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処罰と反省と、


ようやくメリッサの体重が元に戻ったのは、倒れてから三か月が過ぎた頃だった。そのころになって、久しぶりに東宮に呼ばれたマナー教師たちは、自分たちが忘れられていなかったことに気をよくしていた。マナー教師たちはそれぞれ伯爵家と侯爵家の娘たちで、年齢が三十を越えていることからイズリーシュの婚約者の候補にも挙がらなかった者たちだったのだ。また、彼女たちは持参金の都合がつかないことと、その傲慢な性格から婚約の申し込みもほとんどなかった。

そんな彼女たちにとって、平民で見た目も平凡なメリッサがあの美しい皇太子殿下の婚約者候補であることは許しがたいことだった。だからできうる限りの方法でメリッサを貶めて楽しんでいたのだった。


リッチェに伴われ、少し顔色のよくなったメリッサが部屋に入って来た。マナー教師たちの姿を見るとメリッサは身体をビクッと震わせ立ち止まった。

マナー教師たちはそんなメリッサの姿を見て大げさなため息をついた。


「あらあら、お身体の調子がお悪いと伺いましたけど、全くそんな様子も見えませんわね。教育を受けるのが嫌で我儘をおっしゃっていたのでは?」

「相変わらず歩き方が庶民臭くていらっしゃいますわね。だから皇太子殿下にも顧みられないんですよ。気まぐれに婚約者候補に挙がったからと言っていい気になって、学習意欲もないなんて呆れますわね、全く」

メリッサは俯いたまま、拳をきゅっと握りしめ立ち尽くしている。その身体が小刻みに震えているのをリッチェが優しく撫でたが、マナー教師たちの声は容赦なく響いた。

「いつまでそんなところで黙って突っ立っておられるんですか?あら、庶民出の候補様ってお耳もお悪かったのかしら?」

「もうお教えしたことなんて全部お忘れなんでしょうねえ?‥所詮その程度の出来の頭でしょうしね。皇太子殿下に媚びを売るのはお上手らしかったですけど、でもその後全く構っていただけてないんですからねえ」

二人のマナー教師たちはそう言ってメリッサの事を蔑み、高らかに笑った。


その時、リッチェが鋭く叫んだ。

「もう、お願いします!」

何を言っている?という顔でマナー教師たちがリッチェを見ると、恐ろしいほどに怒りを含んだ顔でリッチェが睨んでいた。この侍女が貴族の出であることは教師たちも知っていたが、自分たちに意見する立場ではないことも理解していたので二人とも不快感を露わにした。

「何を言って‥」

一人のマナー教師がそう言いかけた時、部屋の奥の飾りカーテンの間から人影ががするりと出てきた。二人はそちらに目をやって驚愕した。

そこにいたのは皇太子イズリーシュだった。


「で、殿下⁉」

「このようなところに‥」

慌てふためいて臣下の礼を取ろうとする教師たちを、イズリーシュは凍り付くような冷たい目で見降ろした。

「‥‥‥なるほど。リッチェ、そなた達の報告が何の誇張もされていないことがよくわかった」

「ご理解いただきましてありがたく存じます」

リッチェは短くそう答えると、呆気にとられているメリッサを促して部屋から素早く退出してしまった。

入れ替わりに近衛兵が五人ほど、バラバラと部屋に入ってくる。その物々しい雰囲気にマナー教師たちは戸惑い、辺りをきょろきょろと見まわした。

そんな二人の姿を見て、イズリーシュは酷薄そうな笑みを浮かべた。


「おや、マナーを教える教師というのは、このような状態でも品よく振る舞えるのではなかったのか?随分と卑し気な振る舞いだな」

イズリーシュはそう言いながら跪いている教師たちに近寄った。教師たちは自分の身に何が起こるのか理解できていないようで、茫然と口を開けたままそこにいる。

イズリーシュは、腰に佩いていた装飾用の宝剣を抜いてシュッと二人の目の前に突き付けた。装飾用とはいえ剣先は鋭く、二人は「ひいっ」と声を上げた。

「よくもメリッサにひどい真似をしてくれたな。お前たちに誰の息がかかっているかはもう明らかにしてある。‥ここから無事に帰れると思うなよ。‥‥連行しろ」

地を這うような低い声でイズリーシュはそう言い捨てた。腰が抜けたような教師たちは、腰の抜けた見苦しい状態で、ずるずると近衛兵に引っ立てられていった。


イズリーシュはため息とともに宝剣を鞘に収めた。話を聞いて想像していたよりもひどい物言いだったことに驚いた。あんな言葉を日々繰り返し、何日も聞かされていたらどんな人間だって心が病んでしまうだろう。そして自分の忙しさにかまけて、寄る辺のないメリッサを皇宮に一人にしてしまっていた自分自身が情けなかった。

メリッサは婚約者になりたいなどと一度も言っていない。むしろ嫌だと泣いていたのに、自分の勝手な都合で無理矢理に婚約者候補にしたのだ。その上このような扱いを受けさせ、短期間で信じられないほど体も心もやつれさせてしまった。

全て、自分の責任である。


イズリーシュは深く自分を愧じ入り、反省した。もう二度とメリッサを一人にはするまいと心に誓う。自分もできうる限りメリッサの傍にいて、どうしてもいてやれない時にはメリッサのために働くものを傍に置いてやろう。東宮のメリッサ付きの侍女たちはメリッサに対して親愛の情が深いようだから、もう少し高い権限を持たせるといいかもしれない。おそらくそうしても、あのリッチェがいればうまく采配してくれるだろう。

そう考えながらイズリーシュも部屋を後にした。



リッチェに伴われ自室に戻ってきたメリッサは、よく訳がわからずに混乱していた。リッチェに促されるままに長椅子に腰かけたが、リッチェは何も言ってくれない。

「リッチェさん、あの、マナーの勉強は‥?」

しなくていいのだろうか、と尋ねようとすると、リッチェがお茶を淹れてメリッサの前に置いてにっこりと笑った。

「あのような無礼で愚かな者たちに教わることなどありません。もう二度とあの者たちにはお会いにならなくていいんですよ」

「え?‥でも、マナーとか‥」

「それはまた別の者がゆっくりお教え致します。普段の事でしたら私もお教え致しますので」

どうぞお茶を、と促され薫り高いお茶を口に含んだ。ふくよかな香りと温かさが体内に広がる。リッチェはその様子を見て、また微笑んだ。

「お茶を嗜まれるメリッサ様の所作はお綺麗ですよ。少しずつ覚えればきっと身につけられます」

優しくそう言ってくれるリッチェの美しい顔を見ていると、嬉しさと恥ずかしさが綯い交ぜになってきて思わずメリッサは顔を伏せた。リッチェはいつも優しい。リッチェがいたから、この東宮でも何とかやってこれているのだとメリッサは思っていた。


リッチェは優しくメリッサの背を撫でた。素直で努力を怠らないメリッサの態度は、リッチェにも好ましく映っていた。イズリーシュに対して恋慕の気持ちはまだないようだが、おそらくどこかでイズリーシュを受け入れることも、メリッサなら考えてくれるだろう。そう思いながら背を撫でていると、メリッサがリッチェにいきなり抱きついてきた。

「リッチェさん‥いつも、ありがとうございます。リッチェさんがいるから‥あたし頑張れます」

リッチェは驚きながらも、メリッサの身体が小さく震えているのを悟ってそのままそっと抱きしめ返した。メリッサの手がきゅっとリッチェのお仕着せを握った。




お読みくださってありがとうございます。

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