【四】 氷の城
ノルドハイム-キンブリー間にそびえる城壁と、巨大な門。
一名、巨人門とも呼ばれるこの巨大な建造物の向こうが、北方の選帝大国ノルドハイム王国である。
高さ10mにも及ぶその巨大な石組みはどうやって建造されたのだろうか、と思わせてくれる。
ただし、通常時にこの門が開かれることはほとんどなく、馬車隊は勝手口のような脇門から入っていく。
巨人門の威圧感と「軍事国家である」という感覚から、緊張感を持って入っていくと、殺風景な景色が目に飛び込んでくる。
兵士宿舎と付随施設こそあるものの、それ以外はほとんど建物もなく、舗装された道路と並木道が、ずっと北を目指して続いているだけ。
外相によると、
「ここはノルドハイムの南端ですから、それほど人もいません」とのこと。
その舗装された並木道を通っていくと、しばらくして眼前にうっすらと雪化粧の白い山と、その上にある建造物が見えてくる。
「あれがシュネーグロッケ城ですわ!」
と、リュカが声を出す。
まだまだ遠方にあるのでぼんやりとしか形がわからないけど、確かに純白の城だ。
来訪は既に告知してあるため、ノルドハイムから随行の馬車も同行したが、それでも眼前に城が見えたわりに、まだまだ距離はある。
途中、官営の宿泊所をあてがわれて、一泊。
「久しぶりのベッド、うれしいー」
と言いながら、メシューゼラは飛び込んでいく。
外装はほぼ白一色だったが、内装は赤や黄色がほんの少し入り、モノクロの世界からカラーの世界に来たようである。
翌朝、出発しようとすると、王宮から使節がやってきてディドリクに面会を要求してきた。
「フネリック王国代表団ディドリク王子様、ようこそおいでくださいました」
とうやうやしく挨拶をしたのは、初老の紳士、イェルク・ズデーデンシーバー侯爵。
「王都に入りますと道が入り組んでおりますので、案内役としてまいりました」
初老に見える風貌だが、眼光は鋭く、顎鬚は厳めしく、いかにも一線で戦ってきた古参兵の雰囲気である。
全身を礼装に固めてはいたものの、そんなものなどものともせず、颯爽と軍馬を操っていた。
馬車ごしではあったが、この侯爵はそこそこ話好きでいろいろと話しかけてくれる。
「陛下もディドリク様のご来訪を心待ちにしておられました」
「今回は母マレーネが同行できませなんだこと、深くお詫びいたします」
と、ディドリクも丁重に返しておく。
「そのこと自体は残念ですが、陛下も、王太子任命予定のハルブラント殿下も、ディドリク様の名前を挙げて、お越しをお待ちしておりました」
「ハルブラント様の任命式も同時に行われるのでしょうか」
「はい、しかし儀式は簡単なものです、肩ひじ張る必要もない、とは殿下のお言葉です」
その日も半日以上の行程で、王城麓の首都に到着したときは、既に夕刻になっていた。
指定された官営の宿泊所は、最初の宿より豪勢にできてはいたが、それでも他国や自国に比べて質素なものだった。
質実剛健のノルドハイムらしい、ともいえようか。
「明日また、お迎えに上がります」と言って、侯爵は去って行った。
その夜は外相、二人の妹、イングマールらを交えて、明日以降の予定を確認し、それぞれあてがわれた部屋で睡眠をとる。
一週以上の行程だったこともあり、妹たちもたいしたおしゃべりもせず、ぐっすりと眠りこんでいた。
万一に備えて結界式を展開しようかと一瞬考えたディドリクであったが、ヴァルターあたりならそれを察知しそうなのでやめておいた。
翌朝、約束通り侯爵がやってきて、また半日ほどかけて、王都内の貴賓宿舎へ移動。
滞在中は、この宿舎が常宿になるとのこと。
公式の大使や外国貴人用の宿舎ではあるものの、質素さは変わらない。
荷を下ろし、くつろいでいると、さっそく王族が訪ねてきてくれた。
ヴァルターが二人の男女とともに、ディドリクに会いに来てくれたのだ。
「ディドリク、こちらは私の長姉ヴァルトラウテと、その配、グリューネンベルイ公爵だ。
姉が式典前に、どうしても君に会っておきたい、と言ってね」
ヴァルトラウテは、その父や弟達と同様、見事なまでに美しいプラチナブロンドで、彫りの深い美しい顔貌。
しかし体格は、ジークリンデや二人の弟達ほどではない。
ディドリクが、その紹介された夫人に自己紹介と挨拶をすると、ヴァルトラウテが微笑みながら、言う。
「父やジークリンデがあなたやあなたの妹君のことばかり言われるので、式典前にお会いしたかったのです、かまわないかしら」
「もちろんです、わたくしの方も、ご指名していただいた妹を紹介させてください」
と言って、メシューゼラとアマーリアを呼ぶ。
