侍女たちの思い
次の日の朝、ライヤから報告を受けたメリッサ付きの侍女たちはお互いに喜び合った。
「よかった‥!ようやく、お心を通わせられるところまで来ているってことよね?」
年若いキルウェが両手をこすり合わせて喜んでいる。それを窘めるように年配の侍女であるカリーナが言った。
「あまり過度な期待をしては、メリッサ様に伝わってしまうかもしれませんよ。私たちの気持ちは抑えて、努めて普段と同じようにお仕えしなくては」
カリーナの言葉を聞いたリッチェは深く頷いた。
出だしが出だしだ。ここからスムーズに仲を深める、といけばいいが、なかなかそううまくいくとも思えない。
何より、今はほとんど東宮の奥深くで過ごしてばかりのメリッサが、皇宮の社交場に出ていった際にどんな扱いを受けるかは大きな懸念材料だ。
「メリッサ様は、平民の学校しか出ていないとは信じられないほどに物覚えもよくていらっしゃるから、知識的な部分では心配していないのですが‥」
カリーナの言葉に、他の侍女たちはふと押し黙る。爵位の上下はあれど、みなそれぞれに貴族社会で生きてきた者たちばかりだ。正論や論理的な思考がまかり通る世界でないことは、つくづくと承知していた。
特に注意すべきは、先日東宮官長を更迭されたアラゼン侯爵の娘、テルエラ=アラゼン。本人も野心家で未だイズリーシュの正妃の座を諦めていないことは侍女たちも重々承知している。
また、イズリーシュの母、皇后の姉に当たる、タシーナ=セロレーン。外戚筋に当たり、王位継承権に関わりがないにもかかわらず、いつも余計な口出しをして皇后の気を悪くさせる名人だ。
当面、婚約者が正式に発表された場合に、メリッサにとって大きな障害になりそうなのはこの二人だった。
早ければ半年後にはお披露目がされる。それまでに、メリッサにはもう少しだけでも威厳を身につけてもらわねばならない。「自分は身分の高い人間だ」と自覚し、他にもそう思わせる雰囲気を纏わねば、メリッサはあの皇宮内では闘えない。
「お披露目の際におそば近く控えられるのは、私とリッチェとキルウェしかいません。伯爵位以上の系譜に連なる者でなければ出席も適いませんからね‥。私とリッチェはともかく、キルウェにも色々と頑張って学んでもらわねばなりませんよ。いいですか?」
カリーナの厳しい言葉に、今年東宮内に出仕したばかりのキルウェは緩んでいた顔を引き締めた。
「承知致しました」
カリーナはキルウェの引き締まった表情を見てほっと息をつく。そして言った。
「‥メリッサ様は、帝国のために望まれぬ婚姻をせねばならないお方です。‥貴族の子女ならともかく、平民の中でお育ちになったメリッサ様には酷なことでしょう。もとよりそのような義務を負っておられなかった方ですから。‥‥とはいえ、‥出来れば、幸福な婚姻となっていただければそれが何よりです。ただ、その思いをメリッサ様に押しつけることのないよう、かつ、できるだけ殿下ともお心を通わせられるよう、私たちは動かねばなりません。一つ一つの動きをよく考えるように。いいですね?」
「はい」
そこにいた四人は、みな顔を厳しくして返事をした。
メリッサ付きの侍女の中で、一番の年長者はカリーナだ。意見書をシュウェッテ卿に出すという決断をしたのもカリーナである。今年四十二歳になるカリーナは、メリッサを昔亡くしてしまった自分の娘のように思い、世話をしてきた。生きていれば、娘はメリッサと同じ年の筈だった。
「私が皇太子殿下の侍従方と少し打ち合わせをして、今後の動きについて話してきます。本日日勤のリッチェ、ナルゼ、キルウェは通常通りにメリッサ様にお仕えを。本日は、大陸歴史、経済、属国外交の先生方がお見えです。それから医師の検診もありますからその準備も怠りなくするように」
「はい」
「ライヤはお疲れさまでした。もう下がってよろしいですよ」
