8/30 大昔のプロレス論「神話」
プロレスという商売がある。アメリカを発祥の地とするショービジネスの一種で、基本はレスリングだがそこにさまざまな演劇的要素をつけ加えたものである。ヨーロッパに起源を求める人もいるかもしれないが、現在の形態で完成をみたのはやはりアメリカだろう。
力道山がこれをアレンジして大戦後の日本に持ち込んだ。これもほかに創始者がいたとする説はあるが、テレビ放送創生期の目玉コンテンツに据えてもらうなどビジネスとして確立させたのは力道山である。
格闘技をベースにした見せ物自体は、かなり昔からあったにちがいない。祭りの出し物としての相撲大会、力比べ大会などだ。それが産業革命とそれによる世界各地の都市化に伴って、興行とテレビ中継を軸にしたビジネスに応用されたのだと思う。
その成り立ちからくる性格として、プロレスは世界のあちこちでその国や土地に合った味つけがされた。各地の格闘流儀の違いもあるが、主に観衆の好みの模索から作りあげられた結果だろう。
アメリカのそれは西部開拓時代の荒くれ者たちの力比べまたは決闘が主にイメージされていた。酒場で交互に殴り合うゲームのようなものが最初にあり、その中から洒落にならない無法者が現れ、正義の保安官がそれに立ち向かう。簡単明瞭な世界である。
日本でもショービジネスとしての基本は同じなのだが、力道山が大相撲出身者だったこともあって相撲のシステムや考え方が取り入れられている。アメリカのプロレスラーは基本的に一匹狼の流れ者(イメージとしても、実際の労働形態としても)なのだが、日本のそれは力道山部屋に所属する弟子のようなものである。試合は無法者同士のケンカではなく正々堂々とした立ち合いであるし、武道の作法に則っていなければならない。これは力道山がよく検討して考案したというよりも、日本人的な感覚でプロレスを捉えるとこうなるということなのだろう。
そういう日本のプロレスのほうが正しく、そこに武道も情もわきまえない異人が押しかけてきて、これは許されないことだから制裁するという構図を力道山は作った。よく戦争の余韻が残っていたから欧米人を倒す力道山に人気が出たといわれるが、そういう意趣返し的なことよりも、日本人には日本人の心がある、日本人はその心で最終的には勝つという神話が大切だったのだろう。力道山本人は帰化人だったとはいえ。
そうやって日本人の神話を謳っていたはずのプロレスは数年のうちに、事実上なきに等しいものであるという村八分的な拒否の対象になってしまった。まだ人気はあって興行もテレビ中継もあったのにかかわらず。
おもに新聞紙上で「プロレスはショーであって真剣な鑑賞に値するものではない」「その勝敗は八百長である、八百長でない時は力道山対木村政彦戦のような残忍なものである」という定義がされて、その認識は現在にいたるまで基本的にかわっていない。
このプロレス八百長論とそれに異議をとなえる論は、いろいろな人たちが長年あちこちで論議の対象にしていた。わりと幼稚で感情的な堂々巡りに終始することが多い。
プロレス自体は最初に書いたようにショービジネスであって、それ以上でもそれ以下でもない。
日本人の感性の中に自らの恥部に触れるものを忌み言葉として遠ざけるものがあって、なぜかプロレスというものがそれに該当するということだ。この「忌み言葉として遠ざけられたもの」について語る時、多くの日本人は幼稚で感情的な思考のループに入る。
プロレスがはずかしいのではなく、日本人が見て見ぬふりをして関係ないところになすりつけようとした何物かがはずかしい……プロレスについて考えながら、そういった恥の構造のようなものに、なぜかたどり着いている。




