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四 会堂の扉と、ミントの孫

王国歴1561年 青葉の月 3の日


 式が近い。今日、お嬢様に、申し上げた。

 わたしは、ゼーヴァルトへは行きません、と。

 お嬢様は、なぜ、と聞かれた。わたしは、順番に話した。順番に話さないと、自分でも分からなくなるからだ。

 門番のヨルクに、一緒になってほしいと言われている。わたしも、そうしたいと思っている。それから、お嬢様には、もう、隣に立つ方がいる。お嬢様の淹れたお茶を、最後の一口まで飲む方だ。わたしがいなくても、お嬢様は、ご自分の話をする相手を持っている。わたしは、五つのお嬢様と八つのわたしから、ずっと、お嬢様の隣にいた。だけれども、お嬢様の横にい続けるのはもう私ではなく、あの方だ。私はヴァルテン家の侍女で、身寄りのないところを、奥様に拾われ、お嬢様と姉妹のごとく育てていただきました。その恩があります。それを返さずにはお嬢様にも顔が立ちません。だから、一緒にはいけないのです。

 お嬢様は、聞き終わって、しばらく黙って、それから、泣かれた。声を出さずに泣かれた。それから、袖で顔を拭いて、ミナ、と呼ばれた。

 ミナにはいうね、と言われるのだと思った。違った。

 最初にありがとうと、次におめでとうと、最後にこれからはミナには書くね、と言われた。

 いうことが、書くことになる。それだけのことだ。それだけのことで、わたしは、お嬢様の前で、初めて、こらえきれずに泣いた。

 奥方様に、あとで申し上げた。奥方様は、そう、とだけおっしゃって、それから、ヨルクは真面目な子です、とおっしゃった。ヨルクのことを、奥方様がご存じだとは思わなかった。


王国歴1561年 青葉の月 6の日 夜半


 朝から、お嬢様の支度をした。髪を結い、衣装を着せ、青い花の押し花を、胸元の内側に縫いつけた。お嬢様が、そうしてほしい、と言われたからだ。伯爵様には内緒だそうだ。

 会堂には、旦那様と奥方様、ヘルミーネ様、両家の親戚、それから、招かれた客が入った。わたしは、お嬢様の付き添いとして、前のほうの脇に立った。

 式は、静かに始まった。司祭が言葉を述べ、伯爵様とお嬢様が、向かい合って立った。

 会堂の扉が、開いた。

 北辺の領地から、王家の祭礼のために王都に来ていた、あの人だった。護衛の衛兵が二人、後ろにいた。止めようとして、止めきれなかった顔をしていた。

 あの人は、通路を歩いてきて、お嬢様の名を呼んだ。

 これは嘘だろう、と言った。自分の気を引くために、こんなことをしているのだろう。分かっている。もういい。やめてくれ。自分は、あなたを迎えに来た。一緒に北辺へ来てくれ、と。

 会堂が、しんとなった。あの晩餐会の広間と、同じ静かさだった。

 伯爵様が、一歩、前に出ようとされた。お嬢様が、伯爵様の袖に、手を置かれた。伯爵様は、止まられた。

 お嬢様が、あの人に向かって、言われた。

 あの晩餐会で、婚約を破棄してくださったから、わたしはこの方に出会えました。それについては、感謝しています。これは嘘ではありません。わたしが、自分で選んだことです。あなたのために、わたしが何かをすることは、もう、ありません、と。

 声は、大きくなかった。あの日、鏡の前で何度も練習した挨拶の言葉より、ずっと落ち着いていた。

 あの人は、しばらく、お嬢様の顔を見ていた。それから、膝から、崩れた。通路の石の床に、両膝をついて、それきり、動かなかった。

 衛兵が、両脇から抱えて、立たせて、扉の外へ連れて出た。あの人は、抗わなかった。扉が閉まった。

 司祭が、咳払いをして、式を続けた。

 伯爵様とお嬢様は、誓いを述べられた。お嬢様の声は、震えていなかった。

 式が終わって、会堂の外へ出るとき、お嬢様が、脇にいたわたしのほうを、一度だけ見られた。わたしは、うなずいた。それで、足りた。

 あとで、バウムから聞いたことを書いておく。あの人は、衛兵に付き添われて、その日のうちに王都の宿所へ戻され、明日、北辺へ発つそうだ。もう王都に戻って来ることはないと聞いている。