「はい、失礼致します」
カリーナは指示を終えると、侍女の詰所を出て東宮事務室に向かい歩き出した。
朝食を終え、属国外交の教師による講義を受けてから一休みしていると、侍女のナルゼがそっと部屋に入ってきた。日中、侍女たちは出入りするのにわざわざノックはしない。
そのままリッチェに何事か伝えると、すぐにメリッサの傍までやってきて膝を折った。
「メリッサ様、経済の教師であるハーレン卿が急病のため、講義をお休みにしたいとのことでした。夕方の歴史の講義まで少しお時間ができましたが、何かなさりたいことはございませんか?」
この後は昼食を取ってから軽く医師の検診を受ける予定になっている。その後、四時まで‥およそ三時間ほどの空き時間ができたということだ。
メリッサは窓の外に目をやった。今日はとても天気がいい。窓から見えていたカスラの木々が少しずつほころび始めて薄紫の小花が咲き乱れ、美しい様子を見せていた。メリッサはおずおずと申し出た。
「あの、お庭の方のお仕事の邪魔にならなければ・・お庭に出て、カスラの木々を見たいのですが、構いませんか‥?」
ナルゼはにっこり笑って頷いた。
「勿論、構いませんとも。‥よかったらお庭でお茶の時間をお過ごしになりますか?」
「え、そんな」
すぐに遠慮しようとするメリッサを見て、リッチェも声をかける。
「このところ、メリッサ様はお忙しくていらっしゃいましたから、気晴らしにちょうどいいのではありませんか?たまには外でのお茶の時間もいいものかと存じますよ」
ナルゼもリッチェも、扉近くで控えているキルウェもにこにこしてメリッサを見つめている。
「庭師の方々のお仕事、の邪魔になりませんか‥?」
幾分声を潜めてそういうメリッサに、リッチェとナルゼは顔を見合わせ、また微笑んだ。
「今時分は一の宮の剪定に皆かかっているとのことですから、本日は庭師は出ておりませんよ。‥では、東宮庭園で午後のお茶ということに致しましょうか。庭園でお茶会が開催されることもありますし、その実習も兼ねましょう」
皇太子妃教育の一環にしよう、と言われれば、メリッサも少しホッとした顔をして頷いた。何気ない様子をして、キルウェがメリッサの前に進み出る。
「メリッサ様、お庭でのお茶会を想定してお召し物をお選び致しましょう。ご希望のお色味等ございますか?」
メリッサは小さく首を横に振った。こういった質問にメリッサが自分の好みを述べることはまずない。リッチェはため息を呑み込んだ。‥自分の意志が出せるようになるまでには、もう少し時間が必要だろう。
キルウェはにこりと微笑んで言葉を続けた。
「それでは検診が終わるまでの間に、いくつかこちらの方で候補を出しておきます。その中からお選びいただけますか?」
「はい‥」
選択肢の中からであれば、メリッサも選びやすいだろう、というキルウェの気遣いに、リッチェは少し感心した。
お茶の内容を加味して少し軽めの昼食を取った後、医師の検診があった。まだ少し痩せ気味ではあるが、おおむね健康状態は良好だと医師はメリッサに告げた。が、陰でリッチェにはこう囁いた。
「‥精神的には、まだ不安定な様子が見受けられます。とにかく、あまり落ち込むような事態にならないよう、気分が上向きになるように取り計らってみてください。とはいえ‥この先皇太子妃となられるのでしたら、これまでの比ではない重圧がかかってくるでしょう。そこを耐えきれるだけの精神力が養われなければ‥」
皇太子妃として立つことは難しい、ということを、医師は言外に匂わせた。リッチェは頷きながらも医師にこのことは他言無用、洩れた場合は医師の責任として然るべき処罰があることを重々しく告げた。医師は当然だという顔をして帰っていった。
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