第015話 「笑えばいいと思うよ」って言われてみたい
もうちょっとで第一章が終わりそうだな。
【親父ィィィィィ! 四月とはいえ夜は冷えるぢょおおおおおおお!(ガチガチガチ)】
【なんでもさせてくださいって言っただろ? ありがたく我慢しろ】
夜十二時。準備を終えた俺たちは葛城の住むマンションの一室に忍び込んでいた。侵入には夜這いの必須テクニックとしてピッキングを心得ている親愛なる腐れ縁、嘉隆の力を借りた。あいつの偏重した向上心を前にした時だけは、心の底から男に生まれて良かったと思うよ。ちなみに対価として『小鳥遊先輩を簡単に呼び出して気絶させて手篭めにする秘奥義』を教えた。あいつなら実行しかねんが犠牲はつきものだ。
【クソ、あいつ見た目通りのチャラ男かよ。こっちは待機して三時間経っているというのにいい気なもんだよ】
【その三時間を外で過ごしているワシに何か一言オオオオオオオオ!!(ガチガチガチ)】
俺は玄関を入ってすぐの洗面所にある浴室の中で、玲はこの部屋の奥にあるベランダで待機していた。
【作戦は分かっているな?】
【尿道がァ! 尿道がゾクゾクするううううううううう!!(ガチガチガチ)】
【聞けよ。……来たぞ】
コツコツと革靴がコンクリートを踏む音を察知して、俺は息を殺し獲物が入ってくるのを待った。
葛城がドアを開けて中に入ると廊下の電気が灯り、大欠伸のあとに「さーて今日の収穫は、っとぉ」などと独り言をつぶやきつつ奥に進んでいった。
奴が奥の部屋に着いたのを見計らって俺は浴室を抜け、洗面所のブレーカーを落とした。
音を立てないようにしつつすぐに廊下に出ると、突然の停電に戸惑う葛城の影が見えた。ここまでは良しだ。
【玲、出番だ。行け】
【…………(ガチガチガチ)】
呼んでも応答がないので凍え死んだのかと思い、確認のため廊下からベランダを見たら、歯の根も合わないほど震えながらもちょうどベランダの陰から立ち上がって、窓の前に移動したところが確認できた。
玲は震える手を窓ガラスにかけて叩きつけるように横に引いたところで、そして妙に風格のある足取りで室内に踏み込んで一言。
「さああああむいぢょおおおおおおおおおおおおおおお!!(ガチガチガチ)」
今の玲は全裸に布切れ一枚をまとった即席雪女を演じてもらっているのだが、やけに真に迫っている。あいつ演技力あるんだな。いや分かってるんだけどね。あれがマジのヤツだってことぐらい。
玲の魂の叫びと暖に飢えた顔を葛城は「うわアアアアアア!」と全力で受け止め、手に持っていたコンビニのビニール袋を投げ捨てて玄関に向かったが、
「今宵は三日月。血が、血が欲しい……」
と、実際は満月であるその光を包丁で反射して獲物の顔に当てる、フードを目深にかぶったレインコートの殺人鬼、を演じる俺が立ちふさがった。
「教えてくれ。貴様の血は————」
ここで俺はある顔を作る。認めたくはないのだが、どうやら俺の一番怖い顔は怒り顔でも泣き顔でも悲しむ顔でもなく————
「どんな味ィ?」
笑顔らしい。
「……ひ……ひひ……」
会心の笑みを目の当たりにした葛城は縫い止められたように足が動かず、ダラダラと脂汗をかく顔には引きつった笑みが浮かんでいた。人は真に恐怖した時、現実逃避のために笑うと聞いたことがあるが、今はそんな恐ろしい顔に生まれたことに一縷の感謝を捧げたい。
それはさておき。
こいつが陽菜を苦しめた。そう思うと何もかもを忘れて本当に殺人鬼になってしまいそうだが、陽菜を心配させないためにも俺は……、
「ォォおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
こいつをブッ倒すことにした。
包丁を投げ捨てて自らを鼓舞する雄叫びとともに突き進んで右手で襟首を、左手で前腕部分を掴んで踏み込むように回転しながら背負い上げ、
「フンンンンンッッッッッ!!」
全身全霊の力を込めて叩き落とす!
「ガッハァ……ッ!」
畳のように柔らかくないフローリングに背中から叩き落とされた葛城は、肺にあるすべてを絞り出すように息を強く吐き出し、数回痙攣した後にプツリと事切れた。
玲がいそいそと隠しておいた服を着込むのを尻目に、俺は投げ捨てた包丁を拾い直して懐に仕舞う。
「ったく。本当は陽菜の決意が詰まったこの包丁でブッ刺したいところだが、陽菜に免じて勘弁しといてやる」
慌てすぎて服に絡まった玲が倒れる音を聞き流しながら、ブレーカーを入れた。
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