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嫌われた英雄の影

「おい! 大丈夫か!?」


 男が叫ぶ。男とフィーアの目があった。フィーアは、男の正体に気が付いていないようだ。あの時の記憶が、襲われた衝撃で曖昧なままなのかもしれない。


「お前、あの時の……」


 男の方は、フィーアに気が付いたようだ。一瞬驚いた表情を見せる。


 そんな男の動揺を不審に思ったのか、警戒して立ち上がるフィーア。その背中に、そっと手を差し伸べた。


 訝し気に睨むフィーアを見て、男は溜息をついて首を振る。


「落ち着け。……俺の名前はサンダ。今は敵対するつもりはねえ。まずはあいつらからこの街を守らなきゃいけないんでな」


 サンダと名乗る男。先ほど暴徒に突っ込んでいった女も仲間だろうか。あの日フィーアを襲ったにもかかわらず、街を守るとはどの口が言っているのだろう。


「フィーア。一度離れよう。僕は彼が信用できない」

「……サンダさん。彼らは一体何者なの?」


 制する僕とは真反対に、臆することなくフィーアが問いかける。


「ああ、あいつらは研究所から脱走してきたのさ」


 サンダの言葉に、フィーアが僕をチラリとみる。研究所。いつか僕が打ち明けた事を思い出したようだ。暴走している彼らは、あの研究所にいたのだろうか。僕が見たときは皆大人なし過ぎるほど大人しいものだったはずだ。


 サンダもそれに釣られるようにこちらへ目線を向けるが、当然僕の姿は見えていないようで、不思議そうに首を傾げた


「なんだ? そっちに何かあるのか?」

「なんでも無いわ……っ後ろ!」


 サンダの後ろから近づく陰に気づいたフィーアが叫ぶ。一瞬早く気が付いた僕は、その声が発せられる前に走りだしていた。


 無言のまま、サンダに襲い掛かる影が大きくなる。この喧噪の中で、すっかり気配を消していたようだ。フィーアの声に反応したサンダは、振り向けはしたが、一瞬対応が遅れた。


 反撃の態勢を作ろうとして無理な姿勢になってしまい、足元から崩れる。尻餅をつくかというところ、間一髪で片手をつく事が出来たようだ。それでも、敵の攻撃を避けられる状態ではない。


 そんなサンダの横を、僕はすでに駆け抜けていた。振りかぶった敵の顔面を右拳が捉える。敵の首が強く跳ねあがり、白目を剥いてドサリと仰向けに倒れた。


「ニーゴ!」


 フィーアの心配そうな声に、拳を突き出して答える。


「……っと、相変わらず凄いな。何がどうなってんのか全くわからん。それ、ニーゴって能力なのか?」


 態勢を立て直したサンダが驚嘆の声を上げる。僕の姿が見えていないのだ。襲い掛かってきたものが不意に吹き飛んだように見えただろう。


「変わった名前だな……あー、なんか聞き覚えがあるな」


 腕を組んで、何やら思い出そうと首をひねっているサンア。あの日、サンダ自身がそれを受けていなければ、フィーアの能力だなどと勘違いする事も無かったはずだ。


 そんな驚きの目を向けられた当人であるフィーアは、ほっと胸をおろすと、ぺたりと座り込んでしまった。連続での危機に、腰が抜けてしまったようだ。


「っと、済まない。他の奴らも倒さないとな」


 街の防衛が優先ということで、サンダは思い出すことは断念したようだ。小さく手を振ると、荒れた戦乱の中へとまた飛び込んでいった。


 フィーアは手を振り返したが、僕は憮然と睨みつけるだけだった。いや、それどころではない。早くこの場を去らなければ、また危険に巻き込まれてしまう。


「魔女だ」


 歩き出そうと、フィーアの手を握りしめた時だった。少し離れたところから、一つの言葉が挙がった。煩雑で、悲鳴と怒声が混ざり合う騒乱の中で、その言葉は何故かはっきりと響いた。


「俺達には、魔女がいる」


 誰の言葉かはわからない。あるいは、一人の声ではないのかもしれない。それは少しずつ膨れ上がるように、まるで街の意思であるかのように広がっていった。


 サンダ達が合流したものの、戦況は芳しくない。警備隊が潰走してしまい、まったく役に立たない現状である。


 そんな状況では、方々に散り出した暴徒を追うだけでも難しい。各所で住民は逃げまどい、泣き、叫び、慌てふためいているのだった。


 それに追い打ちをかけるかのように、、いつの間にか敵の数が増えていたのだった。


 統一した意思を持たないような暴徒に対し、増員という言葉は的確ではないだろうが、敵の数は確かに倍増しており、その勢いを止められないでいた。


 むしろ、徐々に被害が広がってきている。サンダを含め、その仲間たちも懸命に戦ってはいるが、いかんせん人数が少なかった。


 今朝から続く不安と、唐突な恐怖。


 そんな中で上がった一つの声が、たった今見せられた不可思議な一撃。それは、街の人々の心を打つには十分すぎるものであった。


 何かにすがるような目が、フィーアに集まっていた。


 あの時の光景が、皆の脳裏に思い出されているようだ。皆はフィーアの正体など知らない。倒した者が僕だとは知らない。彼女はただ、僕の事が見えるだけの少女でしかない。


 僕たちが知らない魔女と呼ばれる女性。この街の忌み嫌われた英雄。


 期待や願いが、不安と悲しみと共に、フィーアの背に覆いかぶさっていた。

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