海が晴れた日
レンクはテントの簡易ベッドに横たわり、なんとなく幼い頃を思い起こしていた。
思えば自分には子どもの頃から様々な転機があった。
漁師を父に持つ子供たちは昔から海に育まれ、海に感謝するものだ。それはレンクも例外ではない。なんてことの無い、小さな漁師の家庭だった自分は真っ赤な髪色を持って生まれた。
『やーいアカシオ!海が汚れるからお前は泳ぐなー!』
そんなふうに、何度からかわれたか分からない。
はじめは言葉の意味を知らず、大好きな海に入るなと言われたことだけが腹立たしくて怒っていたが、後に父から赤潮のことを聞いた。赤潮は海を汚し、時に海に死をもたらす。もちろん、海には赤潮から蘇るだけの生命力があるが、それには長い時間を必要とする。このことを教えられてから、自分の髪色が嫌いになった。
『やめてよ!』と何度言っても子供というのは残酷なもので、その揶揄いが終わることは無かった。
年の離れた兄は『そのうちに飽きて誰もそんな事言わなくなるよ』となだめてくれたが、幼い頭ではそんな事、理解も及ばなかった。
それでも、別段虐められていたと言うわけでは無かったから、平々凡々な生活を送っていた。
そして、四歳の夏を迎えてしばらく経った頃の事。その日はとても暑い日で、海も鏡のように穏やかだった。
やることも無くて退屈していた自分は、海辺に散歩に出かけていた。沢山の船や海鳥たちが水平線に浮かんでいるのを見ると、生まれた頃から見続けいている海が、こんなにも多くの命を生かしているのだと、優しい感動に浸れるのが子供ながらに好きだった。
だがその日は、いつもと違っていた。
砂辺の大きな岩に登って風に当たりながら海鳥の数でも数えようと思い、お気に入りの岩に近づくと、何やら少し騒がしい。不思議に思って周りを見回すと、すぐそこの水面で女の子が溺れている!
彼女の友達か、家族かは知らないが、同行者だったであろう男の子が近くの大きな岩に捕まり、彼女を助けようと泣きわめきながら必死に手を伸ばしていた。彼の手は届きそうに無い。周りに頼れそうな大人も見あたらない。
助けなきゃ___!
考えるよりも先に体が動いた。弾かれたように靴を脱ぎ捨て岩場を跳び越え、男の子を押しのけ海へと飛び込んでいた。
水中で目を開けることも、海に潜って泳ぐこともとっくに慣れっこだったからか、溺れていた彼女を助けるのは簡単だった。幸いなことにさほど深い場所でも無かったので、岸にも直ぐに戻ることが出来た。泳ぎ方も溺れた時の応急処置も、文字より先に習ったようなものだったからか手慣れたものだ。
泣きながら彼は彼女の顔をのぞき込む。自分の応急処置のおかげか、彼女は直ぐに目を覚ました。
空色の瞳が自分を捉えた瞬間に世界が変わったような感覚がした。
まるでこの地球が始まりを告げたような、不思議な感覚にドギマギした。初めての感覚に戸惑いながら二人の話を聞いていたことは今でもはっきりと覚えている。
二人は双子の姉弟で、行方知れずになった友人を探しに城下町からやって来たのだと、その友人は海が好きだったから、探しに来たら足を滑らせて海に落ちてしまったことを教えてくれた。
海は危ないんだぞ!というもっともな事を思いつつ、大人もなしに探しに来るほどその友達が大切なのかと思った自分は捜索の手伝いを申し出た。本音は二人ともっと一緒にいたいという幼心だったのかも知れない。
_____その『友人』が自分の実兄であることを知ったのはその日の夜だった。
10歳以上年の離れていた兄は自分にとって誇りだった。騎士団に入団して働く兄は帰ってくることこそ希だったけれど、その分目一杯愛情を注いでくれたし、お腹いっぱい食べさせてもくれた。今日出会った二人にとっても、きっと面倒見の良い兄代わりだったのだろう。
そんな兄が、優しくて大好きな存在が見回り中に行方を眩ませた。生きているか、死んでいるかも分からない。
その時になって、何故昼間出会った二人が子供だけで海に出てくるような事になったのかようやく分かった。大切な人がいなくなって、じっとしてなどいられなかったのだ。一刻でも早く会いたい気持ちはどんどん膨らんでいった。
もうすぐ帰ってくると言っていたのに。帰ってきて、釣りを教えてくれると約束したのに。
翌日から、自分は二人と一緒に兄の捜索に明け暮れた。どれだけ探しても、所詮子供の捜索だ。捜索範囲も探し方もたかが知れていた。探せるところは探し尽くしてしまったその日の夕方、自分はある決意をした。
兄がいた騎士団でなら、もしかしたら手がかりがあるかも知れない。そんなものが無かったとしても、強くなって名を馳せれば兄の方が自分を見つけてくれるかも知れない。
騎士を志す子供達を育む団体…少年騎士団に加入する決意を二人に話すと黙って頷いてくれた。
チラリと姉の方を見ると目が合った。彼女の目は子供だというのに、どこか強い目をしていた。そして、また不思議な感覚に陥った。
