副所長は辟易す
魔法協会研究所副所長という肩書きなど、今すぐ捨ててしまいたいと彼――スコット・ビアードは常々思い続けていた。
いつの間にか出来ることが増え、やるべきことも増え、遂には研究所の運営ほぼすべてを任されるようになった。
しかしやっているのは会議に書類仕事に折衝、そしてまた会議の繰り返し。
この社会の歯車になることに何ら抵抗はない。
しかし朝から晩まで形骸化した会議に参加していると、自分が噛み合わないまま空回りしているだけのように思えてくる。
せめて歯車であっても意味が、実感が欲しいと思うのは贅沢なのだろうか。
彼は優秀であり、そして偉くなり過ぎた。
誰もが彼の意見に大げさに頷き、主張には賛同する。
何ら抵抗も手ごたえもない毎日。
しかし副所長の肩書があれど、そればかりはどうすることもできない。
それこそが彼が社会の歯車のひとつに過ぎないことの証左であった。
だからこそ、リヴィ・クオンティーナに退去を命じた日彼は上機嫌だった。
年端もいかない小娘が、自分に媚もせず物怖じする様子もなく発言してくるのがおもしろかった。それもあの人と同じ目をしてだ。
小娘は大魔法使いアメリア・クオンティーナと同じ、真っ直ぐ貫くような理知的な目をしていた。
しかもそれには、悪意や悪戯心という反しが銛のようについているのだ。
相手が隙を見せぬなら強引に隙を作り、隙あれば襲い掛かり弄ぶ。
あの迷惑で厄介な性質は、きっとあの娘に受け継がれたのだろう。
思わずスコットは頬を微かに緩める。
迷惑ばかりかけられたが、それでもアメリアは恩人で、尊敬する魔法使いであった。
その欠片が残っているということが嬉しく、楽しみでもあったから。
「副所長、到着致しました」
御者の言葉で見てみれば、あの小娘の住んでいた屋敷の前まで来ていた。
「あぁ」とだけ伝えて彼は表情を引き締める。
「貴様ら、いつまでぐずぐずしているッ!!」
扉を乱暴に開けて怒鳴り込む。
中にいた若い研究員たちは、声も上げることなく青い顔をして俯いた。
小娘のような気骨は誰にも感じられず、言い訳をする者もいない。
それが彼をよけいに苛立たせた。
「どいつもこいつもこの役立たずが! なんだあの報告書は。私はアメリア女史の研究について調べろと言ったはずだ。貴様らのおかしな冒険話など誰が聞きたいと言った!!」
「副所長! ダメです、その廊下は!!」
研究員の一人が叫ぶがスコットは構いもせずに突き進む。
すると一瞬廊下の空気が振るえ、
ゴオッ!
両壁から炎が噴き出した。
「ふん、第二水魔法。第一氷雪魔法」
濡れた壁と共に炎が凍りに閉ざされ、その合間に壁を調べたスコットは、
「第一雷撃魔法」
壁の中にあったそれを破壊する。
「さすが副所長! 多重魔法もですが正確な制御でいらっしゃるッ!」
「しかも別属性魔法を連続して使うなんて感動です! 魔法使い様!!」
「魔法だけじゃないですよ! 身のこなしも軽やかでいらして見惚れてしまいます!」
聞き飽きた言葉を無視して、スコットは壁から引きずり出した装置を改めた。
刻まれたサインからしてアメリア・クオンティーナ作の魔術装置だ。その完成度と合わせて考えれば、完動品なら市場でどれほどの値が付くかわからない。
そんなものをアメリアは、悪戯に使っている。
そしておそらくその悪戯は屋敷中に隠されているだろう。
何度となく彼女には頭を悩まされてきたが、まさか亡き後までとは。
そう思えど、スコットの顔に浮かんだのは嬉々とした表情であった。
「副所長……いかがなさいましたか?」
「何でもない。貴様ら、こんな玩具に何を手をこまねいている! それでよく恥ずかしくもなく協会の研究員が名乗れたものだな!」
言い返すものはいない。誰もがただ嵐が過ぎ去るのを待つばかり。
そんな中、唯一彼の期待に応えられる若い研究員が屋敷へとやって来た。
ただし、アメリアやリヴィとはまた別の種類ではあるが。
「師匠ーっ、ひどいっすよぉ……置いてくなんてえ」
他の研究員と同じ制服に身を包んでいるが、スカートの丈は妙に短くシャツのボタンはだらしなく二つ開けたまま。
跳ねた桃色の髪を揺らしながら、彼女はぱたぱたとスコットの許へと駆け寄って、ジトッと責めるような目を向けてくる。
「乗せてくれるって言ったじゃないですかあ! もうくたくたですよお」
「お前が時間通りに来ないのが悪い。それより――」
スコットの視線が彼女の豊満な胸元へと落ちた。
「――なんだその格好は! ボタンを閉めろと何度言わせるつもりだ!!」
「サイズが合わないからだって言ってるじゃあないっすかあ! わたしに言わないで胸に言ってくださいよ!」
「ならば合うサイズを事務に貰って来ればいいだろうが、このまぬけ」
「上げたら今度は他がぶかぶかになるんすよ! そんなに言うんだったらオーダーメイドで作ってくださいよお」
スコットは眉間に皺を寄せてその嘆願を却下、しようとしたが考えを改めた。
ここを若い研究員たち――限られた属性の魔法しか使えない属性使いに任せていては埒が開かない。
ただ彼女は例外だ。
彼女は若い研究員の中でも数少ない全属性使い。紛うことなき本物だった。
しかし早速指示しようとしたところで、その彼女が「あっ」と頓狂な声を上げた。
「師匠、悪い知らせが二つあるんですけど、どっちから聞きたいっすか」
何ら意味のない選択だった。
「どっちでもいい。さっさと話せ」
「そっすか? じゃあ小さい方からにしますけど、あのぅなんか……なんだっけ、あっ、ハウンドドッグとかいうのが逃げたらしいっす」
「……は? あの暗殺者どもがか! おとなしく従っていたのではなかったのか!?」
「なんか気づいたら居なくなってて、衛兵のほうで保管してた魔導具もなくなってたらしいっす。現状その逃げた四人の足取りはまーったく掴めてないとのことでしたあ」
スコットは額に手を当てうなだれる。
暗殺部隊が解き放たれたことも問題だが、さらなる問題がある。
それは彼女が次に語るのが”小さくない方”の悪い知らせだからだ。
「で、もう一つなんですけど……なんかまた魔族が攻めて来てるみたいっすよ? きゃんッ!?」
「お前は協会の人間として自覚を持て! 魔族が攻めてる? 緊急事態に何を他人事のように言ってる!!」
「もう叩かなくなって良いじゃないっすかあ! でも緊急で思い出しましたけど、緊急の召集がかかってますよ、師匠に」
「だろうなッ! クソッ、残党が動き出したか。すぐに向かうぞ……いや、お前はここに残れ」
彼女の肩を叩いてスコットは扉へ向かう。
本来であるなら自分がこの屋敷のもてなしを受けたいところだが、研究所副所長にそんな贅沢が許されるわけもない。
「魔法使いアレシア・グリジット、お前はここでもてなしを受けろ。属性使いたちに全属性使いの力を教えてやれ」
返事も聞かずにスコットは屋敷を後にした。
そしてその日の深夜、「あれのどこがおもてなしなんすかあ」と泣きながら執務室に戻ってきたアレシアに屋敷制圧の報告を受けたのだった。