8.悲劇の精霊
泉の精霊ツァヴィーネは2人の子供が戻ってくるのを見て、妖艶な笑みを浮かべた。
ソラはやはりビクつく自分の足の震えを止めることができなかった。
ウミは一旦立ち止まったが、またゆっくりと歩き出した。
「――ツァヴィーネが攻撃してきても、決して反撃しないで」
最後の岩山を越える直前にウミから釘を刺されていたソラも、背負った弓矢を手のひらで押さえながら、少女の後ろをしもべのようについて歩く。
シャボン玉の泡の中から必死に脱出しようとして、ジフォッグは体力を使い果たしてしまったのか、内側からひっかくような格好で気絶してしまっていた。
精霊の美女の胸の中では、マヌケ面の獣人ダイチがすやすやと母に抱かれた赤子のように眠りこけている……。
「あの、バカ」
と、ウミがつぶやく。
ゆっくりではあるが、歩みを止めない子供たちに対し、ツァヴィーネは
「それ以上、近づく、痛い目――あうわよ」
と、抑揚の無い口調で、最終宣告した。
しかしウミは止まらなかった。
彼女の意思の強さで、一歩、また一歩と泉に近づいていく。
すると精霊ツァヴィーネがその美しく優しい女性の表情から一変し、目を吊り上げ、口も耳まで裂けた目も当てられない化け物の形相に変化した。
ウミの後ろからついてゆくソラの心臓はノミよりも小さく縮み上がってしまった。
(ウミは何を考えているんだろう?このままではあの恐ろしいツァヴィーネの攻撃をまともに受けてしまうだけだ……ッ)
ソラがそう思った瞬間、ウミが信じられない行動に出た。
手に握りしめていた魔法の杖を、ポイ、と放り投げてしまったのだ。さらに歩きながら両腕を白いマントから突き出して左右に大きく広げ、足首まで泉に浸かっった所で立ち止まった。
付き従っていた弓使いの少年も、この白魔導士の奇行をただ見守るしかなかった。
「ツァヴィーネ!」と完全に無防備な姿勢のまま、ウミが叫んだ。
「何でこんなことをするの?この人たちは水を汲みにきただけじゃない。離してあげて」
ツァヴィーネは少女の大胆な行動に多少面食らっていたが、すぐに鬼の形相に戻った。
「そんな、見え透いた手――通じないわよ」
泉の精霊が目を細めると、足元の泉の水が鋭いブーメランのように形を変えて、2人の子供にめがけて発射された。それはウミの頬をかすめて背後の岩山を寸断した。
岩山の上部が、ズズズ……と崩れて地面に落ちる。
残された岩の断面が、まるで鋭いナイフで切られたように真っ平らに光っていた。
「……ほら、アタシは何もしないワ」と、毅然としてウミが言った。
「ツァヴィーネ……。なぜ、無防備なアタシたちを怖がらせるようなことをするの?
アタシたちは、ただアナタのお話を聞きたいだけなのに」
「はなし……?」
「そう」両手を大きくひろげたまま、ウミはうなずいた。
「アナタが胸の奥にしまっている、悲しい過去を吐き出してごらんなさい。そうすれば気持ちが少し楽になると思うワ」
精霊の表情がやわらいだ。先ほどまでの恐ろしい姿は、もうそこにはなかった。
ここぞとばかりに、魔法使いの女の子は、ぐいと小さな胸を張って言った。
「ぜひ、聞かせて。アナタが抱えている悩みを!」
ウミの白い頬から、一筋の血がつたって落ちた。
ツァヴィーネの闘争心はみるみると消え失せた。悲しむことも微笑むことも無く、ただ穏やかな表情に変わって、少女を見つめ返していた。
ソラは2人の女性が、信頼の糸で結ばれた瞬間を見た気がした。
胸に抱いていたのんきな顔をしたダイチを、やわらかい地面にそっとおろして、ツァヴィーネが、白い衣装をまとったウミのもとまで上がってきた。
そして少女の方の傷を細長い指でなぞると、あっという間に傷口が閉じて、もとの綺麗な素肌に戻った。
驚いているウミの両肩にやさしく手をかけると、
「どうそ、腕を下ろして、楽にしてください」
と、気品のある口調で語りかけてきた。
ウミはゆっくりと両腕を下げて、へなへなと、その場に座り込んでしまった。
ソラは急いで駆け寄り、彼女の背中を支えてやった。
「ごめんなさい」と、泉の精霊が流暢な口調で言った。
「怖がらせるつもりは、なかったの。本当よ。いつもはこんなこと……貴方にも嫌な思いをさせてしまって」
ツァヴィーネは少年にも謝り、表情を曇らせた。
「いいのよ」と、ウミが座ったまま泉の精霊を見上げて言った。
「それより、あのシャボン玉の中に閉じ込められている彼も、出してあげてくれる?」
ツァヴィーネは「あッ」と、いう顔をした。
慌ててぷかぷか浮かんでいる気泡に近づき、ジフォッグを開放してあげた。気絶している緑の肌の小人を、同じく眠りこけている獣人ダイチのそばに横たわらせた。
落ち着いた所で、ツァヴィーネが2人の子供を前にして語り始めた。
――彼女はもとより精霊ではなかった。某国の貴族の娘だった、という。
彼女には親が決めたフィアンセがいた。生まれも家柄も立派な肩書きの男で、今は宮中の役人をしているエリート中のエリートだった。
しかし、彼女には別に愛した男性がいた。町で偶然会った商人の息子だ。
生まれも身分も違う2人は、両親や親類から猛反対を受ける。2人は当然のように駆け落ちをして国を出た。だが彼女の両親が依頼した追跡者から逃げ切れず、最後は追い詰められてしまう。