両親に少年騎士団に入りたいということ、その目的を洗いざらい話すと両親は泣きながらも許してくれた。当時の両親は、自分に兄の姿を重ねてしまっていたに違いない。兄のみならず、レンクまでもがいなくなってしまうのではないか、と。それでも自分の覚悟を信じ、少年騎士団へと送り出してくれた両親には感謝しかない。手はずを整えて部屋の荷物をまとめ始める頃には、兄との約束の日はとっくに過ぎていた。
鏡を見ると、自分の嫌いな______兄と揃いの真っ赤な髪が目に映った。
自分にとって、あの日は様々な事が『変化』した転機だった。
初めて恋をした日、兄を失った日、将来を真剣に考えた日______どれも子供がかかえるには大きすぎるものばかりだが、最も大きいのは自分の嫌いな髪の色を、好きになれたことだと思う。
それを友人に話すと『もっと他にあっただろう』と言われるが、兄と揃いの手がかり、そして言葉の意味合いは違うが、忘れ形見のようなものだと思うと愛おしくなった。
ここまで多くの出来事があって、今の自分はここに居る。
第一騎士団の指揮官としての自分が______
「レンク殿」
ハッと意識が水面に浮かぶ。王女の捜索本部として設置されたテントの中は朝日が昇ってうっすらと明るくなっていた。
いけない、考え始めると深みにはまり出すのは悪い癖だ。
隣に立っている女戦士は甘いカフェオレのような薄茶の髪をかき分けこちらを見つめている。
「ああ、ごめんねミルノ。ちょっと昔のこと考えてたんだ。」
いつの間に来ていたのかは分からないが、ボンヤリしていた自分に対してミルノは少し怪訝な顔を向けていた。
「ご気分が優れないのであれば少し休まれては?」
「ううん、大丈夫だよ。本当に何でも無いからさ。」
心配そうにしている彼女を制して立ち上がると、存外体が凝り固まっている。ぐぐ、と伸びをすると漸く意識もはっきり戻ってきた気がする。
「そういえば…ミルノはどうしてここにいるの?」
「私はラフィル……クロノワールの使いとして参りました。」
「クロノから?何だろ……議事録とか決算報告書とか必要な書類は全部出してたと思うんだけどなぁ…」
常日頃、騎士団についての膨大な書類に追われているのはもっぱらレンクだった。アマロと違い頭の回転は速いのだが、いかんせんレンクは書類仕事を後回しにしてしまう悪癖がある。
そのため締め切りが迫ってきて、レンク自身も焦り始めた頃、狙い澄ましたようにクロノワールから『早く書類を提出せよ』と伝令が来る。伝令を出す様な大事でも無いが、嫌がらせなのか、確実にレンクに伝言が伝わるようにしているのか。クロノワールの真意は分からないが、毎回こうして誰かしらが伝令に来る。だから今回も何か資料の作成を忘れたのかと思ったのだが、どうやら事情が違うらしい。
「ラフィル……クロノワールより伝言です。『不穏な気配がする。国王周辺の警備は第二騎士団が行うので、捜索で双子が発見されたら、最大限の警備体制を取りたい』と。」
「不穏な気配?」
「第二騎士団員数名から、城下町にて目的不明の集会が増えていると報告があがっています。ここ最近の首都、及び城下町の治安を考えるに、暴動が起こる可能性も捨てきれないかと。」
「ああ……うん。前に第二の人達が立ち話しているの聞いたよ。」
「………より部下への指導を徹底致します。」
規律の厳しい騎士団の中でも、より厳しいことで有名な第二騎士団の指揮官は、部下の気の緩みにいい顔はしなかった。もっとも、それ以上に国王の周囲に何かが起こりそうな事態を問題視しているようだが。
「ありがとう、ミルノ。気をつけるよ。そっちも気をつけてね。」
「はい。ご忠告、感謝します…では失礼します。」
レンクとミルノはともに指揮官で、歳は違えど階級としては横並びのはずだが、なぜかミルノはいつもへりくだった言葉遣いをする。『そんなに気を遣わなくてもいいよ』と何度か告げたのだが、彼女の態度にはまったく変化がなかった。だと言うのに、騎士団長であるアマロやクロノワール相手にはかなり好戦的な物言いをする。なぜなのかレンクには分からなかったが、彼女には彼女なりの考えがあるのだろう。
ミルノはそのまま背を向けその場を後にした。
「(思わぬ情報が手に入ったな…)」
自室に戻ると、レンクは椅子に腰掛けてミルノの言葉を反芻する。ああ言った手前、国王周辺の警備はより厳重になるはずだ。
______つまり、革命軍は動きにくくなる。
レンクはアマロと共に革命軍の片棒を担いでいる。警備に関して少しでも隙のある配置をしてしまうと他の団の騎士団長や指揮官、団員達に怪しまれてしまう。一度芽生えた疑惑は簡単には消えてくれないし、少し油断するだけで一気に全てが明るみに出かねない。
慌てずじっくりと考えねば。
晴れた空の色が、まるで海のように見えた。
閲覧ありがとうございました。
次回投稿を楽しみにお待ちください。
※この作品はpixivにて同時連載中となっております。




