デーモンロードでお食事を
それは日本のある都市で空間湾曲事故が発生してから数年後のこと。
この都市では、事故が発生した後も、その責任問題などはうやむやにされたまま、引き続き研究が続けられていた。
事故後に一部研究者の努力により『空間湾曲法』の技術は確立され、それに伴いある惑星から生還した『被験者』を研究所は入手するも、データ解析中に被験者は消えるようにいなくなった。
その時点では被験者が消えた原因は『空間湾曲の副作用』ではないかとも推測されたが、その後の研究によりその説は否定され、被験者が消えたことについては、その議論は後回しとなった。
何より被験者は数々の貴重なデータを残していったから。
まずは生体情報。
被験者が残した組織から、地球上では自然に存在しない特殊な『アミノ酸』が発見された。
マウスによる実験から、このアミノ酸は生体の脳組織に作用し、いわゆる『使用されていない部分』の活性化を促すことが明らかになった。
ただし、活性化した脳組織でどのような活動が行われているかについては明らかになっていない。
次に文化。
被験者が残した会話情報により、言語の分析が行われ、簡単ではあるが翻訳機の製造が可能となった。
また、その文明、文化が地球先進国のそれよりも遅れているということも聞き取り調査で判明している。
こうして、この研究施設から、正式に『未知の惑星』への調査団が送られることになった。
コードネーム『ゆうき』と名付けられた惑星へ。
「それでは行ってまいります」
今回の調査団に手を挙げたのは三名。その身は念のため宇宙服に包まれている。武器の帯同は無し。
『空間湾曲法』による移動は、まさしく扉のような施設により行われる。
湾曲した空間を扉で固定する。
但しそれには固定時間の制約と、固定のタイミングがある。固定可能時間は計算上は二十四時間だが、それより短いかもしれないし、それより長いかも知れない。
そして一旦空間湾曲が解除されれば、次の固定までタイミングを待たなければならない。それは数か月後か、数年後か、数十年後か。
そう、今回の調査団は片道切符となりうる『決死隊』なのである。
彼らが扉をくぐると、そこには草原が広がっていた。
「大気分析完了。不活性ガスの一部に地球大気との濃度の差異が見られますが、生体には影響なし」
ほっそりした女性らしき声が響く。
「そうか、それでは調査開始」
がっちりとした体型の大男の指示に、やせ細った男が従う。
「了解」
続けて彼らはヘルメットを脱いだ。
「『扉』には二十四時間以内に戻ることとする。いいな」
隊長らしい大男の声に、美しい女性と、線の細い男性がうなずいた。
「約一キロ北に人間型の生体反応が見られます」
女性の声に大男の声が続いた。
「よし、そこに向かうとしよう」
そこは広々としたトウモロコシ畑。少なくとも彼らにはそう見える。
「ほう、美味そうだな」
大男が思わず一本のトウモロコシに手を伸ばしてみた。すると。
「なんだこれは?」
そう、トウモロコシはみるみる茶色に腐っていってしまったのだ。
「私たちの持つ細菌が悪影響を及ぼしている恐れがあるわ」
「でも私は平気ですが」
女性が手を伸ばした実はやはり枯れているが、やせぎすの男性が触れたトウモロコシは、その見事な黄金の実をたわわに実らせている。
「不思議なこともあるものだな」
「とりあえずこちらは持ち帰りましょう」
やせぎすの男はバックパックを下ろし、自身が収穫したトウモロコシと、二人が腐らせたトウモロコシを各々無菌袋に入れ、バックパックに戻した。
すると、遠くで人らしき声が響いた。
「翻訳装置起動」
「了解」
「了解」
「ねえ、早く戻らないと、お母さまに叱られちゃうよ!」
「アホ親父がたくさん食うんだ、まだまだ足りねえよ!」
三人にはそう聞こえる。
大男が構えた双眼鏡の向こうでは、女の子と男の子が互いに文句を言い合いながら、トウモロコシを収穫している。
