7.ウミの決意
「2人とも――遅いわね」
ウミは、苛立ちを全く隠さずに言った。
太陽が西に傾き始めている。このままでは今日中に、〝キリ・カリ山脈〟の山越えはもちろん、峠にさえたどり着けない……。
「あのバカのせいで期限に間に合わなかったら、どうしてくれるのよッ。お姫さまを救出できずに、アタシたちも元の世界に戻れないじゃない!」
語尾を荒げるウミに、つい「ビクッ」と体が震える、伝説の勇者の一員ソラ。
勇者の紅一点、ウミの凶暴化を抑えきれず、ただ嵐が過ぎ去るのを待つ島民の如く、頭を低くしていた。
ウミが突然、「あッ」と大きな目を見開いて叫んだ。
隣りの少年がまたビクつく……。
「あーっ、もう!こんなことなら、エリナとコンサートに行っとけばよかったぁ!」
先週、ウミは某アイドルグループのライブに行く予定だったが、父親に『子供だけで行くのは危ない。次回パパといっしょに行くのであれば許す』と言われてしまい、しぶしぶ別の女友達にゆずったため、観に行けなかったことを悔やんでいるのだ。
男子ソラには全く理解できるはずもなく、沈黙。
「もしここで一生を終えることがあれば……、許さないからね、パパ!」と、ウミは呪文を唱えはじめた。ただの子供の遊びではない。彼女はこの世界では本物の魔法使いなので、呪文の種類によっては、魔法をかけられた相手はシャレではすまないだろう。
「もちろん、ダイチには、これよッ」
と、ソラも知っている黒魔法の呪文なんかを唱えたりしている。
白魔導士ウミが普段使う〝白魔法〟は主に味方を守ったり力を高めたりする正義の魔法で、〝黒魔法〟は魔王ドゥポンが好んで使うような、皆を苦しめる悪い魔法なのだ。
「あの、カ・カ・カ……って、うるさい鳥がいなくなったわね」
ウミは呪文を唱え終えると、ドン引きしているソラのことを気にも留めずに言った。
「――あ、うん。そういえば静かだね」
ソラは頭上を仰いでみる。鳥だけでなく、太陽も厚い雲に覆われていることに気が付いた。
「あっちの雲、今にも雨が降り出しそうだね」と、暗くなった一方を指差してソラが言った。
「厚くて低い、低気圧性の雲が張り出してきているみたいだ。さっきまではいくつかの高積雲が浮かんでいたのに……」
「あんた、気象予報士?『あンだよ~、お前らバカじゃないの~?うっせぇよ~♪』」
「いや、そうじゃなくて」
ウミのモノマネ道場が始まりそうだったので、ソラはあわてて止めた。
「ダイチくんやジフォッグさんに、なにかあったんじゃないかな……。
もしそうなら、僕らも行かなきゃ」
真剣なソラを見て、ウミも一瞬考えて立ち上がった。
「もう……ッ。面倒なことになったわ。あのバカッ」
ウミは白い三角帽をかぶりなおし、イチイの木の魔法の杖を握った。
ソラも矢筒を背負いなおして、黒く立ち込める暗雲の方角を見上げる。
2人は仲間を探すべく、目前に広がる灰色の岩山の群れにへ向かって歩き出した。
――弓使いの少年と、白魔導士の少女がその異様な声を聞きつけたのは、数時間後の夕暮れどきだった。
それは、ジフォッグの叫び声だった。
あの甲高い声がかなりしゃがれてしまっている。長い時間、助けを呼び続けたのだろう。2人の子供はかなり苦戦して、その声のする場所に駆けつけた。
最後の岩山を登りきったソラとウミは、眼下に現れた泉の美しさに、一瞬心を奪われそうになった。
水面の濃いブルーと淡いグリーンのコントラストが、モノクロの岩肌に囲まれていっそう引き立っていた。夕陽が滝の水しぶきを照らし出して、上空に七色の虹を演出している。
