伝説
豊穣祭、当日。
と言っても、この祭りは五日間にわたって開催される、この国で最大とも言える一大祭典だ。
私のステージはその一日目、開幕の夜のスケジュールに組み込まれているというだけのこと。
「今日も変わらず、あっつい~」
空を見上げれば、ギラギラとした残酷なまでの太陽が、この祭りの開催を祝福しているかのようだ。
日中から街中は人でごった返していた。私がこの街に到着した時でさえ十分に人が多いと思ったが、今はそれとは比較にならないほどの人の波、波、波。
「ハヒィ〜、すんごい人だかり……ネズミ一匹通れないんじゃない…?」
メイン通りのマーケットも裏通りさえも、文字通り大渋滞が起きている。
露店のスペースが圧倒的に不足したため、市壁の外の砂漠地帯にまでその列は長く伸びている。
外へ出ても客の足は途絶えることがない。ラクダや馬のいななきが響く中、大声を張り上げて客を呼び寄せる商人、日除けの天幕の影から怪しげな笑みを浮かべ、客の未来を占う深くローブを纏った老婆。
さらには、ジャグリングや簡単な手品で街行く者たちの目を引き、歓声を受け止める大道芸人たち。
すでにカオスではあったが、豊穣祭の魔法にかかった街の熱量は、時間の経過とともにさらに加速しているように思えた。
広場に設営された、今夜私が踊る予定のメインステージ周辺も、この砂漠地帯の容赦ない暑さに負けないくらい、熱狂と興奮の嵐が吹き荒れている。
すでにお堅い役人の退屈な挨拶は午前中に終えたらしく、プログラムは順調に進行していた。
ステージの上では、今は有名な剣士たちが、己の腕が一番だと言わんばかりに猛々しく剣を振るっている。刃なしの鈍色に模した鉄塊らしいが、あれだけの質量だ、まともに打ち込まれれば普通に骨折するだろう。
砂埃を上げて激突する男たちを一瞥しながら、私は心の中で大きなため息をついた。
「はぁ……夜に私が踊るステージで、死傷者は出してほしくないものね」
ステージの周囲では、誰が勝つかで早くも私設のギャンブルが行われており、時折地を揺るがすような怒号や歓声が上がる。それだけならまだしも、興奮した観客から石や食べかす、果てには生卵までが舞台へ投げ込まれていた。治安など、あってないようなものだ。
……私のステージの時は、さすがに何も投げないよね?
私の趣味とは到底かけ離れているのは言うまでもない。けれど、砂漠の荒くれ者たちにとっては、このように分かりやすく激しいものの方が好まれるのだろうか。
私は、この野蛮な剣闘士たちのステージの一つ前に行われていた、小さな子供の踊り子たちの出し物の方が断然好きだった。緊張の色が隠せない小さな身体で、一生懸命に、愛らしくパタパタと踊っていたあの子たちの方が、ずっといい。争いごとなんて好きじゃない。
「うーん……私もダンスに剣を振り回すパートでも入れた方がいいかしら……? 」
一人で冗談を言いつつ、様子見を終えた私は這う這うの体で宿の自室へと戻ってきた。そもそもそんな危ない振り付けはオーナーが許可しないだろう。
「……今日も、いなかったなぁ」
ぽつりと、小さく本音が零れる。
本当は、あの人混みのどこかに、あの妖しく輝く赤い瞳を探していた。
どこを歩いていても、無意識にルージュ色のコートの残像を追いかけてしまう自分に呆れる。けれど、あまり外出しすぎて体力を消費してしまえば本番のパフォーマンスに影響が出るし、何より、また一人でうろついて行方不明にでもなったら、今度こそ一座のメンバーやオーナーに本気で愛想を尽かされてしまうかもしれない。
本番は夜の八時。太陽が完全に沈み、砂漠が冷え始める頃だ。
まだ本格的な衣装の準備やメイクを開始するまでには、たっぷりと時間がある。今のうちに体力を温存するために、ひと眠りしよう。
ホテルのロビーでもらってきた冷たい水を一口、渇いた喉に滑り込ませる。
私はぽすっとベッドの布団に横になった。
目を閉じると、お祭りの太鼓の音の裏側に、あの心地よい低音の話し声が聞こえたような気がした。
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「……ん、ここは……?」