 これで、あの人のことを書くのは、ほんとうに最後にする。今度は、守れると思う。


王国歴1561年 青葉の月 7の日


 お嬢様が、ゼーヴァルトへ発たれた。

 馬車の前で、お嬢様は、わたしの手を取って、ミナには書くね、と、もう一度言われた。わたしは、お待ちしています、と答えた。

 植木鉢は、結局、四つ積んだ。伯爵様が、馬車の中に、しっかり括りつけておられた。字が大きい方は、結び目も大きい。

 馬車が見えなくなってから、お嬢様の部屋に戻った。寝台を整えた。整える人が、もういない寝台を整えた。

 夕方、門のところに行った。ヨルクが、なにも聞かずに、門の脇の長椅子を空けてくれた。しばらく、二人で座っていた。

 日記は、続ける。


王国歴1561年 実りの月 15の日


 わたしの式だった。

 屋敷の小さな会堂で、奥方様と旦那様と、屋敷の者たちと、ネリが来てくれた。バウムが、わたしの父の代わりをしてくれた。バウムは、始めから終わりまで、むっつりしていた。あとで台所で泣いていたと、料理番が教えてくれた。

 お嬢様は最初は笑われていたが、最後は大粒の涙を流し喜んでおられた。ヨルクには、大事なミナを奪ったと終始からかわれていた。私には結婚の祝いとは別に、小さな壺を渡された。乾かした花びらが入っていた。ミナのお茶に、と札がついていた。

 あの花びらだ。お嬢様が、ミントに混ぜていた、あの花びらだ。

 わたしは、ヨルクと、門番小屋に移った。奥様がお祝いにと屋敷内に建ててくださった。ヨルクはあまりのことに大喜びしていた。

 ヨルクは、わたしのことを、まだ、ミナさん、と呼ぶ。さん、はもういらない、と言ったら、分かりました、と言って、次の日も、ミナさん、と呼んだ。

 今夜は、灯りがある。ヨルクが買ってきた。


王国歴1562年 刈入れの月 20の日


 ゼーヴァルトから、手紙が来た。この一年で、七通目だ。

 堤の工事が始まった、と書いてあった。レーヌ川の、去年の水で削れたところを、石で組み直す。図は、お嬢様が引いた。伯爵様と、家令と、村の長たちとで、何度も歩いて、お嬢様が図を引いて、伯爵様が費えを決めて、村が石を運んでいる、と。

 お嬢様は、この図はわたしの名で出します、と伯爵様に言われたそうだ。伯爵様は、当たり前です、と答えられたそうだ。

 当たり前です、と書いてあるところを、わたしは、何度も読んだ。

 ヘルミーネ様の庭は、いまは白い花で、いっぱいになったそうだ。ヘルミーネ様は、いまでは、お嬢様より先に、新しい花の名前を覚えてしまうという。

 手紙の終わりに、ミナ、寒くなってきたけれど、体は大丈夫、と書いてあった。そして、手紙にはいつものお嬢様のお茶が添えられていた。


王国歴1563年 芽吹きの月 9の日


 ネリに会った。ネリは、いまも王宮の洗い場にいる。

 北辺の話を聞いた。あの人は、領地の運営が、うまくいっていないそうだ。指図を出しても、村が動かない。何を指図すればいいのかが、分からないのだと、町から来た兵が話していたという。

