2月20日(後編)
フレグの自動車体験も終わり、再び車に乗り込む光とフレグ。この後は国賓をもてなすための晩餐会が待っている……というのが普通なのだが。今回はそういう普通を投げ捨てて、フレグの行きたい店に行くことになっている。そして彼が要求した店は……
「正直、肉は食い飽きていてな……部下が、サシミやスシと言った魚を生で食べるのが美味かったと聞いている。なので、私もぜひ一度食してみたいのだ。普通は生で食えば寄生虫や毒などで最悪命を落とす事もある魚を、いかにして生で食せるようにしているのか。その奥義の一端を拝見したいのだ」
という事なので、寿司屋に行くことに。近場の寿司屋に運転手が車を向け、光とフレグを目的の場所へと運ぶ。到着した寿司屋はまだ書き入れ時より少し早めの時間であったために、客の姿は少なかった。
「らっしゃい、どうぞこちらへ……そ、総理!?」「ああ、ちょっとお邪魔するよ。奥の方、良いかな?」「は、はい。こちらへどうぞ」
総理大臣である光の登場に寿司屋の従業員は慌てるが、それでも案内はきっちりとこなした。先に入っていたお客たちも総理の登場にびっくりしたが、光の「ここに居る事は内緒にしてもらえると助かる」という言葉に、頷いて応えた。奥の個室となっている座席に案内された光とフレグ。運転手は離れた場所で食べる事になっている。
「ふうむ、やはり建物一つとっても大きく違うな。面白いし興味を引かれるが……まずは食べ物の方だな。ヒカル殿、何を頼めばいい?」「そう言う時はお任せにしてしまえば早い。すまない、刺身の盛り合わせを一つと、寿司のコースを二つ、内容は大将のお任せで頼む」「承りやした、お待ちを!」
先に出されたお茶を飲んだフレグの「ふむ、面白い味だ。我が国の茶とはまた違った味……これは料理の方も期待が持てる」という感想などを聞きながら待つこと数分、まずは刺身の盛り合わせがやって来た。
「おお、これが魚なのか!? 何とも美しい。光を反射して輝いているではないか……食べ物というよりは芸術品だな、実に美しい」「しかし、食べねば味は分かりません。さ、まずはお試しを。魚の切り身をこの醤油につけて、その上にワサビというこの緑色のものを少し載せて食べて下さい」
知っている人には常識だと思うが、ワサビの辛みは水溶性だ。醤油の中に溶かしてしまうと、本来のワサビの味わいが無くなってしまう。だから、ワサビは魚の切り身の上にのせて食べたほうが良いのである。さて、その刺身を食べたフレグの感想は。
「──美味い。あれこれ品評する事などできん……ただただ美味いとしか言えん。部下たちがまた食べたいという訳だ……これが生で食える魚の味、か。そしてこのショウユという調味料も素晴らしい。魚の味を良く引き出している……トドメにこのワサビだ。ツンと来るが、香辛料よりも優しい辛さだ。すっと儚く消えてゆく辛みという物があるとはな……!」
そこから、フレグの手は止まらなかった。次から次へと、様々な刺身を口に入れては美味い美味いと小声で言葉を零しながら食べる。最終的に、全体の7割をフレグが食した形となる。追加を要求したそうな目をフレグが光に向けるが、光は首を振る。
「まだ、次が来ます。それを食べてなお食い足りないと思ったらもう一回注文しますから」「そ、そうか。う、うむ。分かった」
歴戦の猛者も、旨い食い物の前には形無しになるという事だろう。次の寿司のコースが届くまで、どこかそわそわした雰囲気を見せるフレグ。そんなフレグを見て、微笑ましい視線を向けてしまう光であった。
「お待たせしました! 握りのコース、お任せになります。どうぞお楽しみください。食べる順番は左上から右に向かって順に食べていただけると助かります」
12貫の寿司が並ぶさまを見て、フレグはまた美しいという言葉を発した。今まで彼が食べてきた魚は、焼くか煮るかであったため、ここまで光沢を放つ魚の身を見たのは今日が初めてだ。刺身の時もそうだったが、こちらの寿司を見てもその意見は変わらなかった。