泉の水際には、全身の肌をあらわにした美しい女性が〝大きな子供〟を抱いて手招きしている。彼女は一見、聖母マリアのようにやさしくて慈愛に満ちた女性に見えたが、どこかもの悲しげで、人間臭い印象を受けた。
「アタシ知ってる。彼女は泉の精霊、〝ツァヴィーネ〟よ」と、少女の瞳がつり上がる。
「戦うと強い相手よ。全身が液体でできているから弓や剣などの物理攻撃はもちろん、魔法による攻撃も全く効き目が無いの。この前の植物系モンスター〝ガニック〟なんか、彼女の足元にも及ばないワケ」
ツァヴィーネの胸には目がうつろなダイチ。柄にもなく、甘えるように抱かれている。
「キモい」と、思わずウミが舌を出す。
「一体、何があったんだか……」
泉のかたわらにはシャボン玉のような泡が浮かんでおり、その中に緑の小人ジフォッグが閉じ込められていた。おそらく、ダイチを追いかけて来て、ここであの泉の精霊に捕まってしまったのだろう。彼の腰元から名剣レイピアがなくなっている。
全く、よく奪われる名剣だ。
「彼女の弱点は、なに?」
ソラが小さな声でささやいた。
「弱点は、彼女のハート、よ」と、ウミは言った。
「ツァヴィーネには悲しいエピソードがあり、詳しいことは誰も知らない……。しかし彼女からその話を聞きだし、彼女の傷ついた心を少しでも癒すことが、唯一の攻略法だ――って、攻略本に書いてたワ」
「あ。ドリーム・ファンタジーの攻略本、買ったんだ」
「ネットでも検索できるけどね。ほら、何せユーザが少ないゲームじゃない?攻略本だって発行部数が限定で、探すのは大変だったのよ」
「いいなぁ、今度貸してよぉ。僕も探したんだけど……、よく見つけたね」
伝説の勇者――といってもやはり彼らも小学4年生の子供だ。
このゲームの世界――テル=アリアに迷い込んでからというもの、やれ試練だ、野営だ、戦闘やらで日々続く緊張感に耐えきれず、その糸が切れてしまうこともあるだろう。
泉の精霊ツァヴィーネが、何か黒いかたまりをソラたちの前に放り投げた。
どさっ、と鈍い音を立てて何回転もしながらそれは、ウミの白いブーツに当たった。
「1週間で300円ね――♪」
と、攻略本を金で貸し出そうとソラに交渉しはじめていたチャッカリ娘は、足元に転がる固くてふさふさしたその〝黒いかたまり〟を見下ろした。
純白のブーツに赤黒い液体が飛び散っていた。
「あんたたちも、ハラ――空かしてんだろ!」
と泉中に響き渡る好戦的な声で、ツァヴィーネは叫んだ。
よく見るとその黒い物体は、ソラたちにつきまとい、いつもカ・カ・カ・カ・カ、と空を旋回していたあの鳥の亡骸だった。
ちなみに首無し。
「う、わぁあぁぁぁぁあ!!」
叫び声をあげたのは、なぜかウミの後ろに立っていたもやしっ子のソラだった。
その叫び声にウミもビックリして飛び上がり、2人して来た道を走って逃げてしまった。
したたか足場の悪い岩や悪路を走ってから、ウミが冷静になり足を止めた。
「ちょ――ちょっと待って、ソラ!」
と叫んで、逃げ続けるソラを引きとめた。
振り返った彼の顔面は冷や汗でぐっしょりに濡れて、すっかり青ざめてしまっていた。ウミは学校の図書館で肩で息をしながら、うずくまっていたソラのことを思い出した。
ダイチのケンカに巻き込まれまい、とソラが校舎に逃げ込んだあの日のことだ。
「ソラは、いつも逃げているのね。それでもオトコの子なの?」