目が覚めた……ような気がした。寝そべったまま、重い頭を揺らして辺りを見回す。
気づけば、私はひどく奇妙で、不思議な空間にぽつんと一人。
視界の一面を支配しているのは、ただ、圧倒的なまでの「暗闇」だ。どこが地面で、どこが空なのか。上下左右の感覚すらあやふやになるほど辺りは真っ暗で、星の光も、松明の灯りも一切ない。
「 私、さっきまでベッドで仮眠を取ろうとしていたはずなのに……どこ、ここ?」
どうして私は今、今夜の本番で着るはずの、最もきらびやかな踊り子の衣装を纏って、こんな見覚えのない場所に横たわっているのだろう。
「……おかしいな。やっぱりこれ、夢を見てるんだわ」
とりあえず眠い目をこすりながら、ゆったりと身体を起こし、立ち上がった。薄布の隙間から覗く足首の鈴が、ちり、と静寂をかすかに揺らす。
我ながら、人生初の大舞台を前にして、知らず知らずのうちに緊張していたのかもしれない。
けれど、それにしてもこの夢は幻想的でリアルすぎた。世界の光をすべて吸い尽くした「深淵」の中に投げ出されたかのように感じる。
不気味な静けさに、首筋をぶるっと悪寒が駆け抜けた。私はたまらず自分の細い両腕をきゅっと抱きしめる。
「じっとしてても始まらないよね……」
一歩、試しに闇の先へと歩みを始めてみた。しかし、足元すら真っ暗で、自分が前へと進めているのかすら全く判別がつかない。
暗闇の底へ落ちていくような不安に、足元をすくわれそうになった、その時。
「……っ、冷た! なに!?」
頬に突然、ひやりとした滑らかなものが当たり、私は思わず弾かれたように目を瞑ってしまった。
この灼熱の砂漠地帯では滅多に出会えない、生まれて初めて「氷」というものに触れた時のような、どこか透き通るような冷たさ。
ゆっくりと、恐る恐る目を開ける。
すると――私の目の前にいたのは、一匹の小さな「魚」だった。
「う、浮いてる……!?」
思わず声が裏返った。けれど、それは露店で見かけるような普通の魚ではなかった。
体全体が淡い水色に発光しており、向こうの景色がかすかに透けて見えるほど半透明な、不可思議な姿をしている。
水などどこにもないこの真っ暗な空間で、その魚はまるで透明な水の中を滑るように、優雅に、心地よさそうに虚空を泳いでいるのだ。
その子は、私にぶつかってしまったことに驚いたのか、その場でくるくると慌てるように円を描いて泳いだ。
けれど、すぐに綺麗な尾ひれを翻して、闇の奥へと泳ぎ去っていく。
「あ……待って、置いてかないで……!」
私は思わずその手を伸ばした。
行く当ても、どこに向かって歩けばいいのかもわからないこの世界。その小さな魚が放つの淡い光だけが、今の私の唯一の道標だった。私は衣装の裾をひるがえし、その子が泳ぎ進む闇の先を、必死に追いかけることにした。
「ちょっと待って、どこに向かってるの……? ……わっ、増えてる!?」
追いかけるうちに、暗闇のあちこちから同じような魚たちが次々と現れ、次第にその数を増やしていく。
どこからともなく加わっていく魚たちは、私の周りにまとわりつき、身体のあちこちに触れてきた。
「ひゃっ、あはは、こそばゆい……冷たいなぁ、もう!」
けれど、不思議と先ほどのような不安はなかった。むしろ、胸の奥から湧き上がってくるのは、お祭りの始まりを待つときのような、純粋なわくわく感。
気づけば、集まってきたのは魚の群れだけではなかった。
鳥、鹿、兎、そして、見たこともないほど巨大なクジラ……。図鑑やそれを模った木像でしか見たことがない数多の生き物たちが、あらゆる方向から光の尾を引いて、一か所へと集結し、溶け合い、巨大な光球を形成しつつある。
皆が等しく優しい水色に発光し、果てしない闇の中に、息をのむほど幻想的で摩訶不思議な光景を作り上げていた。
「私の夢、スケールが大きくなりすぎじゃない……? 」
けれど、目の前の光景があまりにも鮮明で、美しすぎて、冗談を言っている場合ではなくなってきた。
「綺麗……。でも、夢にしては出来すぎているような気がする。これは、本当にただの夢……?」
そう呟いた矢先、頭上から一際大きな鳥が舞い降りてきた。
