第71話 再び
「あーあ、それにしてもいじめって楽しいよねー。2人ともいじめたい奴いないの?」
涙はもう次のターゲットを捜そうとしているようだ。瑠夏と京子はそんな涙に呆れ、そして底知れない憤りを感じていた。
「あ、ところで昨日の数学の課題やってきた? あたしやるの忘れちゃったんだけど、貸してくれる?」
涙のその問いかけに、瑠夏は待ってましたとばかりに頷いた。
「やってきたよ。見せてあげる」
「ほんとー? ありがと!」
「うん」
瑠夏は自分の席へ一旦戻り、引き出しを漁った。机の中から数学のノートを取り出し、微笑む。
「るぅ、投げるから、ちゃんと受け取ってね!」
「え?」
自分のもとへ持ってきてくれると思っていたのだろう。油断していた涙が、慌てて両手を伸ばす。……しかし、遅かった。
次の瞬間、痛々しい音がした。涙の頭にノートの角が直撃したのだ。
「きゃあ!」
「あっ……、るぅ、ごめん! だ、大丈夫?」
「……へ、平気」
涙は引きつった笑みを浮かべ、瑠夏から目を逸らした。
きっと涙は気がついたのだろう。この手口は、涙が美衣子をいじめていた時のものとほとんど同じだという事に。
瑠夏が涙に“謝るフリ”をしている間に、京子は涙の机の上から筆箱を取って素早く窓を開け、涙がこちらを振り返らないことを確認してから、それを窓の外へ投げ捨てた。筆箱はかなり遠くへ飛び、濁りきった水の溜まっているプールへ音を立てて吸い込まれていく。
「本当にごめんね、るぅ」
「別に大丈夫だってば。どこも怪我してないから」
涙はぶっきら棒にそう言って自分の机上に視線を振り、あれ? と間抜けた声をあげた。
「どうしたの?」
「筆箱が無い」
「え。うそ、何で?」
「さぁ……さっきまで机の上にあったはずなのに」
不安げに表情を曇らせる涙を見て、瑠夏は心配そうにこう言った。
「そっか、書くものないと宿題うつせないもんね。シャープペン、貸してあげる」
「え、ほんと? ありがとー! それなら別に筆箱なんてなくてもいいや」
その嬉しそうな笑顔を見た瑠夏は、心の中で毒づいた。まったく、涙の立ち直りの速さは尋常ではない。
「じゃあ、奈々。るぅに何か貸してあげて」
それを聞いた涙は、意外そうな顔をして瑠夏の顔を見つめた。
「え、……瑠夏が貸してくれるんじゃないの?」
「別にいいじゃん。ね、奈々?」
いつの間にか廊下から戻ってきていた奈々は、自分の席に座ったまま口を尖らせて小さく頷いた。
「……わかりました。で、涙さん、どれを貸せばいいですか?」
涙は若干奈々を睨みつけながら少し考える素振を見せ、笑顔を浮かべた。
「じゃ、とりあえず全部貸してくれる?」
「……」
奈々はそれを聞くが早いか、筆箱の中身を机の上にぶちまけた。そしていきなり、それを力一杯涙に向かって投げつけ始めたのだ。
「痛っ! ちょっ、やめてよ!」
奈々は何も聞こえない振りをして、更に力を込めて筆箱の中身を投げ続けた。涙の悲鳴や叫び声は、クラス中の人間に聞こえているはずだった。しかし、涙が美衣子をいじめていた時と同じように、クラスメイトは何も言わなかった。こちらに視線を向けようとさえしないのだ。涙はそんなクラスメイトたちに苛立ちながら、小さく蹲り必死に奈々の攻撃から身を守ろうとした。
「痛いっ!」
そんな中聞こえた、一際大きな涙の悲鳴。思わず瑠夏が様子を見ると、奈々の投げたコンパスの針が涙の手の甲に刺さって皮膚を破り、薄く血が滲んでいた。
滲む血を見つめて悔しそうに唇を噛み締める涙。奈々は自分の席から立ち上がり、こちらの方へ歩いてきて、涙に手を差し伸べた。
「……大丈夫ですか? すいません、全部って言うから全部投げたんですけど」
奈々は悪びれた様子も無く、そう言った。涙は顔を上げて、そんな奈々を力一杯睨みつける。しかし奈々は怯むどころか、そんな涙を睨み返し、制服のポケットに手を突っ込んで絆創膏を取り出した。
「はい、これ、あげます。貼っておいた方が良いですよ」
まるで人事のようにそう吐き捨て、涙の目の前に絆創膏を落とす。涙はあまりの屈辱に両手の拳を握り締め、怒りで体をブルブルと震わせた。そしてキッと顔をあげ、奈々に向かって怒鳴った。
「奈々! あたしに怪我させたの、わざとでしょ!」
奈々はいつもどおりの平然とした表情で涙を見下ろし、静かな声で、言った。
「奈々、なんて呼ばないでください」
「……はぁ?」
「よく考えたら奈々と涙さんって、そこまで仲良くないじゃないですか。だから、奈々のことは名字で呼んでください。親しくもないのに名前で呼ばれると気分悪いです」
涙は不機嫌そうに眉間に皺を寄せたが、ふんと鼻を鳴らして立ち上がった。
「分かったわ。その代わり、あんたもあたしの事名前で呼ばないでよ?」
「ええ、言われなくてもそうするつもりですよ。……葉山さん」
その会話を聞いていた京子が、すぐさま話に割り込んだ。
「じゃ、あたしもそこまでるぅと仲良くないから、今度からは、京子って呼ばずに名字で呼んで。あたしも今度からは、るぅじゃなくて葉山さんって呼ぶから」
「……」
涙は何も答えず京子を睨むと、瑠夏の方に視線を向けた。
「瑠夏は今までどおりでいいわよね。だってあたしたち、親友じゃん?」
親友、という言葉の響きに瑠夏は酷く嫌悪した。しかし、怒鳴り声を上げそうになる自分自身を抑え込んで、必死に怒りを沈下する。
「うん。……良い、よ」
「だよね! やっぱ瑠夏大好きー」
かつて、涙は美衣子にも同じ台詞を吐いていたはずだった。それなのに、美衣子はもうこの世にはいない。涙はもう美衣子の事を親友と呼ばない。それが悔しくて悲しくて、少し切なかった。