「ゼラ、アマーリア、こちらハルブラント様やジークリンデ様の姉君に当たられるヴァルトラウテ様だ。
帝都でヘルベルト様に挨拶させていただいた時に、少し話に出たろう?」
「お初にお目にかかります、ヴァルトラウテ様、この度はかような慶事にご指名していただき、誠にありがたく受け止めております。
と、メシューゼラが進み出て、王族・高位貴族公式の礼を見せる。
アマーリアの方は慣れていないせいか、
「第二王女のアマーリアです」
と、小さな声で言うばかり。
「まぁ、こちらが...」と言って、ヴァルトラウテが二人の妹に近寄ってくる。
「私も弟たちと同様に、私的な場ではメシューゼラ、とお呼びしていいかしら」
「はい、もちろんです、ヴァルトラウテ様」とメシューゼラ。
「うふふ、私も私的な場であれば、ヴァルトラウテ、と呼び捨てにしてくださいまし」
さすがに10歳以上歳の開きがあるので、さすがにこれはメシューゼラにとって重荷だろう、とディドリクが思っていると
「ありがとうございます、ヴァルトラウテ」と、動じることなく堂々と呼び捨てにするメシューゼラ。
帝都での経験で、いろいろ肝が据わってきたようである。
それを聞いてヴァルトラウテ。
「あらあら、リンデが言っていたように、美しいだけでなく、芯もしっかりしておいでのようで、ノルドハイムの客人にはふさわしい方のようですね」
「ヴァルトラウテ様、妹はまだ幼いゆえに、失礼なこともたびたび申し上げてしまうかもしれませんが、なにとぞ...」
とディドリクが言いかけると、ヴァルトラウテがそれを遮って
「あら、わたくしがそう呼んでほしい、とお願いしたのですよ、あなたもどうか私的な場ではそう呼んでくださいまし」
彼女の目も、妹や弟達と同様、強い意思をみなぎらせていた。
「そしてこちらが...」と言いかけてアマーリアを見つめた時、強い声が入ってくる。
「姉上、ヴァルター、抜け駆けはフェアじゃありません」
と言って、ジークリンデが乗り込んできた。
驚いたことに、戴冠式を明日に控えた身であるのに、帝都で見せたあの男装姿である。
部屋の外で様子をうかがっていたメイド達が、一瞬息をのむ音が聞こえてくるよう。
衣装こそ違っているものの、すらりと伸びた長身にぴったりあう騎士装束で、その美しさは男女の性別を超えたところに輝いているようだ。
もちろんそれでいて、美しい曲線が全身を覆っていて、若い女性の魅力もあふれかえっている。
「ハルブラント兄上が式典の準備で場を離れられない以上、王家代表として、まず私が最初に迎えるべきです」
「あら、いいじゃないの、あなたがご賞賛の美しいフネリックの代表団、わたくしも興味ありましてよ」
「だいたい姉上には今、フランツの世話があるのではありませんか」とジークリンデが言ったあと、公爵の方を向き、
「義兄上も、出産したばかりの姉上をフラフラ外に出すなんて、どうかしています!」とかみついている。
端から見ていると、猛烈な姉妹喧嘩に見えるが、ヴァルターが
(しょうがないなあ)と言う感じでため息をついているところを見ると、彼女たちにとっては日常風景なのかもしれない。
ただグリューネンベルイ公爵の方は、突然自分に火の粉が降りかかってきて、少しオタオタしているようだ。
ここまで寡黙だった公爵は、ノルドハイムの貴族らしい強健さを感じるものの、さすがにジークリンデのこの権幕には少し押されている。
「フランツはちょうど寝かしつけたとこだし、公爵にかみつくのは筋違いでしてよ」と、穏やかにヴァルトラウテはいなしている。
いつまでも続きそうだったので、ヴァルターが
「お二人とも、ここは他国の宿舎なのですから、その程度にしておいてください」と鎮めに入った。
「失礼しました、で、ディドリク、そちらがマレーネ叔母様の姫君なのですね」
と、ジークンデがアマーリアと向き合う。
ディドリクの陰に隠れようとしていたアマーリアが、一瞬ビクッと反応したが、
「アマーリア・フーネです...」とか細い声で、挨拶をする。
ジークリンデの視線が鋭く、にらみつけるかのように見ているため、アマーリアは委縮してしまっている。
だがジークリンデは膝を下ろしてアマーリアの目線になり
「私はジークリンデ。あなたとは従姉になります。どうかここでの滞在を楽しんでちょうだい」と言い、にっこり微笑む。
それを見てかなり緊張がとけたアマーリアは
「ありがとうございます」と少しだけ大きな声になり、ジークリンデを見つめる。
「そうそう、話をするときは相手の目を見つめてするものですよ」と言うジークリンデに対して、後ろからヴァルターが
