8/2 断章その10「Episode Zero」
作曲家のEは、ビデオクリップを作っている途中だった。
画面には、公園で並んで座っている老夫婦や、世界貿易センターに突き刺さっていくボーイングがコラージュされている。
そこにわざと古いオルゴールみたいな音色にした音楽を入れていく。
「どっかで見たような演出だなあ、古いよ、おまえ」
「ま、そう言うな、映像始めたのは最近なんだ、趣味だから」
「仕事じゃないんだ」
「自分のソロに使うかもしれないけどな」
「いいトシしてまだ歌うのかよ」
「おまえだって弾いてんだろうよ」
死んだ男や会わなくなった女の人たちについて、ぼくは書いてきた。
あまり小説らしい体裁にはなっていなかったかもしれない。
流れるように進んでいく話ではないものを書いてみたかった。
まろやかに整えられた物語にはウソがあるような気がしたからだ。
これは、始まりも終わりもない物語だった。
姿が見えないコトミとの「そんなふうに時間をかけて彼女と別れていくという、なんだかよくわからないこと」くらいで、全体を通した筋書きもなくて……へんなものを書いてしまったという気もしている。
朝方の公園でやった缶蹴り、まだ若かった明子と緑色の傘、御徒町のマスターの笑顔、ノエミが歌い出した瞬間、段ボールに入った猫たち。
そんなものを、ただ書きたかったのかもしれない。
ひとは何かを言わないためにしゃべり続けることがある。
たった一つ、口に出していないこと、それが本音というやつなんだろう。
浅い夢にミツエが出てきた。はじめてつき合った人妻だ。
別れた時のままだからまだ三十前で、いまの自分より若い。
何が楽しいのか、ニコニコ笑っていた。
じっとぼくの顔を見て、新しい女ができたんだ、と訊く。
そういうことになるのかなあ、そんないいもんじゃないよとぼくは答えた。
またそんないい加減なとか何とか、ミツエは言いかけた。
目が覚める。
「あんたは口がうまくて、なんでも説明しちゃうから……」
「そんなことはないと思うけど……そうだな、喋りすぎはよくないな」
ぼくが言いたいことをぜんぶ言って、からっぽになる。
彼女はまだそこに座っていて、いろんな意味でたぶん、彼女のほうが豊かだと思う。
それが、ぼくにとって彼女が必要だということの意味だ。
「いじめてほしいんだと思う」
「それはおれには無理だよ」
「よくある汚いのじゃなくて、痛くないように、傷つかないように……」
「そんなことってできるかなあ……考えてみるよ」
わざと下品に言うのではないが、交通事故みたいに出会ってしまった獣同士ではなく、ぼくたちの関係もずいぶん人間らしいものになってきていた。
それがさびしい気もした。けれど、いつか来る当たり前のことだ。
若いころの恋愛は、その時は気づかないものだが、自分が傷つきたくないという思いが先に立っている。
別れの気配が漂ってくると、早い者勝ちみたいに相手との関係を棄てようとしていたりする。
もちろん、そうではない人たちもいるだろうけれど。
ぼくたちは、もう若いという年齢ではないから、答えはないのだということに、ただ慣れていく。
まだ学ばなければいけないことがたくさんある。
魔法みたいな時間もあったのだが……なければ悩まない……それはいつか、終わっていくものだ。
魔法が解けたあとの、やわらかい夢のようなもの。
それが、いつまでも続けばいいと思う。
いつまでも。
『ある時代、若いピアノ弾きに恋した男がいた。
同性愛を嫌悪していたピアノ弾きは大陸をこえて逃げ、男は得体の知れない情熱でそれを追いかけた。
なぜか自分がそれを止めようとしていて、カフェの地下につづく白い漆喰ふうに塗られた壁をつたっていくと、ピアノ弾きは殺されたあとで、殺してしまった男の方が涙を流していた。
どういう夢なのだろう……』
(了)
「断章」はこれでおしまいです
ここらへんの文章は詩的なものに頼りすぎているので「もっとちゃんとした物語を書いてみよう」と考えたのが「ASP」以降です。ちゃんとしてないか……?
「始まりも終わりもない物語」でしたが、あえて題名をつけるならその8の「月の光を手にとって」かな?
まあ、「断章」のままにしておきましょう
若書きもいいところですが、これらを書き、削り、十年以上が経ったころ、香純や明梨が出てきてくれたのは幸運でした、まだ続くんじゃw