「ふむ、これも楽しみだ。ヒカル殿、どうやって食えばいいのだ?」「箸でも手で掴んでも構いませんが……我々がやる事はほんの少しだけ醤油をつけて口に運ぶ、それだけです。こんな風に」
光の食べる姿を見て、フレグもあとに続く。口に入れて咀嚼……飲み込んだフレグの表情がとろけた。
「はぁ……これまた美味い……なんと表現すればいいのだ。私の知りうる言葉の中に、あてはまるものがない。サシミも旨かったが、スシもまた美味だ……ああ、部下の気持ちが今ようやく理解できた。これはまた食いたいというだろうよ。肉ではほぼ味わうことが不可能な味だ……これを我慢しろとは、とても言えん……」
そんなとろけた表情を浮かべたまま、寿司のコースを一つ、また一つと口に運ぶフレグ。あれも旨い、これも旨いと泣きそうなうるんだ眼をしながら食べ続けるフレグ。どうやら、彼の胃袋はぎゅっと鷲掴みにされてしまったんだろうなぁと思いながら、寿司を味わって食べる光。当然食べきる速度はフレグの方が先であった。
「──この美味さはもはや暴力的だ。優しい暴力だ。こんなものを味わってしまったら……これが、生の魚を食べる料理の奥義の一端か。まさに食事という戦場で、私は今、言い訳のできない完敗を喫したのか……!」
もはや、何かの芝居のワンシーンでもあるかのような言葉を口にするフレグ。右手を固く握りしめ、頬には一滴の涙が伝っている。美男子であるフレグゆえにその姿は実に絵になっているが……その原因が寿司だからなぁと、光は内心でやや困惑していた。しかし、フレグにとっては初めて味わった美味、感動するのも無理はない話である。
「しかし、これは難しいな。生の魚をこうして食べる事など、わが国ではとてもではないが叶わぬ話だ。これだけ美味い物が、ここでしか食えぬとは……ヒカル殿、ブレイヴァーだけではなく食事においても、貴国の技術の高さを見せつけられてしまいましたな。ううむ、やはり惜しい。この味を、国民にも広く味わってもらいたいが……もうしばらくは難しい、か」
まだ、日本側の受け入れ態勢が整っていない。今の世界状態は神々の試練に立ち向かう事が最優先事項となっている為、どうしてもそういう部分は進みが遅い。もちろん進めていない訳ではないが、お互いの国の人が観光気分で行き来できるようになるには、神々の試練が終わってからという事になるだろう。
「神々の試練に打ち勝ってから、という状態になるのはやむを得ないでしょう。こちらも試練が終わって余裕が生まれてくれば、国同士の移動方法を始めとして、色々な方法を具体的に提示できるのですが……」
お互いの国の行き来をスムーズにするために、ジェットマグレブで繋ぐという案もある。これなら魔法が無くても移動に問題は無いし、建築には神威を用いる事で時間を短縮できる。何よりそういった神威の使い方をするだけで、戦う事しかできない存在ではない事をアピールできる。
「国民にはもうしばし、我慢してもらう他ないか……だが、戦いに勝てば楽しみが待っている事が分かるだけでも希望を捨てずに生きる指針にはなる。事実、日本皇国が現れてから、自棄になって酒を飲んで絶望に沈む国民は大きく減った。残念ながらゼロではないが、それでも大きく助かっている。だから支援が必要な時は遠慮しないでほしい。すでに日本皇国は、我々をそういった精神的な部分で支援してくれているのだからな」
フレグの言う通り、日本という存在が見つかる前と見つかった後。そしてさらに光が直接マルファーレンス帝国に神威・参特式で乗り込む前と乗り込んだ後。この出来事の後で酒に溺れる人の数がその都度ガクッと減っているのである。自分と国が生き残れる可能性、そして何より成す術なくやられる歴史から、戦える歴史へと書き換わっていくこの瞬間。そこに多くの人が希望を見出して行ったのはおかしい事ではないだろう。
「ええ、乗り越えましょう。そして見せつけましょう。我々はもう、やられるだけの存在ではないという事を」
光の言葉に、フレグは光に握手を求め、光はそれに応えて固く握手を交わす。寿司屋の隅で、二つの国の代表同士の仲が深まった瞬間であった。