「ち、ちがうよッ。逃げたんじゃない……ッ」
と、ソラは珍しくむきになって言い返した。
しかしすぐに思い直してつぶやいた。
「いや――その通り、だよ。僕はまた逃げ出してしまったんだ……」
少年はすっかり意気消沈して、そのまま岩肌の地面に座り込んでうなだれた。
「僕はこのゲームの報酬に、〝勇気〟が欲しいって、書いたんだ。この世界に来てからも軽い気持ちで冒険に挑んだけど……結局ヒトは簡単には変われないんだ……」
落ち込んで頭を垂れる少年に、少女が白いマントの間から白く細い腕を差し伸べた。
「――じゃあ、いっしょに行こ。ソラ」
無言の少年に、今度は彼女もしゃがみこんで彼の腕を強く握りしめた。
「戻ろ、ソラ」ウミはペロッと舌を出して笑顔で言った。
「アタシも逃げちゃったし、偉そうなこと言えないけど。なんとかなるわよ」
「でも……」のぞきこむウミの大きな瞳を避けるように、ソラは首を横に振った。
「でも、あの泉の精霊には、僕の弓矢も、ウミの魔法も効かないんだろう?」
「あ」少女は大きな口を開けて嬉しそうにソラを見つめた。
「アタシのこと、呼び捨てにした。〝ウミさん〟じゃなくてウミって!」
「あ――ッ、ご、ごめんなさいぃ。つい……ッ」
か細い少年のソラが、さらに小さく萎縮してしまった。
それを見て、ウミはこらえきれず、ケラケラとおなかを抱えて笑い出した。
「え……な、なに――なにが、おかしいの?」
人っ子ひとりいない、太陽も沈みかけたこの寂しい岩山で、少女は場違いなほど楽しそうに笑い続けた。ウミの弾ける笑顔に、なんだかソラも元気が出てきた。
「あ」
図書室の前であったときと同じだ。
あのときもソラは顔面蒼白の状態から、ウミの笑顔に助けられたのだ。
この子の〝魔法〟は現実の世界でも生きている、とソラは感じた。
「――ソラ」と、ウミはまだ含み笑いをしながら言った。
「呼び捨て、でいいのよ。〝ウミ〟で。そうじゃないの。
アタシたちはクラスメイトだったのに、学校ではほとんどしゃべらなかったじゃない?でも、こんな信じられない事態になって……一緒に旅してさ。
自分たちも知らないうちに何かが変わっていると思うの。
アナタもアタシも」
白魔導士の少女はすっくと立ち上がって、ソラの腕を引っ張った。
「最初はね。素敵なイケメン剣士と冒険したり、お金持ちの王子さまダンスパーティで踊ったりしたかった!って思っていたワ。なんでこんな同じクラスの芋っぽい男子――ゴメンゴメン♪――なのよって、神さまを恨んだこともあったワ。」
(そんなことで、神さまを敵にまわしたりするんだ……)
女の子って怖いな……と、思いながらもソラは黙ってウミの言葉を聞き続けた。
「けど、今は違うの。ソラもダイチもジフォッグも……みんな旅の仲間なの。だから助けたいのよ、あの2人を」
もう一度ウミに腕を引っ張りあげられて、ようやくソラも重い腰を上げた。
「ありがとう、ソラ。いっしょに来てもらえれば、アタシも勇気が出るの」
2人の少年少女は、逃げ出した泉に向かって足早に戻り始めた。
「何か……いい策があるの?」
今度はソラが先に小高い岩山に上ってウミの腕を引っ張りあげる。
「ありがと。
……策、なんてないけど。あえて言えば――女の度胸ってやつね」
「女の度胸……?」
「でも、ソラもうしろでちゃんと見ててね。ひとりじゃ、やっぱり怖いから」
このとき、白魔導士ウミの笑顔の裏に見えた真剣なまなざしを、ソラは一生忘れることは無いだろう、と心に思った。




