初の対面
その後、大きな騒動もなく概ね茶話会は成功裡に終わった。ただ、カハータ公国側からは「礼法に反した無礼な出席者に侮辱された。謝罪と訂正を公式に要求する」旨の抗議文が、正式な文書でイズリーシュ宛に届けられた。また同じくして「ぜひとも次期皇太子妃殿下と懇意にしたい」旨の親書も届けられた。
アラゼン侯爵の元には、アイシュタルカ帝国帝室から「カハータ公国への誠意ある謝罪対応」をすること、向こう一年半は息女テルエラの帝室開催の催事への参加を認めない旨が言い渡された。
貴族は、特に高位貴族は機を見るに敏でなければ、貴族社会でうまく生き残れない。さらに言うなら、たとえ次期皇太子妃が平民であることに不満を持っていても、それをわかりやすく表に出す、というのは愚か者のすることなのだ。
アラゼン侯爵家は、親も子も愚か者であったのだ、と貴族たちは噂した。
テルエラは、僅かばかり来ていた婚約の話もすべてなくなり、謹慎期間を待たずに領地の慈善施設に留まることになった。が、そのこと自体メリッサの耳には入らずじまいであった。
「メリッサがカハータ訛りを理解できるとは知らなかったな」
東宮庭園でお茶を楽しみながらイズリーシュは言った。このところ煮詰まっていたカハータ公国との折衝が、この茶話会をきっかけにまとまりそうになっていることをイズリーシュは殊の外喜んでいた。カハータ公国の者はなかなか気難しい者が多く、交渉が膠着状態となりつつあったのだ。ところが、ジェスリア公女の鶴の一声をきっかけに、随分と滑らかに進むようになった。
「義姉の家がカハータ出身でして‥ジェスリア公女殿下がそれを評価して下さって、運がよかったです」
「いえ、メリッサ様のご努力の賜物でもありますよ」
カリーナがお茶のおかわりを品よく注いでからそう言った。カリーナは、一時イズリーシュが幼い頃に乳母のような役職についていたこともあるので、内々の場では少し気安く声をかけることがある。メリッサの事を評価し、それをイズリーシュにも感じてほしいとの気持ちからの発言であった。
イズリーシュも微笑みながらうんうんと頷いている。
「この一年足らずで、信じられないくらいメリッサは学んでいると思う。まあ、覚えることや学ぶべきことがたくさんあるから全てが今完璧だというわけではないが、それにしたってこの短期間での成果としては素晴らしいと思うよ」
「ありがとう、ございます‥」
メリッサは恥ずかしくなって下を向いた。褒めてはもらっているが、足りないところの方がまだまだたくさんあるのだ。最近は自分に不足している部分がわかってきているだけに、これからも一層精進せねば、と胸の内でふんと力を入れた。
イズリーシュはにこにこ笑っている。ソルンに「気持ち悪い」と言われるほど、最近のイズリーシュは機嫌がいい。ソルンに言わせれば、
「初恋が成就した恋愛初心者が、調子に乗っている」
という事らしかった。ナルゼ経由でそのことを聞いた時には、メリッサも顔が真っ赤になってしまった。
そして今日は、初めて皇帝、皇后両陛下——イズリーシュの両親に対面する。その緊張を和らげるために、わざわざイズリーシュがこの茶会の席を設けてくれていたのだった。
何と褒められようともメリッサの緊張が消えることはない。雲の上の人だと思っていた両陛下に見えることがあろうとは、一年前の自分は思いもよらなかった。皇宮に勤めていてさえ、ちらりと両陛下の姿をお見かけしたことすらないのだ。遠目に見たことだけはあったイズリーシュとでさえ緊張したが、両陛下に至ってはその度合いが違う。
今朝からメリッサはずっと変なえずきが止まらない。ずっとすっぱいものが喉奥に居座っている。今飲んでいるお茶の味も全くわからない。ランカル地方の新茶ですよ、と耳打ちされたが、全くわからなかった。
「両、陛下との対面は、あの、お茶などは出ませんよね‥?」
イズリーシュは優しく答える。
