第21話「雪の中の約束」
(……ちゃんと、言いたい)
(逃げずに)
(好きだって)
⸻
雪が、静かに降っていた。
病院の外。
たまたま退勤のタイミングが被っただけだったが、
白く染まった地面に、二人の影が並んでいた。
「……グレーテルさん」
サヤの声は、少しだけ震えていた。
目の前に立つ彼は、もう以前の姿ではない。
整えられた髪。
無精髭のない、はっきりとした輪郭。
露わになった顔立ちは、驚くほど端正で。
切れ長の瞳が、静かにこちらを見ている。
一瞬、言葉が止まる。
(……やっぱり)
(もう、隠せない)
(好きだ)
もう、その気持ちに迷いはなかった。
ただ。
ずっと胸の中にあった言葉を、今度はちゃんと伝えたい。
胸が、ぎゅっと締め付けられる。
それでも、目を逸らさない。
「私――」
息を吸う。
「好きです」
まっすぐ、言い切る。
ヘンリーの目が、わずかに揺れる。
「……」
何かを言おうと、口を開く。
その瞬間。
「でも!」
サヤが、被せる。
「今は、まだダメです!」
「……は?」
思わず、間の抜けた声。
「私、まだ全然で……」
手をぎゅっと握る。
「一人前の看護師になれてないし」
「グレーテルさんの隣に立つには、全然足りないから」
少しだけ、視線が揺れる。
それでも。
「だから――」
一歩、下がる。
「ちゃんと胸張って隣に立てるようになったら」
「そのとき、もう一回言いに来ます!」
言い切る。
顔が、少し赤い。
「……じゃあ!」
くるっと背を向けて。
走り出す。
「おい――」
呼び止める声も、そのまま置いていく。
雪の中、小さな背中が遠ざかる。
静寂。
ヘンリーは、その場に立ち尽くす。
「……今のままでも、いいんだが」
ぽつり。
誰にも届かない声。
雪だけが、静かに降っていた。
⸻
「言っちゃったー……!」
走りながら、顔を覆う。
「なにあれ、なにあれ……!」
心臓がうるさい。
「待って、返事聞いてないじゃん私……!」
「いやでも無理!無理無理無理!」
そのとき。
ぐい、と腕を引かれる。
「――っ!」
体が引き戻される。
次の瞬間。
強く、抱き寄せられた。
「え……」
正面から。
視界が、一瞬で埋まる。
ヘンリーの胸に、すっぽりと収まる。
広い肩。
しっかりした腕。
思っていたよりずっと大きくて。
逃げ場がない。
(え、なにこれ……)
(抱きしめられてる……?)
ふわりと香る、いつもの落ち着いた匂い。
心臓が、一気に跳ね上がる。
(無理……近い……)
(無理無理無理……!)
「……待て」
一拍。
「俺にも、何か言わせろ」
低い声が、すぐ上から落ちる。
「……へっ?」
思考が追いつかない。
逃げようとした瞬間。
腕の力が、少し強くなる。
「……好きだ」
短く。
でも、はっきりと。
耳元で響く。
「……っ」
顔が、一気に熱くなる。
何も言えない。
ただ、固まる。
「……でも」
やっと、声を出す。
「さっきも言った通り……」
胸元に押し込まれたまま、続ける。
「わたし、まだまだダメだから……」
少しの沈黙。
腕の力が、ほんの少し強くなる。
「関係ない」
低く、迷いのない声。
「そばにいろ」
「……っ」
心臓が跳ねる。
顔を上げさせられる。
視線が合う。
逃げられない距離。
ゆっくりと、近づいてくる。
(え、これ……)
(やばい……)
「だ、だめです……!」
思わず声が出る。
顔を逸らそうとする。
でも。
「うるさい」
短く言われる。
ヘンリーの顔が、ゆっくり近づく。
サヤは思わず目を閉じた。
その瞬間。
――にゃあ。
「……は?」
間の抜けた声。
黒猫が、二人の間に割り込んでいた。
「まったく、なにしてるのよ」
呆れたような声。
「……お前な」
ヘンリーが小さくため息をつく。
「……ちょっと、急ぎすぎじゃない?」
「……」
⸻
サヤはというと。
「はぁ……!」
一気に現実に戻る。
(助かった……!?)
(いやでも今の……え、キス……!?)
顔が真っ赤になる。
「な、なななな……!」
言葉にならない。
ヘンリーはそんな様子を見て、わずかに口元を緩める。
少しだけ間を置いてから。
「……続きは」
一瞬、視線を落とす。
「今度だな」
「っ!?」
サヤの顔がさらに赤くなる。
「そ、それって……!」
「戻るぞ」
何事もなかったかのように言う。
「えぇ!?」
完全に振り回されている。
雪は、静かに降り続いていた。
やっとです




