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 夜になり、瑠樺は一条家を訪ねていた。

 この街の実力者であり、妖かしの一族を束ねる陰陽師たちの集団が一条家である。

 一条家当主、一条春影はかつて『妖夢』と呼ばれる妖かしに意識を呑まれたことがある。その後、瑠樺や雅緋の手によって妖夢は倒され、春影は救われることになった。それ以来、春影は何かがあると瑠樺に相談するようになっていた。

 その春影の脇には、『九頭龍』を率いる栢野出石とその娘の綾女の姿があった。

 綾女は浴衣の上にガウンを羽織っている。頭に足に包帯が巻かれ、腕はギブスで吊られていて痛々しい。それでも先日、病院に運び込まれた時に比べれば、ずっと顔色は良くなり、順調に回復していることがよくわかる。この春、初めて会った時、彼女は黒いミリタリー服を着込み、いかにも瑠樺たち『妖かしの一族』を敵視するような目をしていたが、今はそれがすっかり変わっている。

 瑠樺に向かって、僧侶姿の栢野出石が丁寧に頭を下げる。

「綾女は今日、退院してきました。まだ万全というわけではありませんが、あとは自宅で療養させるつもりです」

 その言葉が終わらぬうちに、綾女が手をついて深々と頭を下げる。

「先日は申し訳ありませんでした」

「い、いえ……もう大丈夫なんですか?」

「私のケガなど大したことありません。そんなことよりも私の身勝手な行動のせいで、蓮華さんに大変なご迷惑を……お詫びのしようもありません」

 絞り出すように綾女は言った。

「本来なら腹を切って詫びなきゃいけないところだ」と出石が低い声で言う。

「バカなことを言うものではありません」と、それを春影が宥める。もちろん父親の出石が心からそんなことを思っているはずはない。『九頭龍』の頭として、精一杯責任を感じての言葉だろう。

 頭を下げ続けている綾女に、瑠樺は声をかけた。

「綾女さんは強いらしいですね。蓮華さんが驚いてました」

「とんでもありません。蓮華さんは、あの時、私を庇ってくれました。私はただ自分勝手に戦ってきただけです。それに私の使っている道具は、どれも先人たちの残してくれたものです。私の強さなどただのまがい物です」

「それでも綾女さんは強い人です」

 綾女は気恥ずかしそうに視線をはずしーー

「蓮華さんの様子はどうですか?」

「もうだいぶ良くなっています。ご心配いただきありがとうございます。蓮華さんにも、綾女さんが心配していたと伝えておきます」

「い、いえ……それならば、また一緒に働きたいと伝えてください」

 そう言って、もう一度頭を下げた。

 そして、綾女は出石の肩を借り、足を引きずりながらも部屋を出ていった。

 その姿を見送りながら、春影はそっと微笑んだ。

「綾女さんも今回のことでいろいろ考え直すことが出来たみたいですね」

「蓮華さんのおかげです」

「羨ましいですね。若い人たちはどんな変化でもちゃんと受け入れる力があります。これからは若い人たちの時代ですね」

 春影は、瑠樺の亡き父である辰巳、矢塚冬陽と幼馴染だと聞かされたことがある。その若々しさは、決して自分の年を憂う必要がないように見える。

「春影さまもそうではないんですか?」

「そうありたいとは思ってきました。でも、古い者はどうしても過去に縛られてしまうものです。いつの頃からか、私も同じようになってしまいました」

「そんなことはありません。皆、春影さまが導いてくれるものと信じています。私も同じです」

「そう……まだ私にはやらなきゃいけないことがあるんですね」

 春影は少し寂しそうな表情をした。それがなぜなのか瑠樺にはわからなかった。

「春影さま?」

「失礼しました。もうひとつ、お話があります」

 そう言ってから、春影は気持ちを整えようとするように大きく息を吸った。それを見てどれほど重要な話がその口から出てくるだろうかと瑠樺は姿勢を正して身構えた。だが、春影の口から出てきたのは意外な話だった。

「瑠樺さん、あなたは高校を卒業したらどうするつもりですか?」

「卒業? あ……それは……」

 確かに高校2年の瑠樺にとって、それは重要な話かもしれない。だが、それを春影の口から問われることになるとはまるで考えていなかった。

「もちろん一条家が関わっている表の仕事もありますが、はじめから選択肢を狭めてしまうような必要はありません。進学することも出来るでしょうし、その前に留学ということも考えてもいいのではありませんか? 私の知り合いにロンドンで働いている友人がいます。あなたのことを話したら、ぜひ一度来てみないかと言ってくれています」

「え? 留学? え? ロンドン?」

「一度、留学し、そのままそちらで進学という手もあります。どうですか? 一条家はそれを出来る限り支援させてもらいますよ」

「ま、待ってください」

 瑠樺は慌てて口を挟んだ。「急にそんな話をされても困ります。だって、今はそんなことを言ってる場合じゃーー」

「だからこそ、今から話しているんですよ。あなたは辰巳さんの大切な娘さんです。私に出来ることは出来る限りしてあげたいんです」

「けれど、私はここでの務めがあります」

「あなたは確かに『妖かしの一族』の直系血族である二宮家の者です。しかし、既に『八神家』というものは形骸化しました。あなたはもう縛られる必要はないのです。あなたがやっている務めを行うのは、あなたである必要はありません」

 瑠樺は言葉に詰まった。

 確かに自分は今、中途半端な立場であることは確かだ。『八神家』の一つと言っても、すでに父の代でその立場から離れている。正式に『常世鴉』として、術者として活動しているわけでもない。斑目がそれを許さなかったからだ。あの頃は一条春影が『妖夢』に意識を呑まれていたことが理由ではあったが、その後も中途半端な状態のままでここまできてしまった。

 今になって、『常世鴉』に加えてほしい願い出たところで、春影は認めるとは思わない。そして、それは斑目も同じだろう。

(今更、普通の生活に戻る?)