その鳥の羽は水色一色ではなく、七つの色彩を身に纏い、鮮やかに闇を切り裂くように飛んでいる。その軌跡は、まるで暗闇の中に一筋の虹を描いているかのようだった。
動物たちが集まっていく巨大な光の球を背にして、その七色の鳥は、私の目の前へと優雅に着陸した。そして、その賢そうな瞳で、私をはっきりと見つめてきたのだ。
飛んでいる時はわからなかったけれど、こうして目の前に立つと、私とほとんど目線が変わらないほどの大きさがある。
(この子、私のことをじっくり見てる……? というか、間近で見ると大きくてちょっと怖いな……)
緊張で身を硬くした、その時だった。
『初めまして、アンフリー』
「え……え? 何、誰の声……?」
脳内に直接、誰かの声が響いた。少なくとも、今まで一度も聞いたことがない、凛とした美しい中性的な声だ。
辺りをあわてて見渡すが、私に声をかけるような人間は誰一人として立っていない。周りの動物たちは、依然として一つの光の球に向かって静かに進んでいるだけだ。
『あなたの目の前にいるでしょう?』
「えっ……嘘、あなたが私に話しかけてるの!?」
驚愕のあまり、私は指先を目の前の鳥へと向けた。
表情は何一つ動いていないと言うのに、どこかニコッと笑っているような柔和な表情を見せてくる。
『悪いね。今あなたが心地よく眠っていることを利用して、少しばかり夢に入らせてもらったんだ』
「夢に……? すごいね、そんなことができるなんて……。もしかして、あなたは神様か何かなの?」
『ふふ、それに近しい存在、かもね。……私の正体なんてどうでもいいの。それよりも、あなたの素晴らしい踊りの数々、ずっと見せてもらっていたわ』
「 見てた…?ずっと……?」
思わず自分の身体を隠すように衣装をきゅっと抑える。
『ええ、ずっと。あなたはずっと、観客のため、一座のため、そして集落のために踊ってきた。……だけど一昨日の夜、ようやく初めて、自分のために、自分の心に従って踊ることを覚えた。違うかしら?』
「!?…そ、それは……っ」
直球すぎる指摘に、顔が一気にカッと熱くなる。
彼のことを思い出し、恥ずかしさで消えてしまいたくなった。けれど、相手は神様に近しい存在だ。ここで嘘をついてもすべて見透かされてしまうだろう。……いや、でも、やっぱり改めて指摘されると死ぬほど恥ずかしい!
「……そ、そう、かも、ね。……うう、恥ずかしいなぁ」
両手で顔を覆う私を見て、七色の鳥は優しく目を細めたように見えた。
『その恋心の自覚のおかげで、あなたの舞はより素晴らしいものへと昇華された。たった二日しか経っていないけれど、今のあなたは間違いなく、ダンスの真髄を極めつつあるわ』
「えへへ……そうでもないけど……。でも、そう言ってもらえると、なんだか嬉しいな」
照れくさくて、えへへと鼻の頭をこする。そんな私に向けて、鳥はそっとその大きな美しい翼を広げた。
『これからのあなたに……この羽を贈らせてもらうわ。いいものを見せてもらった、私からのささやかなお礼だと思って受け取って』
鳥の翼から、一枚の光り輝く七色の羽がはらりと抜け落ちた。
さも当然のように重力を無視して宙に浮き、ゆっくりと回転しながら、こちらに向かって吸い寄せられるように近づいてくる。
私は少し怯えつつも、そっと指先で触れてみた。
「え、わっ…」
瞬間、その羽は私の肌に冷たく、けれど温かく溶け込むようにして、すうっと消えていったのだった。
「私の体の中に…!?」
『えぇ…あなたが強く願えば、その羽はあなたの一助になるでしょう。ただし……』
「一番大事な物を失う……でしょ?」
その鳥は私の言葉に肯定する様にゆっくりと頷いた。
それに反応する様に生き物たちが融け合った光球の光が一気に広がっていく。この広大な暗闇をすべて飲み込まんとするほどの、圧倒的な輝き。
眩しすぎて思わず、手で光を遮ってしまう。
『…あなたにはこれから、大いなる困難が立ち塞がるでしょう。ですが、あなたなら、最良の選択ができると信じていますよ』
「え、待って……!それって一体…!?」
私の問いかけをかき消すように、膨れ上がっていた光球は、音もなく激しく弾けた。




