1.死んだ少女と天使
少女は、気がつくと目を開けていた。
最後に覚えているのは、冷たい空気と、誰かの声。そして、自分の身体から力が抜けていく感覚だけだった。
「……ここは、どこ?」
見渡すと、そこは見知らぬ場所だった。
空は曖昧な色をしていて、地面との境目がはっきりしない。現実という言葉がしっくりこない、どこか浮いたような空間。
少女は、自分の手を見た。
手はある。足もある。けれど、どこか軽い。
まるで、自分が自分でないような感覚だった。
そのとき、声がした。
「おや。ここにも迷い込んだ魂がいたか」
少女はびくりと肩を震わせ、振り向いた。
そこにいたのは、奇妙な格好をした男だった。
白い衣のようなものをまとい、背中には光のようなものが揺れている。
人間というより、何か別の存在に見えた。
「あなた……誰?」
少女がそう尋ねると、男は少しだけ面倒そうに笑った。
「俺か? 一応“天使”と呼ばれている存在だ」
少女は一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
「天使」
絵本や昔話で聞いたことはある。けれど、それが目の前にいるという現実感はなかった。
「ここはどこ?」
もう一度、少女は問いかける。
天使は少しだけ歩きながら答えた。
「ここは、お前たちが言う“あの世”だ」
あの世。
その言葉が頭の中でゆっくりと落ちていく。
少女は自分の胸に手を当てた。心臓の音はない。ただ静かに、存在だけがそこにある。
「……じゃあ、私は」
天使は少女の言葉を遮るように言った。
「お前は死んだ。それだけだ」
あまりにも簡単な言葉だった。
少女は何も言えなかった。
「これから閻魔様のところへ行く。そこで、お前が天国に行くか、地獄に行くかが決まる」
「地獄……天国……?」
少女は小さく繰り返す。
それが現実だとしたら、自分はもう“戻れない場所”に来てしまったのだ。
天使は歩き出した。
「ついてこい。迷うと面倒だ」
少女は少しだけ迷ったあと、その背中を追った。
しばらく歩くと、景色が変わった。
何かが浮かぶ空間。白い光のようなものが漂っている。
そこには、無数の“人のようなもの”がいた。
少女は息をのむ。
「なに……これ」
天使は横目で少女を見る。
「お前も同じだ。もう“体”ではない」
少女は自分の手を見た。
確かに形はある。でも、生きていた頃の“重さ”がない。
「どうしてこんな姿になるの?」
天使は淡々と答えた。
「肉体のままだと、現世で憎んだ奴と会い争いが起きる可能性がある。だから魂として存在する形に変わる」
少女は少しだけうなずいたが、完全には理解できなかった。
それでも、ここがもう“元の世界ではない”ことだけは分かった。
やがて、天使は立ち止まった。
遠くに長い行列が見える。
「ここから先は一人で行け」
「あなたは?」
少女が聞くと、天使は軽く肩をすくめた。
「仕事がある。お前の案内はここまでだ」
そう言うと、天使はあっさりと歩き去っていった。
少女は一人になった。
行列の先には、大きな扉が見えていた。
その扉は、ただの“出口”ではないことが分かる圧を持っていた。
少女はゆっくりと列に並ぶ。
時間の感覚がないまま、少しずつ前へ進む。
やがて、自分の番が来た。
扉が開く。
その先には、玉座のような場所があった。
そこにいたのは、一人の存在。
少女は直感的に理解した。
この存在が、閻魔様と呼ばれるものだ。
閻魔は少女を見下ろし、静かに言った。
「お前は死んだ者だな」
少女は何も答えられなかった。
ただ、その言葉だけが現実として落ちてくる。
閻魔は続ける。
「これより、お前の行き先を決める」
少女の世界は、そこで静かに次の段階へ進もうとしていた。




