皇太子妃、として
もともと平民でしかないメリッサに、社交や外交、公務などを担わせるのは荷が重いのではないか、ということはシュウェッテ卿も案じていたところだった。出来れば、貴族出身の正妃を立て、正妃にその責を負ってもらいメリッサは皇太子の内向きを支える存在になれればちょうどいいのではないか、と侍女たちは思っていたが、イズリーシュはメリッサ以外の妃を迎える気はないと断言している。
リッチェには、イズリーシュの心が純朴で素直なメリッサに少しずつ傾いているのだろう、ということが、日頃の様子から見てもわかってきていた。若者の恋であれば至極真っ当なその思いが、帝国を支える皇族ともなれば真っ直ぐには通らない。平民は貴族に対して色々と思うところはあるだろうが、こと恋愛に関しては平民の方がよほど人間らしいそれを謳歌している、とリッチェは思った。
イズリーシュの恋は、真っ直ぐで初々しい。初めての恋に、おそらく自分でもまだ自覚がなく、どう対処していいのかもつかめていないのだろう。だからこそ、メリッサにはまだそれがうまく伝わっていないとも言える。
妃という形でなくとも、公務を担える役職を作ってみてもいいのかもしれない。いずれにせよ、メリッサの教育の進み方次第だ。
知識や頭の回転だけでいうなら、メリッサは十分に帝国皇太子妃、ひいては皇后にもなり得る能力はある、というのが侍女たちの見解である。ただいかんせん、育ちの違いからくる態度の鷹揚さや傲慢さを持ち得ない。それらは、帝国を背負って立つには必要な皇太子妃の鎧である。
だが、これまで平民として育ってきたものにそれを短期間で身につけろというのはあまりに無茶な要求だ。イズリーシュは他に妃を持たないと断言しているが、実際のところどのように対処していくのかをそのうち詰めていかなければ、メリッサは早晩重圧に飲まれて潰れてしまうに違いない。
それはイズリーシュの本意ではないだろう。
せめてメリッサが、イズリーシュからの愛情を疑いなく受け入れて、それを拠り所にしてもらえれば少しはその重圧にも立ち向かえるのではないかとリッチェ達は考えていた。
そのためにも、できることはやっておかねばならない。今日の手順と、準備すべき道具や茶菓を確認しながらリッチェは気を引き締めた。
「メリッサ様は綺麗な御髪をお持ちですから、それを活かした装いにしてはどうかと、このようなお色味のものをご用意致しました」
そう言ってキルウェは三パターンほどの服装をドレスホルダーにかけて、メリッサの前に引き出した。
メリッサは赤髪と琥珀色の目をしている。とはいえ、赤髪はどちらかと言えば黒みがかった暗紅色だ。キルウェが出して見せた装いは、それぞれ全くタイプの違うものだった。
「まずはこちらです。淡いクリーム色のサンドレスに、日よけの短いピンクのボレロを合わせたスタイルです。それからこちらの少し短い丈のサックスブルーのドレスですが、こちらはお袖の部分が少し膨らみを持たせたデザインになっておりますので、お茶を召し上がる際には注意が必要です。そしてこちらがオレンジカラーのグラデーションになっている、少しボリュームを持たせたドレスです。歩かれる際のドレスさばきにご注意いただく形になります」
目の前に引き出されたドレスホルダーには、淡黄色のすとんとしたシンプルなサンドレスとピンクのボレロ、複雑な光沢を持ったサックスブルーのパフスリーブのドレス、腰から下のスカート部分が、流行りのバルーン型になっており、裾に向かってオレンジが濃いグラデーションドレスの三着が鎮座していた。
正直、自分の容貌に全く自信の持てないメリッサには、このドレス選びが苦痛で仕方がない。所詮、着るのは十人並みとしか言いようのない見た目の自分だ。何を着たところでそんなに変わらないだろうと思っている。無論、侍女たちやその他の者たちも言葉を尽くして褒めてくれるが、それを鵜吞みにするほどおめでたい頭でもない。
着るものなど、全て決めてもらって構わない、と思っていたが、公式行事の際には着用している衣服についての話題もよく出るという話を聞き、やはり自分の意志で選ぶことが大切なのだとは痛感させられている。
動きやすいのは間違いなくサンドレスだが、庭園を歩くことを考えると一番動きに制限がつきそうなのはバルーン型のドレスだ。あまり庭園を歩くこともないのだから、今回はこれを着て練習しておいた方がいいのかもしれない。
「こちらのオレンジのドレスの場合、靴はどうなりますか?」
キルウェはドレスホルダーの下にある物入れからすかさず靴を取り出した。
「東宮庭園は、芝生の部分も多うございますから、こちらの少し底のしっかりしたお靴になります」
とはいえ、ヒールの高さは10cm近くあるように見える。メリッサはため息を飲み込んで頷いた。
化粧をしっかり施され、髪も艶を出して少し高く結い上げられる。顔の造作が変わるわけではないが、手入れを怠りなく毎日されているせいで、肌の調子だけはすこぶるいい。肌のケアだけでこんなに疲れるものなのだと、メリッサは当初ぐったりしていたものだ。
耳にも少し大ぶりなファイアオパールの飾りをつけられ、落とさないようにしようと心に誓った。
「では参りましょう」
キルウェに手を取られ、東宮庭園に向かう。リッチェとカリーナは先に庭園で茶会のテーブルセッティングに向かっているため、キルウェとその後ろにナルゼ、そしてこの三人の前後に、護衛の騎士が男性三人、女性二人がつく。
ちょっと外に出たいだけだったのに、エライことになったなあ‥と内心メリッサは思っていた。貴族、皇族の暮らしはなんて窮屈なのだろう。自由になる時間もないし、自分の希望を通すだけでも一苦労だ。
こんな中で育ってきていたら、自分たち下々のものが呑気に生きているのを見ると苛々したのかもしれない。今までメリッサ達メイドに、どうでもいいようなことで難癖をつけてきた貴族たちのことを思い浮かべて、こっそりため息をついた。
庭へ出ると格段に歩きづらくなる。庭園には石畳が敷いてあることが多いのだが、東宮庭園はできうる限り自然に近い形で作られていることから芝生の部分が多かった。飛び石を慎重に選んで歩くが、いつも下ばかり向いている訳にもいかない。かといって、このバルーン型のドレスは想定していた通りに歩きづらい。
やや蹴り出すように歩かねばならないのだが、行き過ぎても優美に見えない。歩くだけでも難儀なことだ。
二、三度よろめく場面はあったが、何とかお茶会の席が作られているところまでたどり着くことができた。思わずほっと息をつく。そこで待っていたカリーナがにっこり微笑んだ。
「メリッサ様、素敵なお召し物ですね。とてもよくお似合いです。本日このお召し物をお選びになったのには理由がおありですか?」
来た。
「‥本日はカスラの花を愛でに参りましたので、この薄いオレンジが邪魔をしないかと思いました。加えてカスラの特産地であるアンバイアン繊維を使っておりますことから本日にふさわしいかと」
カリーナはまた頷いて笑った。
「メリッサ様、よくお出来です。後はお靴にあしらわれておりますアンバイアンビーズの事まで言及があれば、もう満点でした」
あっとメリッサは心の中で舌を出した。確かに細かなビーズ刺繍がなされていた。そこを失念していた。
「すみません‥」
「いえ、少しずつ上達しておられますよ。何よりです。さあ、どうぞおかけください」
お読みくださってありがとうございます。
ストックが後二話になりました。なんとか毎日更新できるよう、頑張りたいと思います。




