迷う心
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皇后陛下の姉である、タシーナ=セロレーン‥いや、タシーナ=リハンへの苛烈な処断は、帝国貴族を瞠目させた。貴族籍剝奪の上、強制労働三十年。事実上の終身刑である。これまでにもセロレーン夫人の専横に眉を顰めていた人々は喝采を叫び、夫人にうまく取り入って各種のうまみを得ていた人々は、わが身にその累が及ぶのではと恐怖した。
以前より、皇族でもないセロレーン夫人の振る舞いは度々問題になっていた。生家であるリハン伯爵家は、嫡男であった皇后の弟が貴族籍を返上し、世界周遊の旅に出てしまっているため、今はない。つまり、セロレーン夫人はただの一代侯爵の夫人に過ぎなかったのだ。
皇族を名のるような振る舞いは、単に皇后陛下の温情により見過ごされてきただけなのである。
だが今回の振る舞いによって、イズリーシュだけでなく皇帝陛下の堪忍袋の緒も切れた。よってこの苛烈な処断へと繋がったものだろうと貴族たちは噂した。
いずれにせよ、「平民出身」の婚約者のためなら苛烈な処断も辞さないというイズリーシュの態度は、高位貴族たちにメリッサの存在を強くアピールすることになった。侮ればこのような処分をする用意があるぞ、という示威行動に受け取られたのである。これまで、人あたりのいいイズリーシュの事を、言葉を選ばないとするなら「舐めて」いた貴族たちは、その認識を改めざるを得なくなった。
高位貴族たちの噂話が盛り上がっている中で、東宮には穏やかな時間が流れていた。いい機会だから少し骨休めをさせた方がいい、という医師の助言により、メリッサは怪我の療養とともにゆったりした時間を過ごしていた。
とはいえ、メリッサ本人は、習ったことを忘れてしまうのではないかと日々復習を欠かさなかったが、本人が落ち着くならそれは制限しない方がいいという医師の言葉を聞いた侍女たちは、特に何も言わなかった。
イズリーシュはメリッサに関することで時間を取られたこともあり、また忙しい日々を送っていた。どうにか、三、四日に一度ほどは短くともメリッサに会う時間をひねり出しているのだが、さて、会ったとしても何やら進展が見られるわけでもなく、ただ二人がぽつぽつと世間話をする程度におさまってしまっていた。
その原因は、記録用魔適具の内容を洩らさず聞いたイズリーシュの心にあった。
(やはり、メリッサは帰れるものなら家に帰りたいのだな‥)
タシーナ=リハンの言葉を素直に受け入れ、帰ろうとしていたメリッサの行動にイズリーシュは衝撃を受けていたのだ。
多少なりと、ほんの僅かでも‥心が触れあった時があったのでは、と考えていたイズリーシュにとって、このメリッサの行動はショックなものであった。
本当はやはり帰りたいのか。そう考えるとメリッサの前で何を話していいのか、わからなくなってしまう。メリッサはメリッサで、イズリーシュから話を始めてもらわなければ、自分から話し始めることはまだ畏れ多くてできない。
自然、二人の会話はぎくしゃくとしたぎこちないものになってきていた。
だが、メリッサとしては、自分を気づかい、忙しい中頻繁に時間を作って見舞いに訪れてくれるイズリーシュに好感を持っていた。
メリッサにとって、皇宮や貴族はまだ怖ろしいものだったが、先日のイズリーシュの態度を見れば、「この人は自分をしっかり守ろうとしてくれているのだ」という実感が得られて好ましかったからである。
が、その心情を吐露することは憚られ、口にはしなかったので、二人の気持ちはうまく噛み合わないまま、侍従侍女たちをやきもきさせていた。
そんなある日。
「‥これは‥」
イズリーシュは、朝執務室の椅子にかけようとして机の上にあった封書を見た。基本的に、執務室の机上は、執務終了後は何もない状態にすることになっている。イズリーシュが出ていってからは誰もここに入れない筈であるのに、何故かぽつんと置いてある封筒はそれだけで怪しいものだった。
薄青い封筒には何も書いておらず、イズリーシュが中を検めようと取り上げた瞬間、封筒がパン!と弾けた。
「殿下!」
ソルンがすぐさまイズリーシュの傍に来てその身体を庇い、封筒から距離を取らせた。弾けた封筒からは、ひらり、と一枚のカードが落ちてきた。それに手を伸ばそうとしたイズリーシュを制し、ソルンがそっとつまみ上げる。
「‥‥白紙、ですね‥」
訝し気にカードを眺めているソルンの手から、イズリーシュがひょいと取り上げて見てみる。
すると、カードにシュルシュルと文字が這い始めた。
「!!」
イズリーシュとソルンの二人が驚いて眺めていると、文字の動きが止まった。
メリッサさん、皇太子殿下
私の家にご招待します。美味しいお茶とお菓子もご用意しておきますよ!是非お二人でいらしてください。今日からひと月の間ならいつでも構いません。このカードをお忘れなく。護衛の方がご一緒でも構いませんが、私の家の中に入れるのはメリッサさんと殿下だけですよ~
ササライ
「で、殿下の宛名をメリッサ様より後に‥!」
と憤慨しているソルンを放って、イズリーシュはじっとカードを眺めた。
ソルンに頼み、諜報部に探らせたササライについてだが、結果としてあまり詳しいことはわからなかった。カンメルに本拠を置く大きな商会の娘が、外国で産んだ息子がササライらしい。母子で帰国してきたのだが、母親は十年ほど前に亡くなっており、ササライ自身は家から出ることはないが、魔法力師として細々と暮らしを立てている状態に見える、という報告だった。母親の実家の商会ともそこまで密に連絡を取っているという訳ではないようであった。
「家の中に護衛が入れないとは、危険です殿下。このような、得体の知れないものの家を訪問されるなど、おやめください」
強い口調でそう主張するソルンに、イズリーシュは首を振った。
「いや、行く。メリッサとともに行こうと思う。‥何か‥私の求めるものが、あるような気がする。申し訳ないが、ソルン、予定を調整してくれ」
ソルンはまた何か言いかけようとしたが、イズリーシュの顔を見て口を閉じ、はああと大きくため息をついた。
「‥承知致しました。でも幾つかの魔適具は身につけていっていただきますからね!」
「わかった。ありがとう、ソルン。いつもすまない」
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