今の状況にも説明がつくな。その魔界とつながってるのが境目……」
「わたしは、直接やつらがそこから現れたところを見ていないけど、やつらが現れたとされる……強い瘴気の溜まり場があることはわかったの。それをわたしは浄化してまわろうと思ってる」
「アルデナ村で見た、あの花びらが舞う魔法か? レイヴァルでも同じ花が舞っていた」
「覚えてたんだね」
彼女は落ち着いた様子でカップを口元に持っていく。
「わたしは人より少しだけそういうのがわかるみたい」
「そっか。それをリラは自分の使命として……。すごいな、リラは」
ノエルはふと明るい声を上げた。
「自分の役目がわかって、それを実行できるなんて。リラはすごい魔法使いだな。尊敬するよ」
そうしてそっと微笑む彼にはどこか闇を孕んでいるようにも感じた。リラは彼を見つめると、やがて静かに応える。
「……大層なことじゃないよ。こんなこと……」
「リラ……?」
ノエルが口を開きかけた時、不意にリラが「あっ」と声を上げた。
「え?」
「なんか焦げ臭い……?」
「えっ? ……あっ!」
そうして二人はわずかに煙の立つ灰を掘って魚を包んだ葉を取り出した。
葉を開くと、全体的に焦げが目立つ魚が姿を見せる。
「あちゃー、ちょっと火が入りすぎたか……。あ、でも身は食べられそう」
「……これは、このまま食べるんだよね?」
「そうだよ。ほら」
ノエルは木のフォークを手渡す。
そうして二人は食事をした。
リラは少し戸惑っていたが、すぐにノエルの姿に倣うようにして魚を口に運ぶと「美味しい」と言いながら口に頬張っていた。
「なぁ、リラ」
黙々と食事を進めている時、ノエルは思い出したかのように声を上げた。
「結局、俺たちは今から精霊……『界』に行くんだよな?」
するとリラは悪戯っぽく小さく笑った。
「まぁ、まずは精霊界……の、その入り口を現在、守護しているって言われている『凪の里』」
「凪の里?」
「――に、唯一馬車が通っている街」
「えっと、つまり?」
「バルゲートに行くよ」
――やがて日は落ち、夜の闇が森を包む。
地面に薄い布を敷き、寝転がるリラの耳元にかすかに剣を振る音が聞こえた。
「……」
少し離れた場所で、ノエルが短剣を握り稽古をしている。リラは横になった状態でそれに耳を傾ける。
「毎晩毎晩、よくやるよ……」
薄い布団を被り、リラは火の消えた焚き火跡を見つめた。
「わたしなんかより、ずっとすごい……」
彼女はそっとまぶたを閉じた。
第四章バルゲート編始まりました。
華やかな街でノエルとリラはさまざまな人たちと出会います。
ここで繰り広げられる物語、どうぞよろしくお願いします。