2人は来世での再会と永遠の愛を誓い合って、高い崖の上から海に投身した。
すると、そこに海の守護神である〝オーシャ・マフィエ〟が現れた。
彼は2人が来世でも再会できる条件として、これより百年間、女はこの森の泉を、男は西の果てにある大沼を守る精霊として義務を果たすよう誓約を結ばせた。
しかし約束の百年を経ても2人は再会を果せずにいた。それどころか、人間の姿に戻ることさえなく、彼女はこの泉でとどまることを余儀なくされていたのだ。
理由は言うなかれ、魔王ドゥポンの邪悪な魔力の影響である。
2人を分かつ間の大気が汚されて、オーシャ・マフィエがかけた魔法が期限の百年を迎えても解かれずにいたのだ。
魔王ドゥポンが権勢を振るう限り、2人は二度と再会できないかもしれない――という不安と憎悪が募り、彼女は憤り、怒り荒れているのだ、という。
「でも、我を忘れて、罪も無いあなたたちを怖がらせたことの言い訳にはなりません……。本当にごめんなさい」
想像以上の悲劇のエピソードに、多感な少女ウミは目をうるうるさせながら言った。
「いいの。アナタは全く悪くないわ、ツァヴィーネ。ドゥポンは本当に悪いヤツね。こんな美しい女性を泣かせるなんて……許せないワ!」
そして自分たちは〝伝説の勇者〟で、これからドゥポンゴールドへ魔王ドゥポンを倒しに行く所だ、と告白した。
「絶対、ドゥポンを倒してやるからね。あなたが3日後に愛するボーイフレンドに会うことができるように」
ウミたちにも、期限は迫っていた。
サルマリア城を出発してから今日で5日目。あと2日でマリアンヌ姫を救出しないと、この世界テル=アリアから抜け出せなくなってしまうのだ。
しかし焦っても仕方がない。日はとっくに暮れてしまい、今日の所はこの泉のほとりで宿泊するしかなかった。
ダイチとジフォッグはあいかわらず横になったままだった。
ウミとツァヴィーネはまだまだ女性同士の会話を楽しんでいる。
ソラはおなかも減っていたが、睡魔には勝てなかった。
この場所は泉の精霊がそばにいるのだから、モンスターも襲って来ない。
彼は安心して深い眠りについた。
翌朝、ソラはジフォッグに起こされて目が覚めた。
ダイチも夢から覚めたようで、
「この泉はオレさまが見つけたんでぇ。水もたっぷりあらぁ……ッ。
どうだいおめぇら、恐れ入ったろ?」
と、たっぷり水の入った水筒と皮袋を頭上に掲げてアピールした。
昨日の〝水不足問題〟をぶり返そうとしていたのだが、みんなすっかりそんなことを忘れてしまっていて、ダイチは誰からも相手にされずにいた。
ただジフォッグだけが、
「ダイチさま――無事でなによりです」
と、取り返した名剣レイピアを腰におさめながら、お辞儀した。
ウミとツァヴィーネは、昨晩遅くまでガールズトークに花を咲かせていたらしい。
洗練された貴族の娘ツァヴィーネから、当時の高貴な暮らしぶりや、毎日のように催されるパーティの様子など聞かされて、ウミの乙女心を大いに喜ばせたようだった。
2人の女性はすっかり意気投合し、朝も出発する直前まで、話をしていた。
「アタシたち、絶対、ドゥポンを倒してくるから」ウミは精霊の手を握って言った。
「だからツァヴィーネ。道行く人を襲ったりしないでね」
「大丈夫。ウミも気をつけてね」と、ツァヴィーネも別れを惜しむように言った。
「私は泉の守護精霊だから、ここから離れられないのが悔しいわ。できることなら、貴方たちに同行して、力になりたい……。ウミたちがドゥポンを倒した暁には、私は〝彼〟と再会して必ずお祝いに駆けつけるわ、きっと」
――彼女も〝無常の果実〟のことは、知っているが見たことは無い、という。
ドゥポンゴールドを目の前にして、ドゥポンを倒すアイテムも有効策も見つけられないまま、前に進まなければならないようだ。
結局ウミとツァヴィーネは、何度も何度も抱擁と接吻を繰り返し、ほかの3人が引き離すまで出発できなかったほどだった。
泣きじゃくるウミをようやくたしなめて、ソラたち一行は、美しい泉をあとにした。
まもなくキリ・カリ山脈を登り始めた。
泉の精霊ツァヴィーネから、山越えの近道を聞き出していた一行は、その日のうちに峠にたどり着くことができた。これまたツァヴィーネの情報通り、丸太で組んだ無人の小さな山小屋があり、そこで4人は寝泊することにした。
(明日、山を下れば、もうそこはドゥポンゴールドか)
マリアンヌ姫の救出期限は明日なのだ。
間に合わなければ、テル=アリアが闇に支配されるだけでなく、ソラたちは現実の世界に戻れなくなってしまう。
期限に間に合ったとしても、本当に魔王ドゥポンを倒すことができるのだろうか――。
不安と恐怖におびえながら満月を控えた月空の下、3人の子供は山小屋で一夜を過ごした。
ソラたちは、山小屋の窓から差し込むまぶしい朝日に目を覚ました。
4人は早々に朝食をすませて支度をし、山を降りた。
朝から立ち込めていた霧が晴れてくると、西方に大きな沼が広がっていた。沼の向こう岸にはギザギザとしたたくさんの尖塔が立ち並ぶ不気味な城が見えた。
とうとうドゥポンゴールド城が、ソラたちの目の前に姿をあらわしたのだ。