「うん、対面だけの予定だよ。多分十五分くらいで終わるんじゃないかな」
メリッサの脳裡に、「姑」「義父」「折り合いが悪い」「嫁は憎まれる」といったこれまで耳にしてきた下世話な話がせわしなく交錯している。
緊張が最高潮に高まって身体がカチコチに硬直していそうなメリッサを気遣い、イズリーシュはそっと膝の上のメリッサの手を握った。
「私もついているから、心配しないで」
「‥‥はい」
メリッサは頷くのがやっとだった。
対面は輝煌の間で行われるとのことで大人しくイズリーシュの後ろをついて歩く。皇宮の、一の宮の奥まで来たのは初めてだ。奥宮は他よりも重厚な内装になっていて、より一層メリッサの緊張を煽った。
おつきの者が二人が到着したことを上奏する。人伝いに許可が出て、入室をした。
輝煌の間は、その名の通り煌びやかな部屋だった。壁面は何を塗っているのか張っているのか、きらきらと金色に輝いている。窓は美しいカットの入ったガラスでできており、そこからもきらきらとした陽光が入り込んで部屋を彩っている。窓がない壁面には、美しい絵画が等間隔で飾られており、それらはどれも素晴らしいものだった。
とはいえ、メリッサの目には何も映らない。部屋の奥の玉座におわすお二人の姿を薄く確認しただけで足が震える。
察したイズリーシュが、腕にかけたメリッサの手ごとぐいっと身体を引っ張ってくれた。それに引かれて何とかぎくしゃくと御前まで歩くことができた。
「皇帝陛下、皇后陛下、ご機嫌麗しゅうございます。大翼の陰にあるイズリーシュ、婚約者を伴い参じました」
イズリーシュは口上を述べて辞儀礼をした。
「うん、大儀。久しぶりだなイズル。ようやくお前の婚約者と相まみえることができた」
皇帝が答えれば、皇后もふふっと笑った。
「挨拶伺いました。イズルが随分このところ機嫌がいいと聞いていますよ」
そして皇帝が声をかける。
「アイシュタルカ帝国皇帝ハズラーニ=アイシュタル=トムカだ。ここにいるは皇后、アライアンヌ=アイシュタル=サレンである」
メリッサは震える身体を叱咤してぎぎぎと動かした。何とか辞儀礼の形に身体を動かす。
「メリッサ=ロントです。皇太子殿下の翼のもとにあります。羽搏きますことをお許し願いたく、参じました」
やや声はかすれ気味ではあったが、何とか口上を言いきった。背中をいやな汗が伝う。耳がじわじわと熱くなるのを感じる。
皇帝は鷹揚に頷いて応えた。
「顔を上げよ、メリッサ」
メリッサはごくりと唾を飲み込んでからゆっくりと顔を上げた。今日のメリッサは、東宮侍女チームの努力の賜物である。平凡な自分でもここまで仕上げてくれた侍女たちに感謝しつつ、何とか皇帝陛下の顔を見上げた。
皇帝ハズラーニは、今年四十一になる美丈夫だ。イズリーシュの美しさは皇帝譲りなのだろう。これまでこの大帝国を運営してきたという自信に壮年の重み渋みも加わって、色気のある美麗さであった。
だからこそ、皇后の姉タシーナが執着したのであろうが。未だにこの美麗な皇帝に側室を勧める声は消えていない。
横で静かに微笑む皇后アライアンヌも美しい女性である。ただこちらは庇護したくなるような、ふわふわとした儚げな美しさである。今年で三十八歳になるはずだが随分と若く見える。
皇帝はゆっくりと口を開いた。
「まもなく婚約披露式典となるがメリッサ、確認したいことがある」
「‥‥はい」
何を言われるのか、全く見当もつかずメリッサは一気に身体の熱が消えていくのを感じた。小さく手が震えてしまっている。
皇帝ハズラーニは、そのメリッサの指先をちらりと見たが、それには構わず平坦な口調で言った。
設定としては、イズリーシュよりもハズラーニの方が若い頃モテまくっていた、というものがあります。伯爵令嬢だったアライアンヌと結婚するまで、こちらもなかなか大変でした。
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