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第10話「沈む呼吸」

 ――その日も、朝はいつも通りだった。





「ミネル、今日ちょっと顔色悪くない?」



 サヤが声をかけると、ミネルは少しだけ笑って首を振った。



「風邪気味だったのが、ちょっと長引いてるだけ」


「でも無理しないでね。ちゃんと休んで!」


「うん、ありがと」



 軽い会話。


 それだけで終わるはずの朝。


 ミネルは一度だけ、小さく咳をした。


 すぐに、何事もなかったように笑った。





 サヤは気づかなかった。


 ミネルの呼吸が、ほんの少し浅いことに。







 午後。


 ナースステーション。



「ミネル、早めに上がっていいよ」



 上司の声に、ミネルは素直に頷いた。



「すみません、ちょっと休みます」



 その背中は、いつもより少しだけ小さく見えた。





「ちゃんと休めたんだ……よかった」



 サヤはそう呟いて、カルテを閉じた。







 夜。


 寮の廊下は静かだった。


 時計の針の音だけがやけに響く。



 ――着信。


 ミネルの部屋からだった。



「……?」



 サヤは眉をひそめる。


 この時間、ミネルの同室の子は夜勤で部屋にいない。


 嫌な予感がする。


 サヤは通話ボタンを押した。



「ミネル?どうしたの?」



 一瞬。



「……サヤ……?」



 かすれた声。


 確かに、名前を呼んだ。



「ミネル?ミネル!聞こえる!?」



 返事はない。


 代わりに戻ってきたのは。


 ヒュウ……ヒュウ……



(……え?)



 呼吸音。


 途切れ途切れで、不規則で。



「ミネル!?ねえ、ミネル!?」



 返事はない。


 ただ、呼吸だけが続く。



(おかしい)


(絶対、おかしい)



 サヤはスマホを握りしめた。



「ラーナ……!」







 その後、すぐにラーナとミネルの部屋へ向かう。


 ドアを開けた瞬間。


 空気が変わった。



「……ミネル!!」



 ベッドの上。


 動かない身体。


 浅く不規則な呼吸。


 ラーナがすぐに動く。



「救急呼んで!」



 サヤの手が震える。



「ミネル……ねえ、ミネル……!」



 返事はない。







 搬送。


 慌ただしい廊下。


 アラーム音。


 白衣の足音。


 誰かが言った。



「既往歴あり、感染症による悪化、状態かなり厳しい」



 その言葉だけが、やけに冷たく響いた。







 病室。


 夜が明けるまで。


 サヤはそこにいた。


 ミネルの手を握りながら、離せなかった。


 ラーナは途中で仮眠を取りながらも、そばにいた。







 朝。



「サヤ、今日わたし日勤入る。代わりに夜勤入って。」


「だから少し休んで」


「……うん」


 声はかすれていた。







 病院を出る朝。


 空は明るいのに、世界だけが重かった。



(ちゃんと休めたんだって思ってた)


(よかったって、思ってたのに)



(――あの人なら、何かわかるんじゃないか)


(……どうして、あの人の顔が浮かぶんだろう)



 胸の奥がうまく息をしない。







 その帰り道。


 病院の廊下。


 出勤してきたグレーテルと、夜を越えたサヤがすれ違う。


 一瞬だけ視線が交わる。


 サヤは気づかない。


 ただ、ぼんやりと前を向いている。



(何か……おかしい)


(でも、何が……?)



 グレーテルは立ち止まる。


 その背中を見送る。


 ほんのわずかに目を細める。



(……嫌な感じだ)



 そう、小さく思った。


 そして再び歩き出す。

最初の佳境に入ってきました。

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