7/3 断章その2
駅前にパチンコ屋と、けして高級とはいえない酒場が何軒かあるだけの小さな町でサンジは生まれた。
いつごろからだったかは忘れたが、いつか自分はここを出ていくのだろうと考えていた。
両親が豊かでも幸せでもなかったことは理由のひとつだろう。
そのふたつはイコールではないが、無関係ではないといまは思う。
奨学金をもらって行っていた大学の途中で、父親が死んだ。
酒を飲むことだけが彼の日課で、長い間、仕事らしい仕事はしていなかった。
母親はどこかに行ってしまっていたから、サンジは独立することになった。
家族が最後に住んでいた借家を引き払った時の気持ちは、よく覚えていない。
もうここには誰も帰ってこないんだと……それほど感傷的ではなかったと思う。
サンジは生まれて初めて、自分で部屋を借りた。
学校は休学にしておいたが、もう行かないだろうという気がしていた。
額は小さいけれど自分で稼いだお金で生活していくのは、最初は楽しかった。
レコード店や本屋の店員を皮切りに、さまざまな職業を転々としていった。
バスドラムのどすんどすんという音が狭いスタジオの中に響いていた。
ベースギターの男はまだ初心者の域を出ていなくて、どろどろと鈍い音を出している。
サンジは二・三日前につくったばかりの曲を歌っていた。
三回やってみて、手を振った。
「やめ」
リードギターのケンイチが、少し顔をしかめるようにしてサンジを見た。
近眼のせいもあって、それが癖だ。
「この曲、なしにしよ」
続けてサンジが言った言葉を聞いて、ケンイチは溜め息をついた。
練習が終わったあと、ケンイチに誘われて喫茶店に入った。
「さっきの、どういうこと?」
「新曲? 思ったよりぜんぜん乗れないしさ、バンドに合わなかったんだなって思って」
「サンジひとりで決めないでよ、ぼくがアレンジしてこれから作り込んでいくつもりなんだから、まだわからないじゃないか」
サンジはミルクティーを啜り、少し考えてから言った。
「うーん、悪いけど、最初にぱっと決まらなかったらだめじゃん?」
「キミが自分のひらめきでぱっと曲を書いたり、それをだめだって言って捨てたりするのはわかるんだけど」
「ああ」
「キミがスーパースターか何かで、ぼくたちがそのバックやってるわけじゃないからさ」
「わかってるよ、そんなこと」
「もうちょっと辛抱強くさ、練習して曲を自分たちのものにしてさ、それからだろ、だめかそうじゃないか決めるのは」
「……はは」
「なにがおかしいんだよ」
サンジは、その当時の習性で、もうかまわないという投げやりな調子になっていた。
「音楽教室でロック習って、大学で勉強するような感じで音楽やって、楽しいのかなって思ってさ」
「……バンドって、よそは知らないけど、ぼくたちの場合、みんな平等に趣味でやってるんだよ」
「平等、平等ね、あんたたちから見たら平等なんだよな、何もかも」
「そういうのって……甘えた言い方なんじゃないかな」
「なにが甘いんだ」
いまならわかる。
敵ではない、どちらかというと優しく接してくれる人間に突っかかる、それは甘えているのだ。
「誰にむかって言ってるんだよ、自分たちばっかり安全な場所に立って偉そうに説教して、それでロックがやりたい? 笑わせんじゃねえよ」
ケンイチは、もう相手にしてもしょうがないと思ったようだった。
(まあまあ歌えるやつだと思ったから一緒にやっていたけど、音楽以前にもうちょっと大人になってくれないと……)
そんなふうに考えたのかもしれない。
けれど、彼がそう口に出すことはなかった。
ケンイチはサンジより大人だったし、育ちも悪くなかったのだ。
仕事以外に唯一うちこめるものだったバンド活動が挫折するのは、二度目だった。
回想から現実に戻ったサンジは、コーヒーのお代わりを淹れに台所に立った。
(十八歳のおれか、けっこうひどいな……)
青臭くもあり、恥ずかしくもある。
まだ酒も飲まず、女も知らず、身近な人間にだけとんがった物言いをして。
(ケンイチさんか、いまどうしてるかな)
デスクの上にコーヒーを置いて、湯気を眺める。
(あのころ、ケンイチさんの気持ちがわかるくらい大人ならよかった)
(でも、それだったら、人前で歌おうという気も起きなかっただろうな)
年齢を重ね、自分にも他人にもがまん強くなったような気はする。
けれど、十代にできあがった人間の基本は、それほど変わっていないのかもしれない。
(つめたい石になってしまう前に、どこかにむかって走り出せ……)
自分はまだ、そう思っているのだろうか。
世の中に出てからのサンジは、いくつかのことを心がけるようになった。
そのうちのひとつは、自分の境遇についてあまり語らないことだ。
簡単に同情されてもあとが続かないし、逆にお説教されてしまうことがある。
世間にはもっと苦労している人間もいる、そんなことを売り物にするなと言われたこともある。
こっちは、訊かれたから最小限のことを答えただけなのだ。
簡単に、どうってことない普通のうちですよと言っておけばいいのだと気づいた。
音楽をやっていて知り合った仲間に毒づくこともやめた。
ロックをやっているから粗暴な態度をとっていいわけではない。
おそまきながら、そう考えるようになったのだ。
新しい仲間とは、練習の帰りに居酒屋に寄ることが多くなった。
羽目をはずして酔っ払い、道端に寝ころんだりした。
朝方の公園で、缶蹴りをして遊んだこともある。
それは青春ドラマの真似か何かだったのだろうけれど、楽しかった。
みんな、家に帰りたくなかったのかもしれない。
「おれ、帰って二・三時間寝なくちゃ」
「これから? いま帰ったって同じじゃん」
「サンジは仕事があるんだよ」
「そうか、働いてるんだもんなぁ……」
まだ学生をやっている仲間をうらやむことはなくなっていた。
人をうらやむということは自分をみじめにするだけだと知ったからだ。
それは少し屈折したプライドに変わっていて、そういうものが自分を支えていたのだろう。
サンジは十九歳になっていた。
※未成年で居酒屋に行ってはいけませんw
「鳩熊」の邪魔にならない程度にときどき続けてみます