その横には荷車を引いた白い驢馬。
「相手は子供だ。ここは君に頼めるか」
「ええ、わかりました」
三人は女性を先頭に、子供たちのもとへと歩んでいった。
「君たち、そこで何をしているの?」
女性が二人にやさしく声をかける。と、きれいな黒髪の男の子がその声に反応した。同時に水色の髪が可愛らしい女の子は、男の子の後ろに隠れてしまう。
「なんだババア! 勝負すんのか!」
どうもこの少年は非常に好戦的らしい。不意打ちのババア呼ばわりに、女性の眉間がピクリと反応するも、翻訳機の問題かもしれないと自身を納得させ、落ち着きを取り戻す。
続けて男の子の後ろに隠れている女の子も、可愛らしい声で三人に向けておずおずと呟いた。
「おっさんども、これ以上近づくとオレが許さねえぞ……」
ああ、これは翻訳機の故障だなと三人は納得するしかなかった。まさか目の前の水髪黒瞳のお人形さんから、おっさん呼ばわりされるとは信じられないから。
いや、過去一人だけそういう口癖の少女がいたな。
とたんに三人の心に痛みが沸き上がる。
……。
「ところで、貴様らは何者だ?」
いつの間にか三人は、どこからともなく現れた騎馬の兵士たちに囲まれ、槍を突き付けられていた。
三人が連行されたのは大きな城。
ここまでの道のりで三人は気がついた。この世界は日本の歴史では江戸時代程度の文化圏だと。
露店は活気を帯び、道はきちんと清掃され、汚物が捨てられている様子もない。
「それではここで待つように。逃げようとしても無駄だからな」
彼らが通されたのは、まるで工場に併設された社員食堂のような場所。広々とした空間に、テーブルと椅子が整然と置かれている。
「普通こんなところに幽閉するものか?」
「文化の違いでしょうね」
「あの子もこんな経験をしたのでしょうか」
……。
今はどこに行ってしまったのかも知れない少女。
彼女への贖罪意識が、彼らに調査団への参加を決意させた。
と、突然室内に声が響いた。それは食堂の一角にあるカウンターから。
「おっさんども、カウンターに座って待ってな」
三人はその声に吸い寄せられるようにカウンターに並んで腰かけた。どこか懐かしい響きに誘われて。
そして彼らは気づく。カウンターの上に掲げられた赤い暖簾に。そしてそこに刻まれている、彼らが読みなれた文字に。
ふいにやせぎすの男の前に湯気を纏った山盛りのドンブリが置かれる。
「ほれ、『背脂青菜チャーシューメン漢盛り』だ、鼠沢の兄ちゃん。もやしを切らしているから青菜で我慢しろ」
あ…。
続けてじゅうじゅうと焼ける肉。そしてジョッキ。
「猫崎の姉さんはトンテキだったな。こっちの豚は美味いから心して食え。ビールがねえから赤葡萄酒にしといたぞ」
ああ……。
三人の前には、真っ直ぐに輝く黒髪を後ろで束ね、吸い込まれるような漆黒の瞳に屈託のない笑顔を浮かべた女性。
「有希、有希なんだな!」
思わず大男は目の前の美しい女性の両肩を、カウンター越しに鷲掴みにしてしまう。
と、その瞬間、男は目から火花を散らすことになる。
「俺の可愛い女房に勝手に触ってんじゃねえ!」
そう叫びながら放たれた、水髪の大男の拳によって。
「幸せそうだね」
「おうよ、ところで鼠沢のおっさんは『一角玉蜀黍』を収穫できたらしいじゃねえか。早く嫁をもらえよ」
「何がおかしいの?」
「さすが猫崎の姉さんは収穫できなかったみたいだな。ちなみにオレにももう無理だ」
「どういうことなんだ?」
「あのトウモロコシは、処女か童貞にしか収穫できねえんだよ。ま、姉さんと熊川のおっさんは年相応だな」
なんだそれはと三人は顔を見合わせる。
「あとな、この世界はおっかない連中だらけだから、移住しようなんて思わない方がいいからな」
三人は目の前の美しく成長した女性の前で肩をすくめた。
あわよくばという研究所上層部の考えを、彼女に見透かされていたから。
