学び
「メリッサ‥」
イズリーシュがメリッサの顔を見た。信じられない、という顔をしている。メリッサはイズリーシュの顔を見つめ返して、微笑んだ。
「よろしいですか?イズリーシュ様」
イズリーシュは目のふちが熱くなるのを感じた。こぼれ出ているのは涙、だろうか‥?人前で泣く、ということをしたのはいつだっただろう。イズリーシュはふとそう考えて、思い出せないことに気づいた。辛くとも、苦しくとも、泣く場所も機会もなかった。そんなことをすれば、側仕えや周りの者が心配することがわかっていたからだ。弱みを見せることに繋がると知っていたからだ。
「メ、リッサ、」
イズリーシュの瞳からほろほろと涙がこぼれ落ちた。メリッサはそれを見て一瞬息を呑んだが、すぐにまた微笑んだ。
そして、そっとイズリーシュの頭を抱え込んだ。
柔らかいメリッサの腕に包まれたことがわかる。ああ、こんな風に抱かれたことは‥いつ、あっただろう。イズリーシュはぎゅっと目をつぶった。閉じた瞼からとめどなく涙が溢れてくる。メリッサの腕の中はどうしようもなく温かで、安らかな場所だった。
そんな二人の様子を見て、ササライは青銀色の視線をふっとやわらげた。
「殿下、思うところを吐き出してしまいなさい。‥心のままに、正直に」
イズリーシュはメリッサの腕に手をやってそっと握った。そしてその中から抜け出してメリッサに笑いかけた。ほろほろと溢れる涙は止まらない。壊れてしまったのか、とイズリーシュはぼんやり思った。顔を上げれば魔法力師の青銀色の瞳がイズリーシュをじっと見つめている。今はその瞳に鋭さはない。ただ、静かにイズリーシュを見つめているだけだ。
イズリーシュはヒクッとしゃくり上げた。その行動自体がまるで子供のようで恥ずかしい。しかしごくりと息を呑み、息を整える。
「私は‥メリッサを、愛しく思っているから‥そして‥」
メリッサの方を見て笑いかけた。許されるのだろうか。彼女の人生をこんなに大きく狂わせたのに、自分の望みを通すことは許されるのだろうか。
「私が‥‥幸せに、なりたいから‥メリッサとともにいたい‥!」
イズリーシュの、叫ぶようなその声を聞いて、メリッサは胸が痛くなるほどの動悸を覚えた。胸の湧き上がってきたのは、明らかに喜びだった。気持ちが、通じ合っていた。自分は「好きでもない人」ではなくなっていた。ちゃんとイズリーシュは、自分の事を見て、自分の事を、好きになってくれていた。
そう、悟れば目に涙が溢れるのがわかった。
嬉しい。素直にそう思えた。今度はイズリーシュの腕が、メリッサの頭を抱え込んだ。ぎゅっと抱きしめられる。それが、全く嫌ではなく、むしろ嬉しいと感じられる自分に驚きながらもイズリーシュにしがみついた。
ササライは微笑みながら、うんうんと頷いた。
「殿下、ようやくご自分の心に素直になりましたねえ」
ササライはまたすーっと椅子を動かして、二人の正面に移動した。それを見たイズリーシュは、そっとメリッサを腕から離して椅子にかけるよう促した。メリッサも素直に席に着き、ササライを見た。
ササライは新しくティーカップにお茶を注がせて、それを一口飲んだ。
「殿下」
「はい」
返事をするイズリーシュの口調が変わっている。ササライは少し口の端で笑って、言葉を続けた。
「ご自分の傲慢に、お気づきになりましたか?」
「‥‥はい」
イズリーシュはまた素直に頷き、返事をした。ササライはふふっと含み笑いをして、空中から新しい菓子を取り出した。そしてケーキスタンドも取り出して、皿の上にのせる。
「お茶会だというのに、まだお茶も飲まれていませんね。どうぞ召し上がって下さいな」
そう言われて、イズリーシュは藍色のティーカップを手に取った。口に含めば、爽やかで清冽な茶の香りが広がって、心をいっそう穏やかにしてくれた。
こくり、と飲み下して息を吐くと、イズリーシュは呟いた。
「帝国の、未来のためと思って‥私はメリッサを婚約者にしました。無理矢理に」
ササライは何も言わず、少しだけ笑みを浮かべた顔でイズリーシュを見守っている。横にいるメリッサも、何となく緊張しながらイズリーシュの言葉を待っていた。
「でも‥‥それは、私自身への言い訳でしかなかった。ようやく見つけた私の子を産める人が、メリッサだった、から‥安心してメリッサに結婚を申し込んだ」
「イズリーシュ様‥」
メリッサはあの日、肝をつぶすほどに驚いたあの日の事を思い出す。もう、とても遠い日のように感じてしまう。
「例えばもっと年嵩の女性や、男性が見つかっていた場合に‥私があのような行動に出ていたかは‥多分、気づいても何もしなかった、と思う。メリッサだったから」
「どうして‥」
思わず言葉が零れたメリッサに向かって、イズリーシュは弱々しく微笑んだ。
「メリッサが、‥とてもきびきびと仕事をしていて‥少し微笑みすら浮かべていて。あんな、面倒くさい大臣なんかが集まっている固い会議なのに、ちゃんと一人一人に会釈をしながらお茶を給仕していて‥それが、私には好ましかったんだと思う」
そう、少し恥ずかしそうにぼそぼそというイズリーシュに、メリッサは目を丸くした。‥あの時には気づかなかったが、この方は多少なりと私に好意というか、いい印象を持っていてくださってたんだ、と今さらながらに思ったのだ。
「だが、私はそれを、帝国のため、という欺瞞で覆い隠した。‥誰でもよかったわけじゃない、自分と同じような年ごろで‥好ましい女性だったから、あの場で求婚したんだ。それなのに‥私は、メリッサを大義名分で縛ろうとした」
イズリーシュはメリッサに向かってそう言ってから、また身体をササライの方に向けた。しっかりとササライの瞳をまっすぐに見つめる。
「あなたが、選択肢を示してくれたから‥気づくことができました。‥私は、あんなに直系を得ることにこだわっておきながら、‥あなたが示してくれた、自分が『産む』という選択肢を受け入れられなかった。それは、私のこだわりや刷り込まれた価値観を捨てられないだけのことなのに。あなたに言われても私は、それを見ないようにしていた。それは‥私の、勝手だ。私の勝手で、私のエゴをメリッサに押しつけようとした」
イズリーシュはすくっと立ち上がった。そしてそのままテーブルを周り、ササライの傍までやってきて跪いた。そこからササライの顔を見上げた。
「ありがとうございます。そこに気づかせていただいて。あなたのお話は‥私にとって必要でした。皇太子としても、‥そして、人としても」
ササライはニコッと笑った。そして手ぶりでイズリーシュに立ち上がるよう促した。
「殿下が、人の心を少しばかり解析できたようで、何よりです」
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