「姉上のは『見つめて』ではなくて『睨み倒して』だけど、怯えなくていいよ、アマーリア」
この発言に、ジークリンデが弟をキッと睨みつけるが、確かにこれがジークリンデの「睨み」かな、と思ってしまえるくらいの強い視線だった。
しかし再びアマーリアの方を向き直って
「何か不都合があったり、イヤな思いをしたら、すぐに私のところまで来なさい、いいですね」
「はい」と言いつつ、アマーリアも、精いっぱい笑顔を作ろうとした。
一通り歓談したあと、メイドのリュカやノラ、それに外相やイングマール達も紹介した後、ジークリンデ達は戻っていく。
「怖かったかい」とディドリクがアマーリアに笑いながら言うと、
「はい、最初は」と安堵したような表情で答える。
「でもゼラ姉さまがおっしゃっていたように、かっこよかったです、ジークリンデ様」
「でしょ?」と言い、メシューゼラもにっこり。
面通しに来てくれたのは、緊張が解ける効果もあったのでありがたかった、と胸なでおろすディトリクだった。
一方、王城に戻ったヴァルトラウテはまだ眠りこけている我が子フランツを眺めながら、
「あなたったら、明日が戴冠式なのに、まだそんな恰好をしているの?」とジークリンデに言う。
「明日はちゃんと正装します」と二人とも普段の表情に戻っている。
「それにしても、マレーネ様に良く似ているわね、あの二人」
「僕はまだ赤子でしたのでまったく記憶がないのですけど、やはりそうなのですか?」
「父上もそんなこと言われてましたね」と、年下の弟妹が言うので、長子ヴァルトラウテが続ける。
「ええ、それはもう美しく、賢く、立派な方でした。
あのアマーリアは幼いからかもしれませんが、体格がまったく及びません。しかし美貌は目を見張るものになるでしょう」
「なるほど、姉上の人を見る目は確かだから、将来楽しみ、ということですね」とヴァルターが言い、王家の品定めが続いていった。
翌日、ノルドハイム王国公式の戴冠式が、白皙の城、ジュネーグロッケ城で行われた。
シュネーグロッケ城は、外側は限りなく白く、天空に突き刺す尖塔を幾多も構えた壮麗な城。
旅人たちの噂が本当だったと確信させる、冷たく美しく、先鋭な、見惚れるばかりの城郭であった。
だが内装は磨き上げられた大理石で、もう一つの異名「鏡の城」にふさわしい内観。
床が、まるで凍てつく湖面のごとく、その上を歩くものの姿を反射している。
内壁も、灰青をベースにした直線的な構成で、天井も高く、照明ははるかその上方に設置されている。
このシュネーグロッケ城は、戴冠式や宗教的式典など、公式の場での首都であり、内政、あるいは王族の住居ととしての首都は、さらに北にある。
式典会場へ招かれたディドリク達は、その位置取りに驚いた。
外国使節団のうち、第二位に位置していたからである。
戴冠式における外国第一位は、教皇庁からの使節団と決まっているので、実質第一席があてがわれたようなものだ。
四大選帝王国は言うに及ばず、帝国内の小王国、公国の中でも、中位程度の国格であるフネリック王国がこの位置なのは、普通じゃない。
ディドリクが随行してくれているズデーデンシーバー侯爵に確認すると、
「我が国の戴冠式で、他国王族をお招きすることは極めてまれです。
今回ですと、御来訪いただいた王国王族の中ではフネリック王国が最高位ですので、気兼ねなさる必要はありません」
そういわれて見せてもらった配置表を見ると、王族派遣の王国はフネリックとノルドハイム東南の衛星国イェータラント王国のみ。
他の四大選帝王国や上位の中小王国などは、王族ではなく外相、宰相などの派遣である。
ディドリクは少し考えてしまう。
招待状に王族三人の名前が書かれていたのは、ジークリンデやヴァルター達の個人的な好意からだ、と思っていたからだ。
ところがそうではない。おそらく王族を要求されたことによって、衛星国イェータラントやキンブリー公国と同じ国格として扱われていることになる。
もう一つの王国イェータラントなどは、国王夫妻が臨席している。
マレーネが「私が行くと誤解を生みかねない」と言っていたのは、このことだったのか。
「あまり目立たないようにしなくては」と思っていたのだが、メシューゼラが着席すると、いっせいに視線が集まってきた。
先の帝都での、皇帝嫡孫の成人式に参加していた者もそこそこいたため、舞踏会で注目を浴びた赤髪の美姫はいやでも目を引いてしまう。
そんな思いも露知らず、メシューゼラはニコニコと周囲を見回していて、それがまたいっそう注目をかきたてていく。
いささか不安な思いを抱きつつ、戴冠式が始まっていく。