 リリア様のことも聞いた。北辺には、王都のような店がない。あるものは、王都より高い。リリア様は、限られた手当の中から、それでも何かを買っては散在し、あの人と言い争っているらしい。愛があれば何もいらないと言ったのは嘘か、と、あの人が怒鳴る声が、館の外まで聞こえたことがある、と。

 書きながら、なにか、思うだろうと思った。少しも面白くなかった。あの人が指図を出せないのは、そうだろう、と思っただけだ。あの人の指図は、もともと、お嬢様が書いていた。それだけのことだ。

 ネリは、わたしの小屋のパンを、おいしいと言った。ヨルクが焼いた。


王国歴1564年 実りの月 28の日


 ゼーヴァルトから、手紙が来た。

 この夏、南で大きな雨があった。レーヌ川が、二年前と同じくらいに膨れた。組み直した堤が、持った。村は、水に浸からなかった、と書いてあった。

 お嬢様は、雨の夜、伯爵様と一緒に、堤の上を歩いて回られたそうだ。ヘルミーネ様が、女が夜に堤に出るものではない、と叱って、それから、自分も出てこられたという。

 手紙には、王様から、伯爵様とお嬢様の二人の名前を宛てて、書状が届いた、とあった。堤のことを、ゼーヴァルト伯爵夫人の図によるものとして、褒めてあったそうだ。お嬢様の名前が、お嬢様の仕事の上に、初めて載った。

 王都でも、それが伝わっている。八百屋のおかみが、わたしの顔を見て、ゼーヴァルトの伯爵夫人は、昔から聡明な方だったのねえ、と言った。

 わたしは、はい、と答えた。

 答えながら、腹の底で、ふつふつと煮えたぎる思いがした。おかみは、四年前、同じ口で、お気の毒に、と言った。目は面白がっていた。あの目を、わたしは忘れていない。ゼーヴァルトの堤が持ったから、お嬢様は聡明になったのではない。お嬢様は、ずっと前から、民のことを考え、努力を続けてきたのである。

 でも、おかみに、それを言ってもしかたがない。言って、なにかが変わるわけでもない。お嬢様は、王都の人がなにを言っているか、たぶん、もう気にしていない。手紙に、王都の噂のことは、一行も書いてない。堤と、花と、伯爵様と、ヘルミーネ様のことしか、書いてない。

 お嬢様が気にしていないなら、わたしが気にしても、せんのないことだ。そう思うことにする。

 思うことにする、と書いている時点で、思えていないのは、四年前と同じだ。それでいい。わたしは、お嬢様のように、人を悪く言わないでいられる人間ではない。おかみの目を、忘れないでいる人間が、一人くらい、いてもいい。


王国歴1565年 花冠の月 18の日


 ゼーヴァルトから、手紙が来た。ミナには書くね、から始まっていた。いつもそうだ。

 庭のことが書いてあった。ヘルミーネ様の庭のこと、堤の斜面に植えた草のこと。伯爵様が、今年も、朝の型を振っていること。ゼーヴァルトの梨が、今年は当たり年だということ。

 それから、こう書いてあった。

 ミナ。わたしは、いま、幸せです。誰かに謝ってもらわなくても、幸せです。あなたに、それを知っておいてほしい。

 手紙と一緒に、ミントの根が、湿った布に包まれて届いた。侯爵家の庭のミントの、孫にあたる株だという。お嬢様は、王都からゼーヴァルトへ持っていった鉢から、株を分けて、わたしに送ってこられた。

 門番小屋の窓の下に、植えた。ヨルクが、土を掘った。

 植え終わって、しばらく、窓の下に座っていた。

 五つのお嬢様が、わたしの手を引いて、庭で、これはミントです、と言われた。それから十八年たって、そのミントの孫が、わたしの小屋の窓の下にある。お嬢様は南の領にいて、堤の上を歩いておられる。わたしは王都の門番小屋にいて、ヨルクの焼いたパンを食べている。それぞれの家があって、それぞれの隣に、人がいる。

 これからも、そんな何気ない毎日をこの日記に書いていこうと思う。

 


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