かけられた言葉
「正式に婚約披露をしてしまえば、もはやそなたを元の生活に戻してやることは‥できぬ。それでもなお、イズリーシュの傍にいることを望むか?」
静かで力強く、それでいて優しさを含んだ言葉だった。その内容に驚いたメリッサが言葉を失っていると、労わるような表情で皇后が言い足した。
「私は結婚前、伯爵令嬢ではありましたが所領も少なく、どちらかと言えば市民に近い身分でした。その私でも、これまでの生活をすべて捨てて陛下と生涯をともにすることに迷いがあったのです。全くの平民社会で暮らしていたあなたにはもっと戸惑いがあったことでしょう。‥イズルの願いは、親としてはかなえてあげたいのですが、それとあなたの人生を引き替えることはできません。今ここで返答が難しければ、後日の返答でも構いませんよ」
皇后アライアンヌの言葉はどこまでも優しかった。アライアンヌは、実の姉がこの平民の少女に危害を加えたことに大きな怒りと、姉と最後までわかり合えなかった悲しみを感じていた。せめて、この娘の意思を尊重したい。その思いからの言葉だった。
皇帝、皇后両人からの言葉を聞いて、イズリーシュは顔面を蒼白にしていたがかろうじて言葉を発さない自制心は働いていた。両親のいう事は、至極真っ当であり反論できるものではない。だが、初めて愛おしいと思ったこの少女を手離すと考えただけで、イズリーシュの胸は灼けるように痛んだ。
メリッサは、アライアンヌの優しい言葉を聞いているうちに手の震えが止まったことを意識した。ああ、落ち着いてきた。そう思ってすうと息を吸った。
「発言をお許しください」
「許す」
皇帝の言葉を聞いてメリッサは言葉を継いだ。
「‥殿下に、求婚、をいただいてから、色々と私も考えました。また、この一年足らず、様々なことを学ばせていただき、殿下のお人柄にも触れ、‥そこでもまた考えました。皇帝陛下、皇后陛下。お許しいただけるのでしたら、私はイズリーシュ皇太子殿下の両翼の対となりお支えしていきたいと思っております」
皇帝は形のよい眉を少し上げ、背もたれに持たせかけていた身体をやや起こしてメリッサの顔をじっと見つめた。メリッサは不敬に当たらないか、と内心びくびくしながら皇帝の紫の眼を見つめ返した。その横でアライアンヌはおっとりと微笑んでいる。
イズリーシュは、思わず横にいるメリッサの手を取り握りしめた。それに気づいたメリッサがイズリーシュの顔を見て、ぎこちなく微笑んだ。
「よかろう。‥では、ここからは父として頼む。メリッサ、この頭でっかちな息子をよろしく頼む。思い込みの激しい直情径行の正論男だ。厄介な面も多々あるだろうが」
「ち、父上、」
かぶせるようにアライアンヌも言った。
「どうもあなたが初恋のようですから、変な思い込み‥というか、執着も強そうですしね。あなたは宮中に後ろ盾もなくて不安でしょうから、何かあればすぐにも私たちにお言いなさい。‥あれを」
顔を赤くしたり蒼くしたりして何やら言おうとするイズリーシュを手で制しながら、アライアンヌは控えていた侍官に合図をした。すると侍官が何やら持ってきてアライアンヌにささげた。アライアンヌはそれをひょいとそれを取り上げた。
そして玉座から降りてするするとメリッサの方へ歩いてきた。メリッサは驚いて、イズリーシュに握られていた手をぎゅうっと握り返した。
そんな二人を見てふふっと笑ったアライアンヌは、イズリーシュの方を悪戯っぽく笑って見ると握り合っていた二人の手を外させた。
そしてメリッサの手を取ると、その手首にやや幅のある美しい彫金の施された腕輪をかちりと嵌めた。腕輪は透かし彫りの彫金が施された銀と金で出来たもので、紫色の宝玉と翠色の宝玉が並んであしらわれている。
「うん、ぴったりね」
満足げにそういうとアライアンヌはハズラーニの方を振り返った。ハズラーニも重々しく頷いた。
「メリッサ。この腕輪は私たちがあなたを保護しているという証です。これがあればあなたは最優先で私たちに謁見を願い出ることができます。‥でも、ごめんなさいね、これには魔法力が施されているから、ちょっと特別な手順を踏まないと外せないの。嵌めっぱなしになるけど、そこまで重くはないから‥」
アライアンヌはメリッサの頬に手を当て、するりと撫でて笑った。メリッサはじわ、と涙が滲んでくるのがわかった。ここで泣いてはならない。ぐぐっと身体に力を入れる。
「ありがとうございます、皇帝陛下、皇后陛下」
また、するすると歩いて玉座に戻ったアライアンヌと、こちらを見つめたままのハズラーニに向かってメリッサは再び辞儀礼をした。
「婚姻の儀が終われば、我らを義父、義母と呼ぶようにな」
ハズラーニはそう言って目元に皺を作った。このように優し気な父の言葉を聞いたのは久しぶりだったイズリーシュが、はっとして自分も辞儀礼をした。
「過分なお心遣いをいただきありがとうございます」
「‥我らとて、お前の幸せを願わぬものではないからな。イズル」
ハズラーニはそう言って、にやりと笑った。
「まあ、これでお前のやる気もまた一層出るというものだろう。議会の古狸どもの相手も頼むぞ」
言われたイズリーシュは呆れたように顔を顰めて父を見る。
「‥まさか次の議会の質疑応答を私に任せる気ではないでしょうね」
「おお、引き受けてくれるのか?」
「かような事は申しておりません!」
二人が気安げに言葉を交わすのを聞きながら、メリッサは腕輪をそっと撫でた。じわじわと胸が温かくなった。
そんなメリッサを、アライアンヌが優しく見つめていた。
皇帝皇后両陛下との面会も無事終わり、メリッサはようやくほっと身体の力を抜くことができた。昨日から緊張で身体が強張っていたせいか、身体中が筋肉痛のように痛い。自室に帰ってきて、すぐに長椅子に座りぐったりしているメリッサを見て、リッチェが心配そうに声をかけてきた。
「メリッサ様、お加減でも‥?対面に当たって、何かございましたか‥?」
その言葉を聞いて、すぐにメリッサはしゃんと背を伸ばした。
「いえ、大丈夫です!あの、お認めいただけましたし、このようなものまで賜りまして‥」
そう言って左手首を掲げてみせた。
それを見たリッチェは目を見開いて言葉を失った。
「た、‥『大翼の守護』‥!」
「え?」
リッチェが唇を震わせながら、メリッサの傍に来て跪いた。示された腕輪をじっと見つめる。
「あの、リッチェ、さん‥?」
「‥メリッサ様、これはアイシュタルカ帝国に引き継がれている宝物です。あしらわれる宝玉は当代の皇帝皇后両陛下の眼の色により付け替えられますが、腕輪自体はアイシュタール王国時代から受け継がれている国宝です。つけた者の身を守り、加護を与えてくれます。さらには、最優先で皇帝皇后両陛下に謁見を願える証印ともなります。‥私も、実物は初めて見ました‥」
一気に話し終え、呆けたように腕輪を見つめているリッチェに、メリッサは言葉をなくして自分の腕に嵌まるそれを眺めた。
「う、噓‥‥」
お読みくださってありがとうございます。このお話を含め、あと三話です!