 それは考えもしなかったことだ。

「けれど、今は妖かしたちが……それが片付かなければなんとも言えません」

 やっと見つけ出した言い訳だった。しかし、そんな瑠樺に対して、春影はさらに追い打ちをかけるように言った。

「そのことなら大丈夫。さほど心配する必要はありません」

 瑠樺は耳を疑った。

「心配ない? どうして?」

「原因がわかってきたからです。かつて、この地に『戦神』と呼ばれた一族がおりました」

「『詩季の一族』のことですね」

「そうです」

「実は昼間、矢塚さんとお会いしました。その影響が山に及ばないように、山を閉じると言ってました」

 それを聞いて、春影ははじめからわかっていたように頷いた。

「そうでしたか。それなら話が早い。矢塚が言うには『詩季の一族』、彼らが戻ってきたのではないかというのです。『詩季の一族』は、私たち一条家がこの地に来て間もなく八神家から離れたと聞いています。彼らを知るものはほとんどいません」

「でも、原因がわかったからといって、そんな簡単に鎮められるものではないでしょう。どう対処されるんですか?」

「もともと『詩季の一族』はここに住んでいた『妖かしの一族』です。その強い力によって一時的に妖かしたちに異変が起きたとしても、いずれは落ち着くでしょう」

「ほうっておくつもりですか?」

「ほうっておくわけではありません。一つ一つ、順番に対処していけば、いつかは終わるということです」

「『フタクビ』はどうするんですか? あれは危険な存在です。早くなんとかしないと犠牲が出ます」

「そうですね。しかし、我々が総出で手を尽くせば、封印することが出来ないこともないでしょう。そう心配することなどありません」

 本当にそうだろうか。瑠樺は春影がなぜそんなにも楽観視するのかわからなかった。

「でも、『詩季の一族』はいったいなぜ今ごろになって?」

「それはわかりません。しかし、考えられるとすれば、その原因はあなたにあるのかもしれませんね。そう思いませんか?」

 そう言って、春影は瑠樺の顔を見つめた。

「私ですか?」

「美月、七尾、そして、呉明沙羅のことを含めれば、かつて消えた一族が次々に戻ってきています。これはあなたが一条家で働くようになってからです。詩季も、あなたを目指して戻ってくるのかもしれないと思いませんか?」

 ドキリとした。

「どうして私を?」

「あなたが二宮だからです。いえ、『和彩』といったほうがいいでしょうか」

「……私は『和彩』の名を継ぐつもりはありません。以前も言ったはずです」

「そうですね。それはあなたのお父さんの……辰巳さんのことがあるからですか?」

 瑠樺の父、辰巳はこの一条春影の手で殺されていた。春影にとっても、そのことは心の傷になっているのかもしれない。

 それに対し、瑠樺は小さく首を振った。

「いえ、そんなことではありません」

「そうですね。そもそも、それはあなたが決めることです。私が口を出すことではありません。しかし、もしも一条家に義理立てしているのなら、それは不要ですよ。あなたはあなたの正しいと思うことを選択すればいいのです。それが運命ならば、私たちはそれに抗えないのですから。ただ、あなたが『和彩』を継ぐつもりがないのであれば、この地にこだわる必要はないのではありませんか?」

「『和彩』を継がないのであれば……私が……ここにいる意味がないとおっしゃっているのですか? ここに私がいることが妖かしの異変につながっているということですか? 私がここを離れれば、全て解決するって思っているのですか?」

 心がザワザワと震える。

「誤解しないでください。私が言っているのは一つの可能性です。私はあなたに感謝しているんです。あなたにはずっと助けてもらってきました。だからこそ、あなたのやりたいことがあれば、私はそれを応援したいのです」

 その言葉に嘘は感じられない。春影が悪意で言っているわけではないことは明らかだ。だが、それでも、その言葉は瑠樺の気持ちを重くさせた。

「少し……少し考えさせてください」

 瑠樺はそう言って席を立った。

 本当に今の異変は自分が原因なのだろうか。自分がこの地を離れれば、異変はおさまり問題は消えるのだろうか。もし、そうだとすれば無理にここに残ることは皆に迷惑をかけることになってしまっていることになる。

(でも、本当に?)

 さすがにそれを受け入れることには抵抗があった。

 春影は『西ノ宮』については何も言おうとはしなかった。だが、それはむしろ不自然な気がした。昨年からのことを思えば、今回の異変にも『西ノ宮』が関わっている可能性があると考えられなくもないのだが、なぜ春影はその可能性を考えないのだろう。

 一条春影は瑠樺の知らない何かを知っているのではないだろうか。

 だからこそ、瑠樺をここから遠ざけようとしているのだとすれば?

 ふと矢塚が言っていたことを思い出していた。

――キミは春影さまを信じすぎているんじゃないかい?

 一条春影が変わったとすれば、いつからだろう?

 昨年の秋?

 だが、変わったのは春影だけだろうか?

 自分の知らないところで、何かが動いているような気がした。


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