「ところでそちらの男性は?」
猫崎の問いに、有希は彼女の隣で腕を組み、無言で立っている彼女よりも頭一つ以上大きな男の尻を、後ろからぺちぺちと叩いた。
「こいつはオレ自慢の亭主だ。どうだ、いい漢だろ? 一応こいつは、この地方の領主だからな。敬っておかねえと領民から石を投げられるから気をつけろよ」
続けて有希に尻を叩かれた美丈夫が、予想外の場面で妻に褒められ頬を赤くするも、それなりの威厳をもって自己紹介を始めた。
「『リキッドゲート』を治めている、ウキ・リキッドゲートだ。ユーキに手を出したら殺すからな」
「って、それじゃ有希は……」
「おう、オレはここで『お妃さま』をやっている。ざまあみろ」
三人に続ける言葉はない。
彼らは有希と握手をすると、予定を早めて研究所に戻ることにした。
有希が幸せだと確認できたから。
この世界とつながってはいけないと確信できたから。
鼠沢はバックパックからトウモロコシを取り出し、有希に渡した。
「持って帰るのはやめておくよ」
それに無言の笑顔で有希は答える。
「それじゃ送っていくよ。フル、頼めるかい」
三人は荷馬車の上。他に有希とその家族が四人。赤い子猫、青い仔犬もそれぞれ女の子と男の子に抱っこされている。
馬車を引くのは可愛らしい驢馬が一頭だけ。
信じられないことだが、この小さな白い驢馬は、一頭でこの荷馬車をこともなげに曳いていた。
「それじゃ、念のためにこの世界の化け物を見せておくよ。写真撮影はオーケーだ。そんじゃまずはこの世界の王からな」
すると有希は何やら笛のようなものを取り出し、それに息を吹き込んだ。
「そろそろかな」
と、西の空が徐々に暗くなっていく。それはまるで黒い雲が高速で移動するように。
次の瞬間、三人は文字通り、腰を抜かした。
「なんじゃユーキ。用事か?」
彼らの目の前に現れたのは、十数メートルはあろうという、空飛ぶ蜥蜴。
いや、はじめてその存在に触れる彼らにもわかる、あれはまさしく『竜』だと。
「ちょっとバムート爺さんを知人への見世物にしたくてさ。あ、フロランタンを焼いてきたぞレイア」
すると老竜の首元から、小さな竜が顔を出し、有希のもとに舞い寄ってきた。
「籠ごと持ってけ」
「アリガト、ユーキチャン」
「『ちゃん』じゃねえ、『さん』だ」
「で、ユーキよ、見世物にはなったか?」
「ああ、十分だよ。ありがとうよバムート爺さん」
「ならばよかった。それではユーキの知人よ、さらばだ」
再び飛び立っていく老竜の背を、三人は無言で見つめるしかなかった。
「でな、もっとやばいのもいるから見ていけ。それじゃあ順番に頼むぞリート、リル、フル」
すると子供たちが待ってましたとばかりにはしゃぎだした。
「リルはかっけえもんな!」
「リートも素敵だよ!」
「ツキ、ルキ、フルがいじけるからそこまでにしておけ」
そんな親子の会話を背に、三人は文字通りの『バケモノ』を目の当たりにした。
後日、三人が提出したレポートは研究所に衝撃をもたらした。
さらにレポートに添えられた画像によって、レポートの信憑性について十分以上の説得力が発揮された。
彼の世界への道のりは、『魔界に続く道』である。
なぜなら彼の世界には、数々のバケモノが存在するとともに、その背後には漆黒の髪と漆黒の瞳を輝かせ、薄紅の唇に笑みを浮かべている『漆黒の巫女』が、常に君臨しているから。
その圧倒的な存在感は、まさしく『魔界の君主』そのものであるから。
そして報告書の最後にはこう記されていた。
『漆黒の巫女に世界を破壊されたくなければ、これ以上の調査は止めるべし』
以上の報告を受け、研究所での結論は速やかに導かれた。
「君子危うきに近寄らず」
こうして、惑星『コードネーム・ゆうき』の調査は、中止されることになる。
研究者三人の机上に、仲睦まじい親子四人の写真を残して。
おしまい。




