茶話会 1
作中で語られるマナーは、すべて本作独自のものであることを、お含みおきくださいませ。
メリッサの後見として、ハーレン卿が出席を申し出てくれていたので、同じテーブルに着席する。まずは開始の言葉を述べなければならなかった。ハーレン卿と侍女たちがいる、と思いながらメリッサは練習してきた言葉を何とつっかえずに言い終えることができた。
始めにメリッサのテーブルについていたのはハーレン卿の他に、公爵家の令嬢と令息が一人ずつだった。アイシュタルカ帝国本貴族には公爵家は五つしかなく、そのうちの二家の令嬢令息がまだ十代だったため招待されていた。だが二人は十三歳と十二歳とまだ幼かったため、メリッサもあまり緊張せずに話すことができた。
さすがに五家しかない公爵家の者は年少ながら節度をわきまえており、メリッサを軽んじたり侮ったりするような言動はしなかった。つつがなく会話を終えられたことに、メリッサはほっとした。
各々のテーブルでの会話が済めば、今度は席を立っての社交となる。メリッサは侍女たちがしつらえたティーテーブルの傍に立ち、次々にやってくる招待客と無難な会話を交わしていた。心臓はバクバクと脈打ち、指先の感覚がなくなるほどに緊張していたが、まずはテーブルでの会話がうまくいったことから、少しは落ち着いて話をすることができていた。
何組かのグループと会話を交わし、少しのどを潤そうとリッチェからティーカップを受け取った時、声をかけられた。
「あら、私たちを無視してお茶ですか?」
メリッサはティーカップをリッチェに返し、声の主を見た。随分と派手で、形の大きなドレスを纏った令嬢がこちらを睨んでいる。
メリッサは迷った。
この令嬢の言動は随分なマナー違反だ。メリッサはきちんと順番通りにそれぞれのグループと話をしていたし、今はそれが途切れたからお茶を飲もうとしただけである。それをわかっていながら声をかけるのもマナー違反であるし、何より主催者が話しかける前に声をかけるのは重大なマナー違反である。
メリッサは対応に困ってちらりとリッチェの顔を見た。リッチェが何か言おうとした時、それを遮るようにまた派手なドレスの令嬢は声を上げた。
「まあ、平民出身のお方は私どもとは口もきいて下さらないのかしら?」
一緒にいたほかの三人ばかりの令嬢も口元に手を当ててくすくすと笑う。
メリッサはどうしようかと迷った。作法通りであれば、こうなってしまえばメリッサの立場なら無視するのが常道である。しかし、この茶話会の性質から言って無視することはできまい。
儀礼には反するが、ここで名のって会話を始めるしかないか、と思った時、すっと一人の背の高い令嬢が近寄ってきた。
美しい艶やかな黒髪に紅玉のような明るい赤い瞳。ドレスは細身のラインで今の流行にも合っている。グレーとオフホワイトのコンビネーションカラーのドレスは流麗なドレープがとられており、その裾に向かって精緻な刺繍が施されている。また小さな宝石も縫い付けられていて、シンプルなデザインながらセンスの良さを感じさせる装いだった。手元には薄いダーマシルクを張った扇子を持っている。
その令嬢は、派手なドレスの令嬢とメリッサの間に滑り込むようにやってきて、美しい辞儀礼をした。
メリッサはほっとして声をかけた。
「本日はお越しいただきありがとうございます。メリッサ=ロントです。皇太子殿下の翼のもとにあります。羽搏きましてもどうぞよろしくお願い申し上げます」
令嬢はにっこりと笑いながら挨拶を返す。
「本日はお招きいただきありがとうございます。カハータ公国第一公女、ジェスリア=イバ=カハータと申します。陽の元にて歩いております(婚約者はいないの意)。末永くお付き合いのほどをお願い申し上げます」
定型の挨拶を終えてほっとしているメリッサを、派手なドレスの令嬢がまだ睨みつけている。ジェスリア公女はばさり、と扇子を広げた。薄いシルクの生地に細やかな刺繍が施されている。
「メリッサ様はアイシュタルカ自由帝国民のお血筋だと伺っております。自由帝国民の視線が帝室に入ることは、きっと有益な効果をもたらすでしょう」
ジェスリア公女の口調は、全くこちらを貶めたり侮ったりするものではない。口元は扇子で覆われているが、その目は優しくメリッサを見つめている。メリッサは、その優し気な目に救われるような気持ちだった。
「不見識なところも多々あるかとは存じますが、翼(=イズリーシュを指す)の力となるよう、努力してゆく所存でございます」
「ご婚約者様は私とはお言葉を交わしてはくださらないおつもりなのかしら?」
業を煮やした派手なドレスの令嬢がとうとう横から入ってきた。まだジェスリア公女との会話は終わっていないのに、これもまた大きなマナー違反だ。ジェスリア公女の目がすっと細められる。
メリッサは、定法通りの応対を諦めた。とにかくこの派手な令嬢に何か返事をしなくては収まらないのだろう。軽く、ジェスリア公女に会釈をしてから派手なドレスの令嬢に向き合う。
「本日はお越しいただきありがとうございます。メリッサ=ロントです。皇太子殿下の翼のもとにあります。羽搏きましてもどうぞよろしくお願い申し上げます」
ふん、と令嬢は鼻を鳴らしてメリッサを見下ろした。令嬢の方がメリッサよりも10cmほど背が高いようだ。
「アラゼン侯爵息女、テルエラ=アラゼンよ。‥翼から転げ落ちないといいわね」
これまたこのような席では信じられない暴言だ。メリッサは心底対応に困って、またちらりとリッチェを見た。‥‥リッチェが今まで見たこともないような憤怒の表情をしている。あ、これはやばい、自分で収めなければリッチェさんが大激怒して何を言うかわからない‥。
メリッサは何とか気合を入れ直し、にこりと笑った。
「はい、偉大なる翼の元におりますので、そのような心配は今のところはないかと存じます」
テルエラはキッとメリッサを睨みつける。
この平民のせいで父は東宮官長という重要職から更迭されたのだ。しかもテルエラが願ってやまなかった皇太子妃という地位も手に入れようとしている。卑しい平民などに頭を下げろと?冗談ではない、アラゼン家は歴史も古い由緒ある貴族だ。こんな仕打ちが許されてたまるものか。テルエラはぎろりとメリッサを睨んだ。
メリッサの装いは一分の隙もない。流行も押さえており、身に着けている装飾品も一流のものだ。平民の女がどのように見苦しい姿でいるのかと、嘲笑う気でいたテルエラはメリッサの凛とした姿を見て余計に苛々が募っていたのだった。
そこでまた、ジェスリア公女が口を開いた。先ほどの優しげな口調とは打って変わった低い声であることにメリッサは驚いた。
「‥私の知らぬ間に、アイシュタルカ帝国での催事の礼法が変わったのでしょうか?私はまだ、メリッサ様とお話をしておりましたのですが」
言外に、お前は作法知らずの無礼者だ、と非難されたに等しいのだが、怒りと苛々で全く冷静になれないテルエラの耳には、それは正しく響かなかった。
「公女殿下、この者は卑しい平民の出身で皇太子殿下を誑かしたのです。その上、私の父に謂れのない罪を着せて、職を奪ったのですわ!このような卑しい心根の者にはらう礼法など、私は持ち合わせておりませんので!」
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